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第9話 嘆きの地下墓地

 ラスティカ北東、丘陵地帯の麓。


 枯れ草に覆われた斜面の途中に、石造りの門がぽっかりと口を開けていた。地面から生えたような不自然な佇まい。門の上部に文字が刻まれているが、風化してほとんど読めない。かろうじて「……眠りし……兵……安息を……」という断片だけが残っていた。


 門の奥は、闇だ。底の見えない闇。地下へ続く階段が、暗がりの中に吸い込まれていく。


 冷たい風が、門の奥から吹き上げてきた。腐った土と、古い骨と、それから魔力の匂い。甘くもなく苦くもない、無機質な魔力の匂い。遺跡の時とは違う。あちらは生きた魔力だった。ここの魔力は、死んでいる。


「嘆きの地下墓地。かつての戦争で死んだ兵士たちの共同墓地が、魔素の影響で変質したダンジョン」


 リーゼが依頼書を読み上げた。銀の髪を耳にかけて、碧い瞳が門の闇を見据えている。


「全五層構造。下層ほど魔物が強い。依頼内容は第三層までの掃討と、魔素濃度の調査。報酬は大銀貨五枚」


 大銀貨五枚。五千レド。ロスト・エデンの最高報酬を大幅に更新する額だ。推奨ランクはCだが、ギルドの受付は渋い顔をしながらも受理してくれた。「死んでも文句は言うなよ」。もう三度目の台詞だ。


「アンデッド系の魔物が中心ね。光属性が有効。……カイト、光属性は使える?」


「使えるはずだ。まだ実戦では試してないが」


「なら今日試して。遺跡の時みたいに、いきなり全力で暴発させないでね」


「善処する」


「善処じゃなくて約束して」


 リーゼの碧い瞳が真剣だった。こういう時のリーゼには、冗談が通じない。


「……約束する」


 メルティアが門の縁に手を触れていた。石の表面を指先でなぞって、何かを確かめるような仕草。赤い瞳が一瞬だけ細くなった。


「古い墓地ね。三百年ぐらいかしら。魔素が溜まるには十分な年月だわ」


「三百年前って、北方戦争の頃?」


「そうよ。辺境で一番大きな戦いがあった時代。ラスティカ自体が、その戦争の前線基地として作られた街なの」


「……詳しいな」


「本で読んだのよ」


 嘘だろう。だが、追及しても仕方がない。


 松明を灯した。三人で階段を降りる。足音が石壁に反響して、こだまが暗闇の奥に消えていく。



 ◇



 第一層は、長い回廊だった。


 天井は低い。二メートルちょっと。壁の左右に、石の棺が等間隔で並んでいる。蓋が閉じているものと、半開きになっているものがあった。半開きの棺からは、かすかに甘い腐敗臭が漏れている。三百年経っても、死の匂いは消えないらしい。


 スケルトン。


 最初の遭遇は、回廊の曲がり角だった。


 白い骨が、闇の中でかたかたと音を立てて立ち上がった。三体。手に錆びた剣を握っている。眼窩の奥に、青白い光が点っていた。魔素に動かされている死者の残滓。


 リーゼが剣を抜いた。一体目の頭蓋を叩き割り、返す刃で二体目の肋骨を砕く。動きに迷いがない。骨が砕ける乾いた音が、回廊に響いた。


 三体目が俺に向かってきた。錆びた剣を振り上げる動きは遅い。だが、暗がりの中で白い骨が迫ってくる光景は、慣れていても背筋が冷える。


 火。


 掌から放った炎が、スケルトンの胴体を焼いた。骨が焦げる甘ったるい匂いが鼻を突く。数秒で灰になった。


「ふむ。火属性は骨に対しては効率が悪いな。燃やし切るのに魔力を食う」


 外套の内側から、ノアの声がした。魔導書を持ち歩いているおかげで、いつでも声が聞こえる。姿は出していない。光の精霊体は暗いダンジョンでは目立ちすぎる。


「アンデッドには光属性を使え。存在の根幹を浄化する。効率が桁違いだ」


「……次で試す」


 第一層の奥に進むにつれて、スケルトンの数が増えた。五体、八体。棺の蓋を押し上げて這い出してくる個体もいる。石の蓋がずりずりと音を立てるたびに、背中の毛が逆立った。


 リーゼが前衛で受け止め、俺が後方から火で焼く。メルティアは影縛りで足を止める。パターンが出来上がっている。だが、数が多いと処理が追いつかない。


 五体が同時に襲いかかってきた場面で、光を試した。


 光。


 呼んだ瞬間、体の中が透明になった。


 嘘がつけなくなる感覚。全てが晒される。自分の中にある暗いものも、弱いものも、隠しているものも、全部光の下に引きずり出される。


 怖い。だが、力は本物だ。


 右手を突き出した。掌から白い光が溢れた。松明の火とは違う、冷たくて清浄な光。闇を切り裂くように放射状に広がって、スケルトンの群れを包み込んだ。


 骨が、溶けた。


 燃えるのではなく、溶ける。光に触れた瞬間、骨の表面が白く輝いて、砂のように崩れていく。眼窩の青白い光が消える。魔素が浄化されて、ただの骨に戻っていく。


 五体が、三秒で消えた。残ったのは、床の上に散らばった錆びた剣と、細かい骨の粉だけ。


「……すごい」


 リーゼが振り返った。碧い瞳に、松明の光と、俺の掌に残る白い残光が映っている。


「光属性って、こんなに効くの?」


「アンデッドの弱点を正確に突いた結果だ。火で燃やすのとは原理が違う。光は魔素そのものを分解する」


 ノアが解説する。リーゼはノアの声にまだ慣れていないのか、外套の中から聞こえるたびに微かに肩が跳ねる。


「口の中の鉄の味は?」


「ない。光の単属性だけなら、負荷はほとんどない」


「当然だ。単属性の行使で反動が出るようでは、全属性使いの名が泣く」


 辛辣だが、正しい。単属性なら問題ない。融合魔法を使った時にだけ、反動が来る。


 第一層を踏破した。負傷なし。消費した魔力も少ない。



 ◇



 第二層は、第一層より広かった。


 回廊ではなく、広間が連なる構造。天井が高くなって、五メートルはある。壁には朽ちた軍旗が掛かっていた。北方戦争の兵士たちの所属を示す紋章が、布地の破れた隙間から覗いている。


 ここからゴーストが出始めた。


 半透明の人影。足がない。壁をすり抜けてくる。物理攻撃が通らない。リーゼの剣が空を切った。


「っ……厄介ね。斬れない」


「光で行く」


 右手を向けた。光の弾を放つ。ゴーストの胴体を貫いて、半透明の体が霧のように散った。悲鳴のような、風が管を通る時のような音が、一瞬だけ響いて消えた。


「ゴーストは光でしか倒せないわけじゃないわ。雷でも効くし、高純度の火でも消せる。でも光が一番効率的ね」


 メルティアが言った。


「あなたが光属性を使えるおかげで、このダンジョンは相性がいいわ」


 相性がいい。確かにそうだ。アンデッド系のダンジョンに、光属性の全属性使いが入る。この組み合わせは、たぶん最適解に近い。


 だが、光を使うたびに、体の中で「全てが晒される」感覚がよぎる。自分の中の暗い部分――悪魔との契約、魔印、隠し事。それが光の下で透けそうな気がして、毎回少しだけ心臓が縮む。


 光属性の感覚的代償は、罪悪感だ。


 第二層のゴーストを掃除しながら進んだ。リーゼが索敵し、俺が光で浄化し、メルティアが不意討ちを防ぐ。流れるような連携。言葉を交わす回数が減っている。目配せと手の合図だけで動けるようになっていた。


 途中、ノアが魔導書の中から助言を飛ばしてきた。


「カイト。光属性の出力を絞れ。今は全開で放っているが、敵が弱い。弱い相手に全力を出すのは魔力の無駄遣いだ」


「どうやって絞る」


「蛇口をひねるように。光を呼ぶ時、全開に開くんじゃなく、指一本分だけ開け。それで十分倒せる」


 試した。指先に意識を絞って、光の出力を抑える。掌から出る光が、さっきの半分以下になった。だが、ゴーストを浄化するには十分だった。


「いい感じだ。魔力の消耗が減っただろう」


「ああ。半分以下だ」


「全属性使いの本領は、七つの属性を状況に合わせて使い分け、それぞれの出力を精密に制御すること。力任せの全開放射は二流だ。覚えておけ」


 小言が多い精霊だが、言っていることは正しい。



 ◇



 第三層への階段を降りた時、空気が変わった。


 冷たさの質が違う。第一層、第二層は「地下室の冷たさ」だった。ここは違う。肌に触れる空気自体が冷えている。吐く息が白い。壁に霜が張っていた。石の表面に薄い氷の膜がこびりついて、松明の光を反射している。


「……急に寒くなったわね」


 リーゼが外套の襟を立てた。吐く息が白い。


「第三層は魔素濃度が跳ね上がるのよ。冷気は魔素の副産物。アンデッドの魔素は、周囲の熱を吸収する性質があるの」


 メルティアの声に軽さがない。赤い瞳が暗がりを注視している。上位悪魔が警戒するレベル。第三層の敵は、上二層とは格が違う。


 ワイト。


 最初の一体が現れた時、空気の温度がさらに二度ほど下がった。


 スケルトンとは違う。骨だけの存在じゃない。腐敗した肉体に、黒い靄のような魔素が纏わりついている。人だった頃の面影が残った顔。眼窩の中の光がスケルトンより強く、意志のある輝き方をしていた。


 手に持っているのは錆びた剣ではなく、まだ形を保った長剣。三百年前の兵士が、三百年間の怨念を宿したまま立っている。


「来るわ!」


 リーゼが剣を構えた。ワイトが踏み込んだ。速い。スケルトンの三倍は速い。長剣が振り下ろされ、リーゼが受けた。金属と金属がぶつかる音が壁に跳ね返って、耳の奥で鳴った。


 重い。リーゼの腕が震えている。だが、踏ん張った。膝を落として重心を下げ、受け流す。長剣の軌道を逸らして、返す刃でワイトの腕を斬った。


 腕が落ちた。だが、ワイトは止まらない。残った片腕で長剣を握り直し、再び斬りかかってくる。痛みがない。死者に痛みの概念はない。


「光!」


 リーゼが叫んだ。俺は既に右手を構えていた。


 光を呼ぶ。指一本分。出力を絞って、ワイトの胴体に光の弾を叩き込んだ。


 効いた。だが、消えない。


 スケルトンやゴーストなら一撃で浄化できた光が、ワイトには足りなかった。胴体の表面が白く焼けたが、内部の魔素が濃すぎて浄化しきれない。ワイトが苦悶のような声を上げた。声帯が腐っているから、ひゅう、ひゅうと風が洩れるような音しか出ない。


「出力が足りない。絞りすぎた」


 ノアの声。冷静だ。


「全開にしろ」


 全開。指先の蛇口を全部開けた。光が溢れた。白い閃光がワイトの全身を包み込む。


 今度は効いた。ワイトの体が光に灼かれて、黒い靄が蒸発するように消えていく。腐敗した肉体が砂に変わり、崩れ落ちた。長剣だけが、かしゃんと床に落ちた。


「……第三層は、出力の加減が難しいな」


「敵に合わせて出力を変えるのが制御だ。弱い相手に全力を出すな、強い相手に手を抜くな。言葉にすれば簡単だが、実戦でやるのは別だ」


 ノアの声が、初めて少しだけ柔らかかった。叱っているのではなく、教えている。


 第三層を進む。ワイトが二体、三体と増えた。途中でレイスが現れた。ゴーストの上位種。半透明の体が青白く発光していて、近づくだけで体温を奪われる。頬が痛い。指先の感覚がなくなる。


 リーゼの剣はレイスには通らない。物理攻撃無効。俺の光で片付けるしかなかった。


 光を連射した。一体ずつ、出力を調整して。三体目のレイスを浄化した時、口の中に鉄の味が広がった。軽い眩暈。光の単属性でも、連続使用すれば負荷がかかる。


「休憩しよう」


 リーゼが言った。壁際に座り込む。松明を床に置いた。暗い回廊の中で、炎が小さく揺れている。


 水を飲んだ。冷たい水が喉を通って、胃に落ちる。体が芯から冷えている。第三層の空気が、体温を削り続けている。


「ここからは、融合魔法を考えた方がいいわ」


 メルティアが壁にもたれて言った。


「ワイトは光の単属性で倒せるけど、この先に出るリッチ種は光だけじゃ足りない。高位のアンデッドは魔素の濃度が桁違いだから、単属性を全開で撃っても浄化しきれない」


「融合魔法……火と光か?」


「光と火の融合なら、聖なる炎。浄化力と破壊力を兼ね備える。アンデッドには最も有効な組み合わせだろうな」


 ノアが言った。


「だが、融合魔法は反動がある。使いどころを見極めろ。全ての敵に使う必要はない。雑魚は単属性で倒し、強敵にだけ融合を使え」


「分かった」


 リーゼが俺を見た。碧い瞳に、松明の炎が揺れている。


「大丈夫? 顔色が悪いわよ」


「平気だ。光の連射で少し消耗しただけだ」


「嘘。鉄の味がしてるでしょ」


 鋭い。いつの間にか、俺の癖を見抜いている。口の中の鉄の味がする時、無意識に舌で唇をなぞる仕草をしているらしい。


「……少しだけ」


「無理しないで。次の層に行く前に、しっかり休むわよ」


 命令形だった。反論は受け付けない口調。リーゼの「リーダーとしての声」を聞いたのは、たぶんこれが初めてだった。


「ロスト・エデンの前衛として言うわ。後衛が倒れたら、パーティは終わり。あなたが潰れることが、一番のリスクなの」


「…………ああ。分かった」


 壁にもたれた。石の冷たさが背中に沁みる。目を閉じると、暗闇の中で七つの属性が静かに脈打っていた。火の温かさ。水の静けさ。風の軽さ。土の安定。雷の鋭さ。光の透明。闇の静寂。


 ノアが言った「全属性使いの本領」。七つを使い分けること。力任せではなく、精密に。


 第四層の先に何がいるかは分からない。だが、ここまでの三層で掴んだものがある。


 一人で戦っているんじゃない。


 リーゼが前にいて、メルティアが後ろにいて、ノアが教えてくれる。俺は七つの属性を持っているが、それだけじゃ足りない。仲間がいて初めて、この力は意味を持つ。


 目を開けた。


「行こう。第四層へ」


 リーゼが立ち上がった。剣を確認して、松明を拾う。


「その先は推奨Bランクよ。依頼は第三層までだけど、いいの?」


「ここまで来たんだ。最深部まで行く」


 リーゼの唇が微かに持ち上がった。


「……馬鹿ね。でも、嫌いじゃないわ」


 三人で、第四層への階段を降りた。


 闇が深くなった。松明の光が届く範囲が狭くなっている。空気の冷たさは、もう痛みに変わっていた。


 階段の途中で、下から風が吹き上がってきた。ただの冷気じゃない。悲鳴が混じっている。風の中に、三百年分の嘆きが渦巻いている。


 嘆きの地下墓地。


 その名前の意味を、ようやく理解した。


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