第6話 新しいパーティ
翌朝、ギルドでリーゼと待ち合わせた。
昨日と同じテーブル。昨日と同じ時間。だが、一人で座っていた昨日と違って、向かいに誰かがいる。それだけのことが、妙にくすぐったかった。
リーゼは朝から背筋がまっすぐだった。銀の髪を後ろで一つに結んで、腰の剣を確認して、俺がジョッキの水を飲み終えるのを待っている。
「パーティの登録、先に済ませましょう」
「ああ」
受付に向かった。昨日と同じ無愛想な男が、カウンターの向こうで書類を捌いている。
「パーティ登録をしたい。二名」
受付の男が顔を上げた。俺とリーゼを交互に見て、太い眉を片方だけ持ち上げた。
「お前、昨日来たばっかりだろう。もうパーティか。仕事が早ぇな」
「縁があった」
「ふん」
書類が二枚、カウンターに置かれた。パーティ名、メンバー構成、代表者、活動拠点。記入欄が並んでいる。
「パーティ名は?」
リーゼを見た。昨日はそこまで話していなかった。
「……決めてなかったな」
「そうね。何かある?」
何も浮かばない。パーティの名前なんて考えたことがない。三年間、他人が作ったパーティに「荷物持ち」として入っていただけだ。
受付の男がペンをカウンターに置いた。急かす気配はない。こういう場面に慣れているのだろう。
「……ロスト・エデン」
口から出た言葉に、自分で少し驚いた。
「失楽園?」
リーゼが眉をひそめた。
「縁起が悪くない?」
「かもな。でも、しっくりくるだろう。追放された奴らが集まるパーティなんだから」
リーゼが黙った。碧い瞳が、数秒間、俺の顔を見つめていた。それから、口の端がほんの少しだけ持ち上がった。笑ったのかどうか分からないぐらいの動きだったが、碧い瞳に灯った光は昨日と同じだった。
「……いいわ。ロスト・エデン。嫌いじゃない」
「決まりだ」
受付の男が書類にパーティ名を書き込んだ。太い指で無骨にペンを走らせる。インクが乾く前に砂をかけて、ぱんと紙を叩いた。
「ロスト・エデン。代表者、灰原カイト。メンバー、リーゼロッテ・フォン・シュタイン。ランクはメンバーの最高ランクに準拠する。……どっちもFか」
「ああ」
「Fランク同士の二人パーティなら、受けられる依頼の幅は少し広がるが、推奨ランクの縛りは変わらねぇ。無茶すんなよ」
「分かってる」
書類を受け取った。「ロスト・エデン」と書かれた行を見る。インクの匂いがまだ少し残っている。たったこれだけの紙切れなのに、持っている手が微かに熱かった。
自分のパーティ。自分で名前をつけたパーティ。こんなものが手に入る日が来るとは、一週間前の俺には想像もつかなかった。
◇
「あら。パーティ、組んだの?」
ギルドの入口から、聞き覚えのある声がした。
メルティアだった。
黒髪に赤い瞳。いつもの黒い外套。認識阻害のおかげで、周りの冒険者には地味な旅の女に見えているはずだが、俺にはそのままの姿が見える。
リーゼの手が、反射的に剣の柄にかかった。
気配だ。リーゼは昨日、路地裏でチンピラに絡まれていた時でも、こんな反応はしなかった。だが今、メルティアが歩いてきただけで、剣士の本能が反応している。
「カイト。この人は?」
「……俺の連れだ。メルティア」
「はじめまして。カイトの古い知り合いよ」
メルティアがにっこりと笑った。人懐っこい笑顔。だが、俺はもう知っている。この女の笑顔は三種類ある。楽しい時の笑顔と、何かをたくらんでいる時の笑顔と、本性を隠している時の笑顔。今のは三番目だ。
「メルティア……さん」
リーゼの碧い瞳が、メルティアの全身を素早く走査した。足元から頭の先まで。剣士の観察眼だ。相手の体格、筋肉の付き方、重心の位置、武器の有無。一瞬で相手の戦闘力を測るための目。
だが、メルティアにはそのどれもが当てはまらない。武器はない。筋肉もない。重心は自然体だが、どこに力が入っているのか読み取れない。
リーゼの眉が僅かに寄った。測れない相手に出会った時の、不安と警戒が混じった表情。
「魔法使いよ。後方支援が専門なの」
メルティアが先手を打った。
「カイトとは昔からの付き合いでね。彼が辺境に来ると聞いて、ついてきたの。もしよければ、パーティに入れてもらえないかしら?」
「……カイト」
リーゼが俺を見た。判断を求める目だ。
「信用できるのか」と聞きたいのが分かる。だが、さすがに初対面の相手の前でそれを口にはしない。貴族の育ちが出ている。
「大丈夫だ。腕は確かだし、俺が保証する」
保証する、と言いながら、何を保証しているのか自分でも怪しかった。上位悪魔の行動を人間が保証できるはずがない。だが、少なくともこの五日間、メルティアが俺に害を成したことはない。金貨をくれたり、追いはぎを追い払ったり、しているのはむしろ逆だ。
リーゼがもう一度メルティアを見た。碧い瞳と赤い瞳がぶつかった。
数秒間の沈黙。酒場のざわめきが、その隙間を埋めている。
「……分かったわ。カイトがそう言うなら」
「ありがとう♪ よろしくね、リーゼちゃん」
「リーゼロッテよ」
「長いわ。リーゼでいいでしょ?」
「……好きにして」
リーゼが小さくため息をついた。既にペースを握られている。メルティアの距離の詰め方は、人間のそれとは速度が違う。壁を無視して入ってくる。
受付に戻って、メンバー追加の申請をした。メルティアは冒険者登録をしていないので、第4話の時と同じく「未登録の同行者」扱いだ。
「三人目は登録なしか。パーティの正規メンバーは二人のままだ。依頼の受注枠は変わらねぇぞ」
「構わない」
受付の男がメルティアをちらりと見た。認識阻害がかかっているはずだが、この男は目が鋭い。何かを感じたのか、一瞬だけ眉間に皺が寄った。だがすぐに戻って、書類に判を押した。
「ロスト・エデン。メンバー二名+同行者一名。以上だ」
◇
最初の依頼は、Eランクの討伐だった。
『街道北の渓谷付近にて、大型オオカミの群れが出没。商隊への被害報告あり。推定五匹。推奨ランク:E以上。報酬:銀貨八枚』
銀貨八枚。八百レド。三人で割っても十分な額だ。パーティを組んだ効果が、もう数字に出ている。
ラスティカの北門を出て、街道を四十分ほど歩く。道の両脇に背の高い松が並んでいて、日差しが幹の間から斜めに差し込んでいた。松脂の匂い。枯れ葉を踏む三人分の足音。
先頭がリーゼ。剣を腰に帯びて、周囲を警戒しながら歩いている。足運びに無駄がない。目は常に前方と左右を往復していて、石を一つ踏むにも重心が崩れない。訓練された動きだ。没落したとはいえ、貴族の剣術教育を受けている人間の歩き方だった。
その後ろに俺。
最後尾にメルティア。鼻歌を歌っている。場違いなほど楽しそうだ。
「ねえカイト。オオカミってどんな味がするの?」
「食うな」
「冗談よ」
「冗談に聞こえない」
リーゼが振り返った。
「……あなたたち、本当に昔からの知り合い?」
「まあ、そんなようなものだ」
「そんなようなもの」
リーゼの碧い瞳が、疑わしそうに細められた。だが、追及はしなかった。代わりに前を向き直して、腰の剣の位置を確かめた。
渓谷が近づくにつれて、空気が変わった。松の香りに混じって、獣の匂いが流れてくる。湿った毛と、生肉の匂い。
リーゼが片手を上げて、全員を止めた。
「……いる。風下だから、まだ気づかれていないわ」
耳を澄ませる。確かに、渓谷の向こう側から低い唸り声が聞こえた。地面を伝って響く振動のような、腹に届く音。
岩陰に身を隠して覗き込む。
渓谷の底、涸れた川床に五匹。いや、六匹。報告より一匹多い。
大型オオカミ。普通のオオカミの倍はある体躯。肩の高さが俺の腰ほどもある。灰色の毛皮が逆立っていて、牙が唇からはみ出している。目が赤い。魔素に汚染された獣の特徴だ。
「六匹か。一匹増えてるわね」
リーゼが剣の柄に手をかけた。刃を鞘から三寸ほど抜いて、手首を返す。金属が微かに鳴った。
「前衛は私が受け持つ。カイト、後方から魔法で支援して。まとめて来たら薙ぎ払ってくれればいい。メルティアさんは――」
「任せて。邪魔はしないわ」
「……それは支援と言えるの?」
「大丈夫よ。必要な時に必要なことをするから」
曖昧な返事だが、リーゼはそれ以上問わなかった。実戦の前に口論する余裕はない。
リーゼが岩陰から飛び出した。
速い。
貴族の令嬢とは思えない跳躍。渓谷の斜面を二歩で駆け下り、川床に着地する。砂利が弾ける音がした。六匹のオオカミが一斉に振り向く。
リーゼの剣が鞘から抜かれた。
銀色の一閃。先頭のオオカミが飛びかかる前に、その鼻先を剣の腹で叩いた。斬らない。牽制だ。オオカミが怯んだ隙に、半歩踏み込んで肩口を斬る。浅く、だが正確に。
血が散った。赤い滴が砂利の上に落ちて、じわりと染みを作った。
二匹目と三匹目が左右から同時に跳んだ。
リーゼが身を低くする。左のオオカミの牙が髪を掠めた。銀の髪が一房、宙に舞った。右のオオカミには剣の峰を突き出して、顎の下を押し上げる。体重を乗せた押し込みで、獣の体が横に倒れた。
強い。
だが、六匹は多い。残りの三匹が包囲を狭めている。リーゼ一人では抑えきれない。
俺は渓谷の縁から右手を突き出した。
風。
体が軽くなる。自由の感覚が指先に集まり、掌の前で渦を巻く。リーゼの背後に回り込もうとしていた二匹に向けて、風の刃を放った。
鎌鼬。空気の刃が地面を抉りながら走り、二匹のオオカミの脚を薙いだ。致命傷ではない。だが、体勢が崩れる。
「ナイス!」
リーゼの声が飛んだ。振り返らずに言ったのが分かる。前方の敵から目を離していない。背中を預けた、ということだ。
残りの一匹――群れのボスだろう。他の五匹より一回り大きい個体が、低い姿勢のまま唸っている。赤い目が俺とリーゼを交互に見て、状況を測っていた。知性がある。
ボスが地面を蹴った。標的は俺だ。後衛の魔法使いを潰しに来る。
速い。ゴブリンとは比べものにならない突進速度。渓谷の縁に立つ俺に向かって、斜面を駆け上がってくる。
火か、土か。迷った。一瞬だけ。
「あら、邪魔ね」
メルティアの声が聞こえた。呟くような小さな声。
ボスのオオカミが、突然、足を止めた。
止まった、というより、止められた。四本の脚が地面に縫いつけられたように動かない。赤い目が困惑で揺れている。唸り声だけが喉から漏れていた。
「な……」
「影縛り。ちょっとした術よ」
メルティアが俺の横に立っていた。右手を軽く前に差し出している。それだけだ。詠唱もない。魔法陣もない。ただ手を向けただけで、大型オオカミの動きを完全に封じている。
リーゼが振り返った。碧い瞳が見開かれている。
駆け上がった。斜面を三歩で詰めて、動けないボスの首筋に剣を突き立てた。一撃。獣が崩れ落ちる。
静寂が落ちた。
渓谷の底に六匹のオオカミが倒れている。致命傷を受けた三匹は動かない。脚を斬られた二匹は這って逃げようとしている。ボスは、リーゼの剣の下で息絶えていた。
血と獣の匂いが風に乗って流れていく。砂利の上に広がった赤い水溜まりに、午後の日差しが差し込んで、不思議な光り方をしていた。
リーゼが剣の血を払った。銀色の刃が弧を描いて、赤い滴が宙に散った。
「……メルティアさん」
「なぁに?」
「今の術。何?」
「影縛り。対象の影に干渉して、動きを止めるの。簡単な束縛術よ」
簡単。あれが簡単。大型オオカミのボスを、詠唱なしで完全拘束する術が。
リーゼの碧い瞳に、困惑と、何か別のものが浮かんでいた。恐怖ではない。もっと複雑な感情。「この人は何者だ」という問いを、理性で押し込めている顔。
「……変わった魔法ね」
それだけ言って、リーゼは剣を鞘に収めた。追及しない。聞いても答えが返ってこないと判断したのだろう。賢い。
メルティアが微笑んだ。いつもの、何を考えているのか分からない笑顔。
「ありがとう、リーゼちゃん。褒め言葉として受け取っておくわ♪」
「リーゼロッテよ」
「はいはい♪」
リーゼがため息をついた。二度目だ。今日だけで。
◇
討伐の証拠にオオカミの牙を回収して、ギルドに戻った。
報告を聞いた受付の男は、相変わらず無愛想だったが、銀貨八枚を並べる手つきは丁寧だった。
「六匹か。報告は五匹だったが、よくやったな。追加報酬で銀貨二枚つける」
銀貨十枚。千レド。三人で割っても一人三百レド以上。Fランクの薬草採取なら十日分だ。
酒場に戻って、三人で席についた。
初めて三人で座ったテーブルは、二人の時より少し賑やかだった。メルティアが勝手にエールを三杯注文して、リーゼに一杯押しつけている。
「お疲れ様♪ 初依頼の打ち上げよ」
「まだ昼過ぎよ……」
「辺境では昼酒は文化なの。カイトが言ってたわ」
「言ってない」
メルティアがけらけら笑った。リーゼが呆れた顔をしている。だが、ジョッキに口をつけた。一口飲んで、小さく目を閉じた。
「……悪くないわね」
「でしょ?」
不思議な光景だった。悪魔と没落貴族と追放された冒険者が、辺境の酒場で昼からエールを飲んでいる。一週間前には想像もできなかった風景だ。
リーゼの剣は確かだった。前衛としての判断が速くて、無駄な動きがない。貴族の剣術は実戦向きじゃないと言われることが多いが、この少女は違う。型の中に、泥臭い工夫が混じっている。家を追われてから、一人で戦ってきた痕跡だ。
メルティアの術は、底が見えない。あの「影縛り」がどの程度の力なのか、俺には測れない。全力の一割なのか、百分の一なのか。上位悪魔が人間のふりをして出す「ちょっとした術」の限界が、どこにあるのか分からない。
だが、少なくとも。
今日の戦闘で、背中を預けられた。リーゼの剣に、メルティアの術に。
三年間、パーティにいて一度も感じなかったものだ。信頼とまでは言わない。まだ早い。だが、「一緒に戦える」という感覚。それが、胸の奥でじんわりと温かかった。
「カイト」
リーゼが俺を見ていた。碧い瞳が、ジョッキの向こうから真っ直ぐに。
「あなたの魔法、やっぱりおかしいわ。風の制御が精密すぎる。Fランクのスキルであんな魔法は使えない」
「…………」
「今は聞かない。でも、いつか教えてもらうわよ」
逃げ道を残してくれている。だが同時に、「いつかは答えろ」と釘を刺されてもいる。
この少女は、見ているところが鋭い。いずれ魔印のことも、バレるかもしれない。
だが、それは今日じゃない。
「……ああ。いつかな」
エールをひと口飲んだ。苦い。でも、一人で飲むよりずっとうまかった。
窓の外から午後の日差しが射し込んでいる。テーブルの上に、三つのジョッキの影が並んでいた。
ロスト・エデン。失楽園。
楽園を追われた者たちが集まったパーティ。けれど今、この酒場の席は――少なくとも今だけは、楽園みたいなものかもしれない。
そう思ったことが、少し可笑しかった。
読んで下さりありがとうございました!
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