第5話 追放者同士
ラスティカに来て三日が経った。
生活はゴブリン討伐を軸に回り始めていた。朝、ギルドで依頼を受ける。昼までに街道周辺のゴブリンを掃除して、午後は薬草採取や荷運びの小口依頼をこなす。夕方にギルドで報告して、酒場で飯を食う。
三日で銀貨十五枚を稼いだ。千五百レド。メルティアの金貨と合わせれば、ユイの薬代は既に足りている。明日にでも薬を手配できる。
あと七日、と焦っていた数日前が嘘みたいだった。
ただ、問題が一つある。
「……また、こっち見てる」
ギルドの酒場で昼飯を食いながら、視線に気づいた。隣のテーブル。奥のカウンター。入口付近。あちこちからちらちらと視線が飛んでくる。
「Fランクの火属性魔法使い」。三千人の街で噂が広まるのに、三日もかからなかった。
目立ちたくないのに目立っている。力を使えば噂になり、噂になれば人の目が集まる。悪魔契約者だとバレるリスクが、その分だけ上がる。
左腕を無意識にさすった。袖の下の魔印が、体温と同じ温度でそこにある。静かに。だが確かに。
「気にしすぎよ」
向かいの席でメルティアがエールを飲んでいる。今日はチーズをつまみにしていて、一口ごとに幸せそうな顔をしていた。
「辺境の冒険者なんて、噂好きなだけ。三日もすれば次の話題に移るわ」
「三日前にもそれ聞いたんだが」
「……まあ、あなたが毎日ゴブリンを一撃で燃やしてたら、話題が更新され続けるわよね」
反省の色がまるでない。
◇
昼飯のあと、ユイの薬を買いに街の薬屋へ向かった。
ラスティカの大通りを東に進んで、路地を一本入った先。小さな店だが、辺境にしては品揃えがいい。北方の薬草が豊富に手に入る立地のおかげだろう。
魔素抑制薬。一ヶ月分で大銀貨三枚。カウンターに銀貨を並べると、薬屋の老婆は特に表情も変えずに包みを渡してくれた。
「ミルフィ村のお嬢さんのだね?」
「知ってるのか」
「ここは辺境だよ。魔素病の子なんて、周りに二人しかいないんだ。一人はうちの孫」
老婆は包みの紐をきゅっと結びながら、しわだらけの手を止めた。
「いい兄ちゃんだね。薬代、馬鹿にならないだろうに」
「……まあ」
「村への届けは? 馬車の便があるけど」
「明日、自分で持っていく」
包みを受け取った。軽い。こんなに軽いものが、ユイの命を繋いでいる。掌の上の軽さが、逆に重く感じた。
店を出て大通りに戻ろうとした時だった。
路地の奥から声が聞こえた。
「――だから、離してちょうだい」
女の声だった。若い。凛とした声だが、わずかに震えが混じっている。怒りなのか恐怖なのか、その両方か。
「まあそう言うなって。俺たちと組めば、依頼もランクも上がるぜ? 女一人で冒険者なんて危ねぇだろ」
「そうそう。護衛してやるよ、特別にさ」
男の声が二つ。下品な笑い声が狭い路地に反響する。
関わるべきじゃない。これは俺の問題じゃない。
足が止まった。
薬の包みを懐にしまって、路地の奥に目を向けた。
◇
路地の突き当たり。壁に背をつけて立っている少女と、それを囲む三人の男たち。
少女は――目を引いた。
銀色の髪が肩の下まで伸びている。背筋がまっすぐ伸びていて、追い詰められているのに、顎を引かない。碧い瞳が男たちを睨みつけている。その視線の鋭さは、酒場で酔った冒険者に絡まれている小娘のものじゃなかった。
腰に剣を帯びている。細身の片手剣。柄に手をかけているが、抜いていない。抜けば大事になると分かっているのだろう。
三人の男たちは、いかにもチンピラ冒険者という風体だった。革鎧は安物。武器は使い込まれているが手入れが雑で、剣の柄巻きがほつれている。ギルドの徽章はDランク。三人でDなら、実力はE程度だ。
「ほら、こんなとこで意地張ってねえで。ちょっと酒でも飲みに――」
一人が少女の腕を掴もうとした。
少女が身を翻す。掴まれる直前に半歩下がり、壁と男の隙間に体を滑り込ませた。動きが速い。だが、逃げ場がない。路地の奥は行き止まりだ。
「おいおい、逃げんなよ」
「しつこいわね……!」
少女の声に怒りが滲む。手が剣の柄を握りしめた。関節が白くなるほどに。
もう一人の男が回り込んで、退路を塞いだ。三方向から囲まれる形になる。
「あんまり暴れると怪我するぜ、お嬢ちゃん」
一人が手を伸ばした。
「――やめろ」
俺の口から出た声は、思ったより低かった。
三人の男と少女が、同時にこちらを見た。
路地の入口に立っている俺を見て、男たちの目が細くなった。
「あぁ? なんだてめぇ」
「通りすがりだ。嫌がってる相手にしつこくするのはみっともないぞ」
「は? 何言って――」
一番手前の男が俺に詰め寄ろうとした。体格差がある。俺より頭半分大きくて、肩幅も広い。
右手を上げた。
掌に意識を集中する。火じゃない。ここは路地裏だ。火を使えば建物に燃え移る。
風。
呼んだ瞬間、体が軽くなった。自由。束縛からの解放。その感覚が指先に集まり、掌の前で渦を巻く。
「な――」
風の塊が、男を弾き飛ばした。軽く。壁にぶつからない程度に。だが、成人男性が二メートルほど吹き飛ぶには十分な力だ。
男が尻餅をついた。目を丸くしている。
残りの二人が顔を見合わせた。
「ま、魔法使いかよ……!」
「待て待て、こいつ、もしかして噂の――」
右手を二人に向けた。今度は土。足元がずっしりと重くなる感覚。安心感。帰る場所がある感覚。それを、逆方向に使う。
二人の足元の石畳がぐにゃりと歪んだ。靴の底が地面にめり込む。くるぶしまで埋まって、動けなくなった。
「う、うわっ! なんだこれ!」
「足が抜けねぇ!」
「……悪いことは言わない。大人しく帰れ」
三人の男たちの顔から血の気が引いていた。尻餅をついた一人が這うようにして立ち上がり、足を埋められた二人を慌てて引っ張り出す。土の拘束は緩めてやった。
三人とも路地から転がるように走って逃げた。後ろ姿が角を曲がるまで、一度も振り返らなかった。
静かになった路地に、乾いた秋風が吹き込む。壁の隙間から差し込む午後の日差しが、埃を金色に照らしていた。
「……大丈夫か」
少女に声をかけた。
振り向いた碧い瞳が、真っ直ぐに俺を捉えていた。恐怖の色はない。驚きと、それから――何か別のもの。値踏みでもなく、警戒でもなく、もっと純粋な感情。
「……あなた、今」
少女が一歩、前に出た。銀の髪が揺れる。
「風と、土。二つの属性を同時に使った?」
しまった、と思った。
ゴブリン討伐では火しか使っていなかった。わざと一属性に絞っていた。なのに、とっさに二属性使ってしまった。
「いや、あれは……」
「嘘は結構よ。私は見ていたわ」
少女の碧い目が揺るがない。背筋がまっすぐ伸びている。さっきチンピラに囲まれていた時と同じ姿勢。こういう人間は嘘をつかないし、嘘を許さない。
「二属性の同時行使ができる魔法使いは、Bランク以上でも稀。あなた……一体何者なの」
「……ただの追放された外れスキル持ちだよ」
我ながら白々しい答えだった。少女の眉が片方だけ上がった。信じていない顔。
だが、それ以上は追及してこなかった。代わりに、すっと姿勢を正した。貴族の礼のように、背筋を伸ばしたまま軽く頭を下げる。
「助けてもらった礼を言うわ。ありがとう」
「……別に。通りがかっただけだ」
「通りがかりで見知らぬ人間を助けるのは、善人か馬鹿かのどちらかね」
「たぶん後者だ」
少女の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。笑ったのかどうか分からないぐらい微かな動き。
「私はリーゼロッテ。リーゼロッテ・フォン・シュタイン」
フォン。貴族の名前だ。だが、この少女の服は質素だった。外套は仕立てがいいが、もう何年も着古している。袖口の刺繍がほつれかけていて、肘のあたりに繕った跡がある。貴族だったが、今はそうじゃない。
「灰原カイト」
「カイト。……ええ、覚えたわ」
◇
気がつけば、ギルドの酒場で向かい合って座っていた。
リーゼロッテ――リーゼと呼んでいいと言われた――は、俺が頼んだシチューを前にして、スプーンを握ったまま動かない。
「食べないのか」
「……いただくわ」
一口食べて、目を見開いた。
「おいしい……」
その反応で、だいたい察した。まともに食事をしていない。冒険者ギルドのシチューに感動するということは、ここ数日まともなものを口にしていないのだろう。
「食べながらでいい。聞きたいことがある」
「……何?」
「フォン・シュタイン。聞いたことがある。確か、王都の――」
リーゼのスプーンが止まった。碧い瞳が一瞬だけ揺れた。すぐに戻ったが、指先がスプーンの柄を握りしめていた。
「……元、ね。元・王都の名門貴族。今は何も残っていないわ」
声は平坦だった。感情を殺しているのではなく、何度も口にしてきた言葉を、もう一度繰り返しているだけの声。かさぶたの下の傷に触らないように、表面だけをなぞる声。
「父が冤罪で捕まった。反逆の共謀だと。証拠は偽造されたものだったけれど、裁判はたった二日で終わった。判決の前日に、家の取り潰しが決まっていた。最初から結論は出ていたのよ」
スプーンをシチューに沈めた。液面にじゃがいもの欠片が浮かんでいる。リーゼはそれを見つめていた。
「母は追放先の村で病死した。父は今も王都の牢の中。面会は許されていない」
「…………」
「私は家名を剥奪されて、一人で放り出された。貴族の友人は全員消えた。手を差し伸べてくれた人間は一人もいなかった」
貴族社会の冷たさを、俺は知らない。だけど、「一人もいなかった」という言葉の重さは分かる。三年間パーティにいて、追い出された日に引き留めてくれたのはアリアだけだった。それすら、レクスの一言で封じられた。
規模は違う。だが、捨てられる痛みは同じだ。
「冒険者になったのは、金を稼ぐためか」
「それもある。でも一番の理由は――」
リーゼが顔を上げた。碧い瞳に、さっきとは違う光が宿っている。静かな怒り。灯し続けている炎のような、消すつもりのない意志。
「父の無実を証明するため。そのために、力がいるの。発言力も、人脈も、お金も。貴族に奪われたものを、冒険者として取り返す」
復讐、とは言わなかった。だが、やろうとしていることの本質はそれに近い。
「……大変だな」
「あなたこそ。追放された外れスキル持ちが、辺境で一人で依頼をこなしている。何か事情があるんでしょう?」
鋭い。勘がいいのか、同じ痛みを知っている人間だから気づくのか。
「妹が病気でな。薬代を稼いでる」
「…………そう」
それだけだった。それだけで十分だった。同情の言葉も、励ましも、何もいらない。「そう」の一言に含まれた理解の深さが、下手な慰めより余程あたたかかった。
しばらく、二人とも黙ってシチューを食べた。
スプーンが皿の底を擦る音。酒場の喧噪。どこかで誰かが笑っている。窓から入る午後の光が、テーブルの上に四角い影を作っていた。
リーゼが先に口を開いた。
「カイト。一つ、提案があるの」
「なんだ」
「パーティを組まない?」
スプーンが止まった。
「……俺と?」
「あなたは魔法使い。私は剣士。前衛と後衛が揃えば、受けられる依頼の幅が広がる。お互いに得があるわ」
合理的な提案だった。実際、その通りだ。ソロよりパーティの方が効率がいい。報酬の高い依頼も受けやすくなる。
だが。
俺は悪魔契約者だ。パーティを組むということは、その秘密を抱えたまま誰かと行動を共にするということだ。バレた時に、相手を巻き込む。
「……正直に言うと、俺にはちょっと事情がある。一緒にいると面倒に巻き込むかもしれない」
「面倒?」
「詳しくは言えない。ただ、俺の力には訳がある。あまり良い訳じゃない」
リーゼは黙って俺を見た。碧い瞳が、真正面から。
数秒間、何かを探るように。
「……私も訳ありよ。没落貴族の娘で、冒険者になったばかりで、この街に知り合いは一人もいない」
スプーンを皿の横に置いた。丁寧に。貴族の作法が、無意識に出ている。
「訳あり同士、ちょうどいいんじゃないかしら」
その言葉に、不思議と力があった。
合理的な損得の話じゃない。追放された者同士が、互いの傷の形を確かめもせずに、ただ「一緒に歩こう」と言っている。それだけのこと。
メルティアの顔が浮かんだ。あいつにも相談すべきだろう。だが、メルティアは今日は姿を見せていない。「街を散策してくるわ♪」と朝から消えている。
「……いいのか。俺で」
「あなた以外に候補がいないだけよ。勘違いしないで」
リーゼが目を逸らした。耳の先がほんの少し赤い。碧い瞳が窓の外を向いて、そこにある何でもない風景を見つめていた。
――ああ。この人は、不器用なんだ。
凛としていて、背筋がまっすぐで、嘘がつけなくて。だから「助けてほしい」と言えなくて、「候補がいない」なんて回りくどい言い方をする。
少し、ユイに似ている。「大丈夫」と書きながら手が震えている、あの妹と。
「分かった。組もう」
リーゼが振り向いた。碧い瞳が少し見開かれた。
「……いいの? 即答?」
「考えても結論は変わらない。俺もソロより誰かと組んだ方がいい。お互い様だ」
リーゼが、笑った。
ほんの一瞬だった。口元がほころんで、すぐに引き締まった。だけど、碧い瞳に灯った光は消えなかった。
「それじゃあ、よろしくお願いするわ。カイト」
「ああ。よろしく、リーゼ」
手を差し出した。リーゼがその手を握る。小さい手だった。だけど、剣だこで硬くなっている。何度も剣を振ったことがある手だ。
追放された外れスキルの魔法使いと、没落貴族の剣士。
訳あり同士のパーティが、こうして始まった。
◆
「レクス。一つだけ聞いていい?」
アリアの声に、レクスの眉が跳ねた。
宿の一室。依頼の打ち合わせの席で、アリアは眼鏡の奥から真っ直ぐにレクスを見ていた。
「カイトがいなくなってから、聖剣の出力が落ちてる。それって――」
「関係ない」
遮るように、レクスが立ち上がった。椅子の脚が床を引っ掻いて、甲高い音が部屋に響く。
「あいつは外れスキルの荷物持ちだ。いてもいなくても同じ。いや、いない方がマシだ」
アリアは唇を噛んだ。それ以上は言えなかった。
だが彼女の脳裏には、式典の日の記憶がちらついていた。カイトを見た瞬間、聖剣が鳴った、あの瞬間が。
読んで下さりありがとうございました!
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