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第21話 正義の名のもとに

 知らせが届いたのは、朝だった。


 リタが酒場に走り込んできた。栗色のポニーテールが乱れていて、そばかすの散った顔に血の気がなかった。息が上がっている。走ってきたのだ。受付嬢が持ち場を離れて走るということが、すでに異常事態を物語っていた。


「カイト。……来たわよ」


 それだけで、何が来たのか分かった。


「勇者パーティ。教会の旗を掲げてる。五十人くらいの部隊を引き連れて、南街道を北上中。あと一時間もすればラスティカに着く」


 酒場が静まり返った。冒険者たちが顔を見合わせる。「教会の旗」という言葉が落ちた途端、ジョッキを置く音が止まり、談笑が消え、炉の薪が爆ぜる音だけが残った。


「五十人?」


「正確には教会の聖騎士が三十名。ギルドから志願した冒険者が二十名ほど。先頭にいるのは金髪の男。聖剣を帯びてる」


 レクス。


 リーゼが剣の柄に手をかけた。碧い瞳が鋭くなっている。メルティアのジョッキがテーブルの上で止まった。赤い瞳から笑みが消えて、代わりに千年分の経験が覗いていた。シアの紫の瞳が揺れている。握りしめた両手が、膝の上で白くなっていた。


 俺は椅子から立ち上がった。


「……来たか」



 ◇



 南門の外に、砂煙が見えた。


 街壁の上に登って見下ろすと、街道を埋めるように隊列が近づいてくる。地面が微かに揺れていた。五十人分の足音が大地を伝わって、石の街壁を通して足の裏に届く。低い振動。戦争の気配。


 白い法衣と銀の鎧。教会の聖騎士たち。旗が風にはためいている。白地に金の十字架。その布が秋風を受けるたびに、乾いた音を立てていた。


 隊列が近づくにつれて、匂いが変わった。鉄。革。馬。汗。そして、微かに混じる聖属性の残滓。大気の中に金色の魔力の粒子が散っていて、皮膚がちりちりする。左腕の魔印が、袖の下で警告するように脈打ち始めた。


 隊列の中央に、見慣れた金色の髪が揺れていた。


 レクス・グランディア。


 だが、あの日の辺境で会ったレクスとは違っていた。白銀の鎧を身につけている。教会が貸与した聖別の鎧。胸に教会の紋章が刻まれていて、聖属性の魔力で淡く発光している。肩当てが日差しを受けて白く輝き、一瞬、目が眩んだ。


 聖剣が腰にある。あの時より光が強い。教会が何か手を加えたのか。それとも、「正義」という大義名分を手に入れたことでレクス自身の迷いが消え、聖剣がそれに応えているのか。どちらにしても、ラスティカで見たくすんだ灰色の光ではなかった。


 レクスの隣にガルドがいた。巨体に白い外套を羽織っている。教会の紋章入り。鉄盾を背負った姿は威圧的だが、顔が強張っている。この男は何も考えていない。レクスに従っているだけだ。だが、従うという行為だけで、人は刃になれる。


 アリアの姿は――いた。隊列の最後尾。亜麻色の髪。眼鏡。前を見ていなかった。足元を見つめて歩いている。隊列の誰よりも一歩ずつが遅く、聖騎士たちとの間に隙間ができていた。


 隊列が南門の前で止まった。


 レクスが前に出た。鎧が軋む音。聖剣の柄に手をかけて、顎を上げる。声が、街壁を越えて響いた。


「ラスティカの諸君に告ぐ!」


 張り上げた声だった。群衆に向かって語りかける声。勇者としての声。だが、俺の耳には分かった。あの声には芯がない。かつてのレクスの声は、黙っていても人を従わせる力があった。今のこの声は、力で張り上げることでしか届かない声だ。


「教会異端審問局の命により、悪魔契約者・灰原カイトの身柄拘束を行う! 正義の名のもとに、悪魔契約者を裁く!」


 正義。


 その言葉が、秋の空に吸い込まれていった。


 街の中がざわめいた。南門の内側に住人が集まり始めていた。商人。職人。農夫。冒険者。子供。老人。ラスティカの街の人間が、南門に向かって流れてきている。通りを挟んで人垣ができて、互いの顔を見ながら囁き合っている。


 反応は、割れた。


「教会が来たぞ。悪魔契約者を引き渡せば穏便に済むんじゃねぇか」


「馬鹿言うな。カイトはこの街に貢献してるだろうが」


「でもよ、五十人だぞ。勇者に教会の聖騎士三十人。逆らって勝てるわけねぇだろ」


「カイトが街を出て行けば済む話だ。一人のためにラスティカを危険に晒すのか?」


「一人のためじゃねぇだろ。俺はカイトに命を助けてもらった。あいつを見捨てるのか」


 声が入り乱れている。恐怖と義理と打算と怒り。ラスティカの住人たちの感情が、生のまま南門の前にぶちまけられていた。


 ドルクが南門に現れた。


 禿頭に豊かな顎髭。樽のような体型。両腕に古い戦傷。元Aランク冒険者のギルドマスターが、門の上に立って、街の内と外を見下ろした。


「……静まれ」


 低い声が、街を黙らせた。ドルクの声には、五十年の経験が持つ重みがある。怒鳴ったのではない。ただ「静まれ」と言っただけだ。それだけで、数百人の声が止まった。


「ギルドとしての見解を述べる」


 ドルクの目が、門の外のレクスを見下ろした。それから、門の内側の住人たちを見た。


「冒険者ギルド・ラスティカ支部は、今回の件について中立を取る」


 ざわめきが広がった。


「中立?」「助けないのか?」「当然だろ、教会相手に正面切って戦えるわけない」。


 ドルクが片手を上げて、再び黙らせた。


「中立だ。ギルドとして教会に対抗はしない。だが」


 ドルクの目が、酒場の窓際に立っている冒険者たちを見た。あの目を、俺は知っている。マルクスが来た時と同じ目だ。公式には口に出せないが、目で伝える。辺境のギルドマスターが、権力と筋の間で見つけた細い道。


「ギルドの登録者が、個人の判断で誰かに味方することを、ギルドは禁じない。辺境には辺境のルールがある。筋の通った行動を、好きにしろ」


 酒場の中で、何人かの冒険者が立ち上がった。


 渓谷でカイトに助けられた男がいた。あの時「悪かった」と小さく謝った男だ。嘆きの地下墓地の話を聞いて「すげぇじゃねぇか」とジョッキを掲げた赤ら顔の男がいた。名前も知らない冒険者が、三人、四人と椅子を蹴って立った。


 全員ではない。半分にも満たない。だが、立ち上がった者がいた。


 その光景を、街壁の上から見下ろしていた。喉の奥が熱くなった。呑み込んだ。今は感傷に浸っている場合じゃない。



 ◇



 宿の部屋。四人が集まった。窓から差し込む午前の光が、テーブルの上に白い四角を作っている。


「逃げるという選択肢は、ある」


 メルティアが最初に言った。


 壁に背を預けて腕を組んでいる。赤い瞳は冷静だ。声も平坦だ。だが、組んだ腕の指先が微かに爪を立てている。外套の布に、小さな皺が寄っていた。


「ラスティカを捨てて、もっと遠い辺境に逃げる。国境を越えることもできる。私の力を使えば、追跡を撒くことは難しくない」


「……メルティア」


「選択肢として提示しているだけよ。あなたが逃げたいなら、私は全力で逃がす。それが契約者への義務だから」


 義務。その言葉を選んだことが、全てだった。義務と言い張ることで、別の何かに蓋をしている。組んだ腕を解いて、また組み直した。赤い瞳が、一瞬だけ窓の外に向いて、すぐに戻った。


 リーゼが口を開いた。


「カイト。あなたの判断に従うわ。逃げるなら一緒に逃げる。戦うなら一緒に戦う」


 碧い瞳に迷いがなかった。リーゼはいつもそうだ。決断を俺に預けて、どちらにでも全力でついてくる。その信頼が重い。嬉しい重さだが、責任の重さでもある。


 シアは何も言わなかった。紫の瞳で俺を見つめている。両手が膝の上で組まれていて、指先が白い。怖いのだろう。教会は彼女を追放した側だ。あの白い法衣と銀の鎧の隊列は、シアにとっては悪夢の再来に等しい。


 だが、シアの紫の瞳は俺から逸れなかった。怖くても、ここにいると決めている目。


 俺は窓の外を見た。


 ラスティカの街並み。小さな街の、小さな屋根。赤い瓦と灰色の石壁が秋の日差しに照らされて、穏やかに光っている。その向こうに、丘陵地帯が広がっている。枯れ草色の丘が幾つも重なって、地平線の手前で霞んでいる。


 丘陵の先に、ミルフィ村がある。


 ユイがいる。


 窓から目を閉じた。


 暗闇の中で、二つの道が並んでいた。


 逃げる。メルティアの言う通り、国境を越えて、誰も知らない土地でやり直す。名前を変えて、髪を染めて、左腕を布で巻いて。新しい街で、新しい依頼を受けて、新しい日常を作る。


 できる。やろうと思えば、できてしまう。


 だが、逃げた先に何がある。


 ラスティカを捨てる。ドルクが守ってくれた居場所を。リタが「書類はちゃんと書いてね」と笑ってくれる受付を。渓谷で「悪かった」と謝ってくれた冒険者を。椅子を蹴って立ち上がってくれた者たちを。


 そしてユイを。


 ミルフィ村はラスティカから馬車で半日の距離だ。俺が逃げれば、教会はユイのところにも行く。悪魔契約者の妹として。魔素病で動けない十四歳の少女が、教会の尋問を受ける。


 その映像が、瞼の裏に浮かんだ。ユイの紫がかった灰色の瞳が、白い法衣の男たちに囲まれて、怯えている。「お兄ちゃんはどこですか」と聞かれて、答えられないでいる。


 胃の底が冷えた。指先の感覚が薄くなる。追放の夜と同じ感覚だ。あの時は、何もかもを奪われる恐怖だった。今は、守れないかもしれないという恐怖。


 目を開けた。


「逃げるのは簡単だ」


 声が出た。自分の声が、妙に静かだった。心臓は速く打っている。掌に汗が滲んでいる。だが、声だけは静かだった。


「でも、この街にはユイがいる。俺が逃げたら、教会はユイのところにも行くかもしれない。悪魔契約者の妹として」


 誰も反論しなかった。部屋の中に、窓の外の風の音だけが流れていた。


「逃げるわけにはいかない」


 左腕の魔印が脈打っている。肩まで広がった黒い紋様。代償を払い続けてきた腕。この腕で悪魔と握手した夜から、全てが始まった。


「ここで決着をつける。レクスと。教会と。俺が悪魔契約者だという事実と」


 言い終えた瞬間、胸の中の何かが定まった。振り子が止まるように。迷いが消えたのではない。迷いを抱えたまま、それでも選んだという感覚。足の裏が、床を踏んでいる実感が戻ってきた。


 リーゼが立ち上がった。椅子が床を擦る音。


「なら、作戦を立てましょう。相手は五十人。こっちは四人。でも、人数だけが戦争じゃないわ」


 碧い瞳が、もう戦闘の計算を始めている。リーゼは決断が降りた瞬間に切り替わる。感傷から実務へ。その速さが、この少女の強さだ。


 メルティアの唇が微かに緩んだ。腕を組んだ指先から、力が抜けていた。


「あら。逃げないのね」


「逃げない」


「……ふふ。馬鹿ね。でも」


 赤い瞳が、静かに光った。義務、と言い張っていた声とは別の声。


「嫌いじゃないわよ。そういうところ」


 シアが両手を胸の前で組んだ。紫の瞳の震えが、止まっていた。


「カイトさん。私の聖属性、使ってください。教会の聖騎士が相手なら、聖属性同士で戦えます」


「ああ。頼りにしてる」


 四人で顔を見合わせた。


 窓の外から、微かに地面の振動が伝わってきた。五十人の足音が、ラスティカの南門に近づいている。鎧の軋む音が、風に乗って聞こえる。


 ロスト・エデン。追放者たちのパーティ。


 勇者と教会が「正義」を掲げて来るなら、こちらは「正義」など掲げない。ただ、守るべきものを守るために戦う。


 それだけで十分だ。


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