第19話 それでも、依頼を受ける
噂が広まっても、依頼は受けた。
毎朝ギルドに行き、掲示板を見て、依頼書を取る。受付に持っていく。リタが受理する。いつも通りの手順。いつも通りの朝。
ただ、いつも通りではない部分もあった。
「はい、Cランク魔物討伐、受理ね。……カイト」
リタが栗色のポニーテールを揺らして、声を潜めた。そばかすの散った顔が、いつもより少しだけ真剣だった。
「街道を使う依頼は、しばらく気をつけて。近隣の街から来た冒険者の中に、あなたのこと快く思ってない連中がいるから」
「知ってる。昨日、石を投げられた」
「……聞いた。ドルクが怒ってたわよ。『うちのギルドの登録者に手を出す馬鹿は叩き出す』って」
「大事にしなくていい。俺のせいで街が荒れるのは望んでない」
「あなたのせいじゃないでしょ」
リタの声が少し尖った。受付嬢の業務的な声ではない。
「あなたは依頼をこなして、報酬を受け取って、この街に貢献してる。それが全てよ。噂なんか、数字の前じゃ無意味。はいはい、書類はちゃんと書いてね」
依頼書を押し返された。リタの手が、一瞬だけ俺の手に触れた。「頑張れ」とも「気にするな」とも言わなかった。ただ、手の温度だけが残った。
◇
依頼をこなした。
街道沿いの魔物討伐。南の森の素材採取。東の農村の害獣駆除。どれも地味な仕事だ。だが、依頼を出した人間にとっては死活問題であり、ロスト・エデンが来てくれれば助かる案件だった。
依頼を達成するたびに、依頼主が礼を言う。農村のおばあちゃんが「ありがとうね、冒険者さん」と焼き芋をくれた。害獣に畑を荒らされていた農夫が「助かった、本当に助かった」と頭を下げた。
彼らは俺の噂を知っているのか、知らないのか。知っていても、畑を守ってくれた相手に文句は言わない。辺境の人間は、実利を見る。
だが街に戻れば、視線は冷たかった。冒険者たちの囁き。道端で顔を背ける住人。酒場での空席。
二つの世界を行き来している気分だった。街の外では必要とされ、街の中では疎まれる。
◇
一週間が経った頃、緊急依頼が出た。
ラスティカ南西の渓谷で、冒険者パーティが魔物に囲まれて身動きが取れなくなっている。救援要請。ギルドの鐘が鳴った。
「救援要請はBランク以上のパーティに限る。……だが」
受付の男が酒場を見回した。
「Bランク以上のパーティが今日は出払ってる。残ってるのは——」
視線が俺たちのテーブルに来た。暫定Cランクのロスト・エデン。
他の冒険者たちも振り返った。だが、手を挙げる者はいない。救援任務は危険だ。しかも今回は渓谷地帯で、地形が悪い。
手を挙げた。
「俺たちが行く」
酒場がざわめいた。「悪魔契約者が行くのか」「大丈夫かよ」。囁きが飛び交う。だが、他に手を挙げる者がいない以上、選択肢はなかった。
南西の渓谷まで全力で走った。リーゼが先頭。俺が二番目。シアとメルティアが続く。
渓谷に着いた。
崖に挟まれた細い谷底。両側が切り立っていて、逃げ場がない。谷底に四人の冒険者が追い詰められていた。
見覚えがあった。
三日前、俺に石を投げた三人のうちの二人がいた。残りの二人は別の冒険者だが、四人パーティで渓谷に入ったらしい。
魔物はロック・ワイバーン。渓谷に棲む飛行型の爬虫類。翼幅三メートル。鋭い爪と牙。二体が崖の上から谷底を見下ろしていて、もう一体が地上で冒険者たちを追い詰めている。
「……あの連中か」
リーゼが言った。碧い瞳が冷たい。石を投げた相手だと分かっている。
「助けるの?」
「当たり前だ」
「……分かってるわよ。聞いただけ」
リーゼが剣を抜いた。碧い瞳の冷たさが消えて、代わりに戦闘の集中が入った。
「シア、後方で回復の準備。メルティア、崖上の二体を牽制。カイト、地上の一体を」
「了解」
飛び込んだ。
地上のロック・ワイバーンが冒険者に襲いかかろうとしていた。大きな爪が振り下ろされる。
風。突風が爪の軌道を逸らした。ワイバーンが体勢を崩す。その隙にリーゼが走り込み、翼の付け根に斬りつけた。ワイバーンが悲鳴を上げる。翼が垂れ下がった。
火と風。爆炎。圧縮された炎の螺旋がワイバーンの胸を直撃した。鱗が砕け、肉が灼ける。ワイバーンが倒れた。
口の中に鉄の味。軽い眩暈。だが動ける。
崖上の二体にメルティアが影縛りを仕掛けていた。翼を広げて飛び立とうとしたワイバーンの影が縫い止められ、バランスを崩して崖から転落した。もう一体が谷底に降りてくる。
雷。紫電がワイバーンの頭部を撃った。痙攣して動きが止まる。リーゼが飛び込んで、喉を一突き。
三体。三分。
谷底に静寂が戻った。
冒険者たちが、呆然と俺たちを見ていた。
石を投げた男と、目が合った。
男の顔は蒼白だった。傷だらけで、鎧が裂けている。ロック・ワイバーンに追い詰められて、死を覚悟していた顔。
「……大丈夫か」
手を差し出した。
男は俺の手を見つめていた。三日前、石を投げた手と同じ手を。数秒間、動かなかった。
やがて、男の手が伸びた。俺の手を掴んだ。強く。震えている手だった。
「…………悪かった」
小さな声だった。俺にだけ聞こえるほど小さい。
「石、投げたの……悪かった」
「気にするな」
「いや……お前が来なけりゃ、死んでた」
男を引き起こした。他の三人も立ち上がった。全員が軽傷で済んでいた。シアが回復魔法をかけて、傷を塞いでいく。白銀の光が、暗い渓谷の中で柔らかく輝いた。
石を投げた男は、シアの回復を受けながら、何度も俺の方を見ていた。何か言いたそうで、だが言葉が見つからない顔。
俺は背を向けた。それ以上何も言う必要はなかった。
◇
宿に戻ったのは、日が暮れてからだった。
部屋で一人、窓の外を見ていた。ラスティカの夜景。小さな街の、小さな灯り。
ユイのことを考えていた。
噂は辺境の街から近隣に広がっている。商人の口に乗って、さらに遠くに。いずれミルフィ村にも届くだろう。「お兄ちゃんが悪魔に魂を売った」という噂が。
ユイは、どう思うだろう。
あの子は魔素病で村の診療所にいる。外の情報は限られている。だが、いつかは届く。商人か、旅人か、誰かの口から。
ユイの紫がかった灰色の瞳が浮かんだ。あの目で「お兄ちゃん、本当なの?」と聞かれたら。
……嘘はつけない。つく気もない。
魂を売ったのは事実だ。ユイを守るためだ。それを後悔してはいない。
だが、ユイにそれを知られることが怖い。悪魔と契約したこと自体ではなく、ユイがそれを知った時に感じるであろう痛みが。兄がそこまで追い詰められていたことを知る痛みが。
手紙を書こうとして、やめた。何を書けばいいのか分からなかった。「元気です」と嘘を書くのか。「悪魔と契約しました」と本当のことを書くのか。
どちらも違う気がした。
ペンを置いた。窓の外を見た。月が出ている。
ノアの声が、外套の中から聞こえた。
「悩んでいるな」
「……分かるのか」
「千年も魔導書の中にいれば、人間の沈黙くらい読めるようになる」
ノアの声が、いつもより少しだけ柔らかかった。
「お前の選択は間違っていない。妹を救うために力を求めた。その結果として世界に嫌われるなら、世界の方が間違っている」
「……世界が間違ってるかどうかは、俺が決めることじゃない」
「ならば、お前が決めるべきことだけを決めろ。明日も依頼を受ける。仲間を守る。妹に薬を届ける。それだけでいい。世界の評価は、後からついてくる」
千年の知恵は、時々まっすぐに刺さる。
「……ああ。そうだな」
窓を閉めた。ベッドに座った。左腕の魔印が、袖の下で脈打っている。肩まで広がった黒い紋様。不可逆の代償。
だが、明日もギルドに行く。依頼を受ける。石を投げられるかもしれない。目を逸らされるかもしれない。
それでも、依頼を受ける。
仲間がいる。ユイがいる。守るべきものがある。
それだけあれば、十分だ。
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