表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/13

第13話 追放された聖女

 レクスたちが王都に戻って、二日が経った。


 ラスティカの日常は何事もなかったかのように続いている。冒険者たちはギルドで依頼を受け、酒場で酒を飲み、街道で魔物を倒す。勇者パーティが来て去ったことなど、辺境の街にとっては小さな出来事に過ぎなかった。


 だが、俺の中には小さな棘が残っていた。


 アリアの目。あの最後の瞬間、俺の左腕を見ていた眼鏡の奥の瞳。風読みのスキルで魔力の異常を感知したはずだ。あれがレクスに伝わるのは、時間の問題だろう。


 考えても仕方がない。今できることをやる。


「カイト、依頼選びに集中して」


 リーゼの声で我に返った。ギルドの酒場。朝の依頼選び。いつもの時間。いつもの席。


「悪い。ちょっと考え事してた」


「レクスのこと?」


「…………まあ」


「終わったことよ。次」


 リーゼの碧い瞳が、掲示板に向いた。切り替えが早い。この少女は感傷に浸る時間を無駄だと思っている。没落貴族として放り出されてから、一人で生きてきた人間の合理性だ。


 メルティアが朝からエールを飲みながら、窓の外を見ていた。赤い瞳がぼんやりと街路を眺めている。


「今日は天気がいいわね。依頼の後、市場を見て回りたいわ」


「いいけど、また余計なものを買うなよ」


「余計なものなんて買ってないわ。全部必要なものよ」


「香辛料を十二種類も買う必要はないだろ」


「料理に使うの」


「お前は料理しないだろ」


「いつかする予定よ♪」


 いつもの朝だ。こういう何でもない時間が、少しずつ大切になっていく。


 依頼書を選んで受付に向かおうとした時だった。


 ギルドの入口が開いた。


 入ってきたのは、見知らぬ冒険者だった。息を切らしている。革鎧に泥がついていて、額に汗が光っている。走ってきたらしい。


「おい、誰か! 北門の前に人が倒れてる! 子供だ! 女の子!」


 酒場がざわめいた。


 受付の男が腰を上げた。


「子供? 冒険者か?」


「分からねぇ! でもボロボロだ! 何日も歩いてきたみたいで、足から血が出てる!」


 俺は立ち上がっていた。考えるより先に体が動いていた。最近、こういうことが多い。


「行こう」


「ええ」


 リーゼが剣を確認して立つ。メルティアもエールを置いて続いた。



 ◇



 北門の前に、人だかりができていた。


 街の住人と冒険者が数人、円になって何かを取り囲んでいる。近づくと、声が聞こえた。


「おい、大丈夫か? 聞こえるか?」


「水を持ってこい!」


「……あれ、耳が……」


 最後の一言で、人だかりの空気が変わった。声のトーンが下がる。怪訝。警戒。そして、嫌悪。


 人垣を押し分けて中に入った。


 少女が倒れていた。


 小柄だった。俺の肩に届くかどうか。銀色の長い髪が、土と砂にまみれて地面に広がっている。白い法衣は裾が擦り切れて泥だらけで、素足のサンダルは片方が千切れていた。足の裏から血が滲んでいる。何日も、何十キロも歩いてきた足だった。


 顔は伏せている。だが、髪の隙間から覗いた耳が――尖っていた。


 人間の耳ではない。先端が細く鋭く上を向いた、エルフの特徴。ただし、純血のエルフほど長くはない。半分。人間の耳とエルフの耳の、ちょうど中間。


 半エルフ。


 周りの人間たちの視線が冷えていく。辺境は身元を気にしない文化があるが、それでも半エルフへの偏見はある。人間でもエルフでもない中途半端な存在。どちらの社会にも属せない者。


「……おい、半エルフじゃねぇか」


「教会の法衣を着てるぞ。脱走者か?」


「関わるなよ。面倒事に巻き込まれる」


 人だかりが、少しずつ後退していく。助けようとしていた手が引っ込められる。さっきまで水を持ってこいと叫んでいた男が、目を逸らして去っていく。


 少女は動かない。息はある。浅く、不規則だが、胸が上下している。意識がない。


 膝をついた。


「おい、聞こえるか」


 返事はない。肩に触れた。小さい。骨が浮いている。ユイと同じだ。ユイと同じ、壊れそうな華奢さ。


 水袋を取り出して、少女の唇に近づけた。傾ける。水が唇の間に流れ込む。数秒して、喉がこくりと動いた。飲んでいる。反射だ。体が勝手に水を求めている。


「カイト。宿に運ぶわよ。このまま放置はできないわ」


 リーゼが少女の反対側に膝をついていた。碧い瞳に、迷いはなかった。半エルフだとか、教会の法衣だとか、そんなことは関係ないという顔。


「ああ」


 少女を背負った。軽い。恐ろしいほど軽い。ユイより軽いかもしれない。肋骨が背中に当たるのが分かった。


 宿に運ぶ途中、メルティアが俺の横を歩いていた。赤い瞳が少女の顔を見ている。いつもの飄々とした表情が、微かに変わっていた。何かを確かめるような目。


「……ねえ、カイト」


「なんだ」


「この子、聖属性の気配がするわ」


 声が低い。俺にだけ聞こえる声量。


「聖属性?」


「かなり強い。それも、先天的なもの。……聖女、かもしれないわね」


 聖女。教会が認定した、聖属性の魔法を先天的に持つ少女。


 教会の白い法衣。半エルフの耳。行き倒れ。


 ――追放された聖女、か。


 背中の少女の体温が、外套越しにじんわりと伝わってくる。温かい。だが、その奥に冷たさがある。何日も一人で歩いてきた人間の、消耗しきった体の冷たさ。



 ◇



 宿の空き部屋にベッドを借りて、少女を寝かせた。


 リーゼが濡れた布で少女の顔を拭いた。泥と汗が落ちると、白い肌が現れた。整った顔立ち。目を閉じた顔は穏やかだが、眉の間にうっすらと皺が刻まれていた。眠っていても消えない緊張。ずっと何かに怯えていた人間の表情だ。


 足の手当をした。足裏の傷を洗って、布を巻く。傷は深くはないが、砂と泥が入り込んでいて、治りが遅くなりそうだ。回復薬を少量塗った。


「……ん」


 少女の睫毛が揺れた。


 目が開いた。


 紫色の瞳。


 人間にもエルフにもない色。透き通った紫。宝石のような深さと、空のような広さを同時に持つ不思議な色。


 紫の瞳が、天井を見つめていた。数秒間、何も理解できていない目。それから、ゆっくりと焦点が合った。視界に俺の顔が映る。


 びくりと体が跳ねた。


「っ……!」


 反射的に起き上がろうとして、体が言うことを聞かなかったのだろう。肘が折れて、そのまま枕に倒れ込んだ。


「落ち着け。危険はない。ここはラスティカの宿だ」


「……ら、すてぃか?」


 声は小さかった。掠れている。何日も水を満足に飲んでいなかった喉の声。


「辺境の街だ。お前は北門の前で倒れてた。運んできた」


 少女の紫の瞳が、俺の顔をじっと見た。それから、部屋の中を見回した。リーゼがベッドの脇に立っている。メルティアが壁際に寄りかかっている。


「……あなたたちが、助けてくれたんですか」


「まあ、そうなる」


「………………ありがとう、ございます」


 声が震えていた。感謝の言葉を口にしただけで、紫の瞳に涙が溜まった。堪えようとしている。唇を噛んで、目を瞬かせて、必死に堪えている。


 だが、堪えきれなかった。


 涙が一筋、頬を伝った。白い肌の上を、光の粒が転がっていく。


「……ごめんなさい。泣くつもり、なかったのに」


「泣いていいよ。いきなり知らない場所で目が覚めたら、そうなるだろう」


「違うんです。泣いてるのは、怖いからじゃなくて」


 少女が両手で顔を覆った。小さな手。細い指。尖った耳が、銀色の髪の間から覗いている。


「……助けてもらえると、思わなかったんです。ずっと、誰も助けてくれなかったから」


 声が途切れた。嗚咽が漏れる。小さな体が震えている。


 何も言えなかった。言葉ではどうにもならない種類の涙だった。


 リーゼが静かにベッドの端に座った。少女の背中に、そっと手を置いた。何も言わずに。ただ、手の温度だけを伝えるように。


 少女の嗚咽が、少しずつ収まっていった。


 数分後。少女が顔を上げた。目が赤い。だが、さっきよりも目の奥に光があった。


「……私、シアといいます。シア・ルナティーク」


「灰原カイト。こっちがリーゼ。あっちがメルティア」


「カイト、さん。リーゼ、さん。メルティア、さん」


 一人ずつ名前を呼んだ。大切なものを確かめるように、ゆっくりと。


「……教えてくれますか。ここは、安全ですか」


「少なくとも、俺たちがいる限りは安全だ」


 シアの紫の瞳が、俺をまっすぐ見た。信じていいのか迷っている目。だが、信じたいと願っている目。


「私は……教会から追放されました」


 声が、一段低くなった。告白する声だ。


「聖女の力を持っていました。でも、半エルフだから。人間でもエルフでもない存在が聖女であってはならない、と。教会はそう判断しました」


 淡々と語っている。だが、その淡々さの下に、何年分もの痛みが押し込められている。


「聖女の称号を剥奪されて、教会から追い出されました。行く宛もなくて、辺境に向かって歩いてきました。辺境なら……身元を聞かれないって、聞いたから」


 身元を聞かれない辺境。それはカイトがラスティカを選んだ理由と同じだ。リーゼがこの街にいる理由と同じだ。


 追放者が流れ着く場所。


「……また追放者か」


 思わず口を突いて出た。


 シアがびくりとした。紫の瞳が揺れる。拒絶されると思ったのだろう。


「いや、そうじゃない。責めてるんじゃないんだ」


 頭を掻いた。言葉の選び方を間違えた。


「うちのパーティ、追放者しかいないな、って思っただけだ」


 リーゼが小さく吹き出した。碧い瞳が笑っている。


「否定できないわね」


 メルティアが壁際で肩をすくめた。


「私は追放されてないわよ。自主的に来たの♪」


「お前の場合は別だ」


 シアが俺たちの顔を順番に見た。紫の瞳に、困惑と――微かな安堵が混じっている。


「……追放者のパーティ?」


「ロスト・エデン。失楽園。追放された奴らが集まった冒険者パーティだ」


「失楽園……」


 シアが、その言葉を噛みしめるように繰り返した。


「いい名前ですね。……とても」


 紫の瞳に涙はもうなかった。代わりに、微かな光が灯っていた。小さな、消えそうなほど小さな光。だが、確かにそこにある。


 希望、と呼ぶには早すぎる。だが、絶望ではない。


 シアの体はまだ痩せていて、足は傷だらけで、尖った耳は教会に否定された証だ。


 だが、この子は生きて、ここまで歩いてきた。


 それだけで、十分だと思った。


読んで下さりありがとうございました!

★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!

Youtubeにて作品公開中!

http://www.youtube.com/@mizukara-h2z

ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ