第13話 追放された聖女
レクスたちが王都に戻って、二日が経った。
ラスティカの日常は何事もなかったかのように続いている。冒険者たちはギルドで依頼を受け、酒場で酒を飲み、街道で魔物を倒す。勇者パーティが来て去ったことなど、辺境の街にとっては小さな出来事に過ぎなかった。
だが、俺の中には小さな棘が残っていた。
アリアの目。あの最後の瞬間、俺の左腕を見ていた眼鏡の奥の瞳。風読みのスキルで魔力の異常を感知したはずだ。あれがレクスに伝わるのは、時間の問題だろう。
考えても仕方がない。今できることをやる。
「カイト、依頼選びに集中して」
リーゼの声で我に返った。ギルドの酒場。朝の依頼選び。いつもの時間。いつもの席。
「悪い。ちょっと考え事してた」
「レクスのこと?」
「…………まあ」
「終わったことよ。次」
リーゼの碧い瞳が、掲示板に向いた。切り替えが早い。この少女は感傷に浸る時間を無駄だと思っている。没落貴族として放り出されてから、一人で生きてきた人間の合理性だ。
メルティアが朝からエールを飲みながら、窓の外を見ていた。赤い瞳がぼんやりと街路を眺めている。
「今日は天気がいいわね。依頼の後、市場を見て回りたいわ」
「いいけど、また余計なものを買うなよ」
「余計なものなんて買ってないわ。全部必要なものよ」
「香辛料を十二種類も買う必要はないだろ」
「料理に使うの」
「お前は料理しないだろ」
「いつかする予定よ♪」
いつもの朝だ。こういう何でもない時間が、少しずつ大切になっていく。
依頼書を選んで受付に向かおうとした時だった。
ギルドの入口が開いた。
入ってきたのは、見知らぬ冒険者だった。息を切らしている。革鎧に泥がついていて、額に汗が光っている。走ってきたらしい。
「おい、誰か! 北門の前に人が倒れてる! 子供だ! 女の子!」
酒場がざわめいた。
受付の男が腰を上げた。
「子供? 冒険者か?」
「分からねぇ! でもボロボロだ! 何日も歩いてきたみたいで、足から血が出てる!」
俺は立ち上がっていた。考えるより先に体が動いていた。最近、こういうことが多い。
「行こう」
「ええ」
リーゼが剣を確認して立つ。メルティアもエールを置いて続いた。
◇
北門の前に、人だかりができていた。
街の住人と冒険者が数人、円になって何かを取り囲んでいる。近づくと、声が聞こえた。
「おい、大丈夫か? 聞こえるか?」
「水を持ってこい!」
「……あれ、耳が……」
最後の一言で、人だかりの空気が変わった。声のトーンが下がる。怪訝。警戒。そして、嫌悪。
人垣を押し分けて中に入った。
少女が倒れていた。
小柄だった。俺の肩に届くかどうか。銀色の長い髪が、土と砂にまみれて地面に広がっている。白い法衣は裾が擦り切れて泥だらけで、素足のサンダルは片方が千切れていた。足の裏から血が滲んでいる。何日も、何十キロも歩いてきた足だった。
顔は伏せている。だが、髪の隙間から覗いた耳が――尖っていた。
人間の耳ではない。先端が細く鋭く上を向いた、エルフの特徴。ただし、純血のエルフほど長くはない。半分。人間の耳とエルフの耳の、ちょうど中間。
半エルフ。
周りの人間たちの視線が冷えていく。辺境は身元を気にしない文化があるが、それでも半エルフへの偏見はある。人間でもエルフでもない中途半端な存在。どちらの社会にも属せない者。
「……おい、半エルフじゃねぇか」
「教会の法衣を着てるぞ。脱走者か?」
「関わるなよ。面倒事に巻き込まれる」
人だかりが、少しずつ後退していく。助けようとしていた手が引っ込められる。さっきまで水を持ってこいと叫んでいた男が、目を逸らして去っていく。
少女は動かない。息はある。浅く、不規則だが、胸が上下している。意識がない。
膝をついた。
「おい、聞こえるか」
返事はない。肩に触れた。小さい。骨が浮いている。ユイと同じだ。ユイと同じ、壊れそうな華奢さ。
水袋を取り出して、少女の唇に近づけた。傾ける。水が唇の間に流れ込む。数秒して、喉がこくりと動いた。飲んでいる。反射だ。体が勝手に水を求めている。
「カイト。宿に運ぶわよ。このまま放置はできないわ」
リーゼが少女の反対側に膝をついていた。碧い瞳に、迷いはなかった。半エルフだとか、教会の法衣だとか、そんなことは関係ないという顔。
「ああ」
少女を背負った。軽い。恐ろしいほど軽い。ユイより軽いかもしれない。肋骨が背中に当たるのが分かった。
宿に運ぶ途中、メルティアが俺の横を歩いていた。赤い瞳が少女の顔を見ている。いつもの飄々とした表情が、微かに変わっていた。何かを確かめるような目。
「……ねえ、カイト」
「なんだ」
「この子、聖属性の気配がするわ」
声が低い。俺にだけ聞こえる声量。
「聖属性?」
「かなり強い。それも、先天的なもの。……聖女、かもしれないわね」
聖女。教会が認定した、聖属性の魔法を先天的に持つ少女。
教会の白い法衣。半エルフの耳。行き倒れ。
――追放された聖女、か。
背中の少女の体温が、外套越しにじんわりと伝わってくる。温かい。だが、その奥に冷たさがある。何日も一人で歩いてきた人間の、消耗しきった体の冷たさ。
◇
宿の空き部屋にベッドを借りて、少女を寝かせた。
リーゼが濡れた布で少女の顔を拭いた。泥と汗が落ちると、白い肌が現れた。整った顔立ち。目を閉じた顔は穏やかだが、眉の間にうっすらと皺が刻まれていた。眠っていても消えない緊張。ずっと何かに怯えていた人間の表情だ。
足の手当をした。足裏の傷を洗って、布を巻く。傷は深くはないが、砂と泥が入り込んでいて、治りが遅くなりそうだ。回復薬を少量塗った。
「……ん」
少女の睫毛が揺れた。
目が開いた。
紫色の瞳。
人間にもエルフにもない色。透き通った紫。宝石のような深さと、空のような広さを同時に持つ不思議な色。
紫の瞳が、天井を見つめていた。数秒間、何も理解できていない目。それから、ゆっくりと焦点が合った。視界に俺の顔が映る。
びくりと体が跳ねた。
「っ……!」
反射的に起き上がろうとして、体が言うことを聞かなかったのだろう。肘が折れて、そのまま枕に倒れ込んだ。
「落ち着け。危険はない。ここはラスティカの宿だ」
「……ら、すてぃか?」
声は小さかった。掠れている。何日も水を満足に飲んでいなかった喉の声。
「辺境の街だ。お前は北門の前で倒れてた。運んできた」
少女の紫の瞳が、俺の顔をじっと見た。それから、部屋の中を見回した。リーゼがベッドの脇に立っている。メルティアが壁際に寄りかかっている。
「……あなたたちが、助けてくれたんですか」
「まあ、そうなる」
「………………ありがとう、ございます」
声が震えていた。感謝の言葉を口にしただけで、紫の瞳に涙が溜まった。堪えようとしている。唇を噛んで、目を瞬かせて、必死に堪えている。
だが、堪えきれなかった。
涙が一筋、頬を伝った。白い肌の上を、光の粒が転がっていく。
「……ごめんなさい。泣くつもり、なかったのに」
「泣いていいよ。いきなり知らない場所で目が覚めたら、そうなるだろう」
「違うんです。泣いてるのは、怖いからじゃなくて」
少女が両手で顔を覆った。小さな手。細い指。尖った耳が、銀色の髪の間から覗いている。
「……助けてもらえると、思わなかったんです。ずっと、誰も助けてくれなかったから」
声が途切れた。嗚咽が漏れる。小さな体が震えている。
何も言えなかった。言葉ではどうにもならない種類の涙だった。
リーゼが静かにベッドの端に座った。少女の背中に、そっと手を置いた。何も言わずに。ただ、手の温度だけを伝えるように。
少女の嗚咽が、少しずつ収まっていった。
数分後。少女が顔を上げた。目が赤い。だが、さっきよりも目の奥に光があった。
「……私、シアといいます。シア・ルナティーク」
「灰原カイト。こっちがリーゼ。あっちがメルティア」
「カイト、さん。リーゼ、さん。メルティア、さん」
一人ずつ名前を呼んだ。大切なものを確かめるように、ゆっくりと。
「……教えてくれますか。ここは、安全ですか」
「少なくとも、俺たちがいる限りは安全だ」
シアの紫の瞳が、俺をまっすぐ見た。信じていいのか迷っている目。だが、信じたいと願っている目。
「私は……教会から追放されました」
声が、一段低くなった。告白する声だ。
「聖女の力を持っていました。でも、半エルフだから。人間でもエルフでもない存在が聖女であってはならない、と。教会はそう判断しました」
淡々と語っている。だが、その淡々さの下に、何年分もの痛みが押し込められている。
「聖女の称号を剥奪されて、教会から追い出されました。行く宛もなくて、辺境に向かって歩いてきました。辺境なら……身元を聞かれないって、聞いたから」
身元を聞かれない辺境。それはカイトがラスティカを選んだ理由と同じだ。リーゼがこの街にいる理由と同じだ。
追放者が流れ着く場所。
「……また追放者か」
思わず口を突いて出た。
シアがびくりとした。紫の瞳が揺れる。拒絶されると思ったのだろう。
「いや、そうじゃない。責めてるんじゃないんだ」
頭を掻いた。言葉の選び方を間違えた。
「うちのパーティ、追放者しかいないな、って思っただけだ」
リーゼが小さく吹き出した。碧い瞳が笑っている。
「否定できないわね」
メルティアが壁際で肩をすくめた。
「私は追放されてないわよ。自主的に来たの♪」
「お前の場合は別だ」
シアが俺たちの顔を順番に見た。紫の瞳に、困惑と――微かな安堵が混じっている。
「……追放者のパーティ?」
「ロスト・エデン。失楽園。追放された奴らが集まった冒険者パーティだ」
「失楽園……」
シアが、その言葉を噛みしめるように繰り返した。
「いい名前ですね。……とても」
紫の瞳に涙はもうなかった。代わりに、微かな光が灯っていた。小さな、消えそうなほど小さな光。だが、確かにそこにある。
希望、と呼ぶには早すぎる。だが、絶望ではない。
シアの体はまだ痩せていて、足は傷だらけで、尖った耳は教会に否定された証だ。
だが、この子は生きて、ここまで歩いてきた。
それだけで、十分だと思った。
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