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第10話 嘆きの将軍

 第四層は、墓地だった。


 回廊ではない。天井の見えない暗闇の中に、石の墓標が無数に並んでいる。整列しているのではなく、傾いたり倒れたり、互いにもたれかかるように密集していた。墓標の間を縫うように進むしかない。視界が狭い。松明の光が墓標に遮られて、三メートル先が闇に沈む。


 空気が重い。第三層までの冷たさとは質が違う。冷たいのではなく、濃いのだ。魔素の密度が、呼吸を重くしている。肺に鉛を詰められたような圧迫感。全身の属性が反応して、ざわざわと肌の下で蠢いている。


「リッチ種の領域ね。……気をつけて」


 メルティアの声が低い。冗談の色がない。赤い瞳が闇を走査して、何かを探していた。


 最初のリッチは、墓標の影に立っていた。


 見た目はワイトに似ている。だが、決定的に違うのは、知性があることだった。腐敗した体の上にローブを纏い、手に杖を握っている。眼窩の中の光が、ワイトの青白い輝きとは違う。紫色の、意志ある光。


 リッチが杖を振った。


 詠唱なし。杖の先端から黒い霧が噴き出して、こちらに向かって這いずるように広がってきた。霧が触れた墓標の表面が、みるみる霜に覆われていく。


「呪霧よ! 触れたら魔素汚染を受ける!」


 メルティアが叫んだ。俺は右手を突き出した。


 風。呪霧を吹き散らす。だが、散った霧がすぐに集まり直す。リッチの杖から供給され続けているのだ。風だけでは意味がない。


「融合だ。光と火を重ねろ」


 ノアの声が外套の内側から響いた。


 光と火。浄化の力と、破壊の力。


 右手に光を呼んだ。体が透明になる感覚。全てが晒される恐怖。


 同時に、左手に火を呼ぶ。胸の奥の熱。怒りに似た炎。


 重ねる。ぶつけるんじゃない。光の中に火を通す。火の道を光が照らす。二つが一つの流れになった瞬間――


 掌の前に、白い炎が灯った。


 白い。赤でも橙でもない。光を含んだ炎は、白金色に輝いていた。熱いのに清浄。焼くのではなく、浄化しながら燃やす。矛盾した二つの力が、一つの形に収まっている。


「聖焔……」


 ノアの声が、微かに震えていた。


 放った。白い炎がリッチに向かって真っ直ぐ飛ぶ。呪霧を貫き、焼き尽くし、リッチの胸を撃ち抜いた。


 リッチの体が白く燃えた。紫色の光が悲鳴を上げるように揺れ、消えた。ローブが灰になり、杖が砕け、三百年分の怨念が白い火の中で浄化されていく。


 数秒で、何も残らなかった。


 口の中に鉄の味。視界の端がちらつく。融合魔法の反動だ。だが、遺跡で爆炎を使った時よりずっと軽い。光と火は相性がいい。重ねやすい属性同士だから、反動も小さい。


「……見事だな。光と火の融合、聖焔。アンデッドに対する最適解だ」


 ノアの声に、珍しく賞賛の色があった。


「だが、リッチはまだいるぞ。魔力を無駄にするな」


 第四層のリッチを三体倒した。聖焔の出力を調整して、必要最小限の魔力で浄化する。ノアの教えが効いていた。一体目は全力。二体目は七割。三体目は半分の出力で十分だった。


 リーゼは墓標の間を縫うように走り、リッチの詠唱を剣で妨害した。杖を叩き折るだけで、呪霧の供給が止まる。その隙に俺が聖焔を撃つ。


 メルティアの影縛りが、リッチの動きを二秒だけ止めてくれる。二秒あれば、聖焔を重ねるには十分だ。


 三人の連携が、噛み合っている。



 ◇



 第五層への入口は、巨大な石扉だった。


 高さ五メートル。幅は三メートル。扉の表面に、浮き彫りの紋章が刻まれていた。剣と盾を交差させた軍の紋章。三百年前、この墓地に葬られた将軍の印。


「……ここが最深部ね」


 リーゼが剣を抜いた。銀色の刃が松明の光を受けて、暗闇の中でほんの一瞬だけ輝いた。


「扉の向こうにいるのは、嘆きの将軍。Aランク相当のアンデッド騎士。……正直、うちのパーティの実力じゃ、本来手を出すべきじゃない相手よ」


「引き返すか?」


「聞いておいて自分は引く気がないくせに」


 リーゼが俺を見た。碧い瞳に、恐怖はなかった。覚悟がある。


「行くわよ。ロスト・エデンの名にかけて」


 石扉を押した。三人で。重い。腕に力を込めて押し込むと、ずず、と石が床を擦る低い音がした。隙間から冷気が吹き出す。髪が逆立つほどの冷たさ。


 扉が開いた。


 広間だった。天井が高い。十メートル以上ある。壁は磨かれた黒い石で、松明の光を吸い込むように反射しない。床には紋章が刻まれていた。巨大な陣。三百年前の軍旗と同じ意匠。


 広間の中央に、椅子があった。


 石の椅子。玉座のように大きい。そこに、座っていた。


 鎧を纏った骸骨。だが、第一層のスケルトンとは別の存在だ。鎧は三百年の歳月で錆びてもなお威厳を失っておらず、肩当てに刻まれた紋章が微かに発光していた。右手に大剣を握っている。刃渡りは一メートル半。人間が振るうには大きすぎる。


 眼窩の中に、赤紫の光が灯っていた。リッチの紫より深く、暗い。怨念ではない。もっと複雑な感情が凝縮された色。悲しみと、怒りと、忠誠と、後悔を煮詰めたような光。


 嘆きの将軍ジェネラル・オブ・ラメント


 将軍が、立ち上がった。


 鎧が軋む音が広間に響いた。ぎぃ、ぎぃ、と。三百年ぶりに動く関節が、錆を振り落としながら立ち上がる。大剣を持ち上げた。切っ先が天井を向く。


 そして、吼えた。


 声ではなかった。声帯なんてとっくに朽ちている。だが、体の奥から絞り出された魔素の振動が、広間全体を揺らした。壁が震える。床の紋章が反応して赤紫に発光する。


 空気の密度が跳ね上がった。呼吸が重い。体が動かない。


 殺気だ。三百年分の怨念が凝縮された殺気が、俺たちを押し潰そうとしている。


「散れ!」


 リーゼが叫んだ。三人が同時に左右に飛ぶ。


 将軍の大剣が振り下ろされた。床を叩いた衝撃で、石の床が放射状に砕けた。破片が飛び散って壁に突き刺さる。あの一撃を受けていたら、鎧ごと両断されていた。


 リーゼが右側から斬りかかった。剣が鎧に当たる。金属と金属がぶつかる高い音。火花が散った。


 浅い。鎧が硬い。リーゼの剣では、表面を削るのが精一杯だ。


 将軍がリーゼに向き直った。大剣が薙ぎ払われる。リーゼが身を低くして躱した。だが風圧だけで体が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられそうになった。


「メルティア!」


「分かってるわ」


 メルティアの影縛りが発動した。将軍の足元の影が、一瞬だけ固まる。


 一瞬。リッチには二秒効いた術が、将軍には一秒も持たなかった。影が砕けて、将軍が再び動き出す。


「……効きが悪いわね。格が高すぎるわ」


 メルティアの声に焦りはない。だが、表情が引き締まっている。


 俺は聖焔を放った。白い炎が将軍の胸を撃つ。


 ――効かない。


 いや、効いてはいる。鎧の表面が白く焼けた。だが、内部まで届かない。リッチを一撃で消した聖焔が、将軍の鎧を貫通できない。


「魔素の密度が違いすぎる。リッチの十倍はある。聖焔の出力を上げろ」


 ノアが言った。


「全力で!」


 全力の聖焔。光と火を限界まで注ぎ込む。白い炎が膨れ上がって、将軍の全身を包み込んだ。


 鎧が白熱する。赤紫の光が揺れる。だが――消えない。将軍は炎の中で大剣を振りかぶり、衝撃波を放った。聖焔が吹き散らされる。


 衝撃波が俺を直撃した。


 体が浮いた。壁に叩きつけられる。背中に激痛。息が止まる。肺の中の空気が全部押し出されて、視界が白く明滅した。


「カイト!」


 リーゼの声が遠い。


 床に崩れ落ちた。口の中が鉄の味だらけだった。視界がぐにゃりと歪む。将軍の姿が二重に見える。感覚侵食が始まっている。融合魔法を全力で使った反動だ。


 将軍がこちらに向かって歩いてくる。一歩ごとに床が震える。大剣を引きずる音が、金属の悲鳴のように響く。


 リーゼが将軍の前に立ちはだかった。


 銀の髪が揺れている。碧い瞳が真正面から将軍を見据えている。背筋がまっすぐ。剣を構えた姿は凛として美しかったが、腕が震えている。将軍の殺気を正面から受けて、体が反射的に竦んでいるのだ。


 それでも、退かない。


「カイトに手を出すな……!」


 将軍の大剣が振り下ろされた。リーゼが受けた。金属の衝突音。リーゼの膝が折れた。床に片膝をつく。両腕で剣を支えているが、将軍の力に押されて、じりじりと沈んでいく。


 メルティアが影縛りを重ねた。だが、また一秒しか持たない。


 一秒でリーゼが離脱した。転がるように将軍の懐から抜け出す。だが、右腕を押さえている。受けた衝撃で痺れたのだ。


 このままでは負ける。


 聖焔では足りない。影縛りでは止められない。リーゼの剣では斬れない。


 Aランクの敵に、Fランクのパーティが挑んでいる。当たり前の結論だ。格が違う。


 ――だが。


 俺の中に、まだ使っていない力がある。


 七つの属性の、更に奥。契約の時に開かれた扉の、一番深い場所。


 魔。


 禁忌属性。使えば魔印が広がる。広がった面積は、二度と元に戻らない。


 使うべきじゃない。理性がそう叫んでいる。


 だが、リーゼが死ぬ。


 将軍がリーゼに向かって大剣を振りかぶっている。リーゼは右腕が痺れて剣を片手でしか持てない。あの一撃を受けたら、今度は耐えられない。


 選択肢はなかった。


 左腕の魔印が、じくりと疼いた。呼んでいる。使え、と。


 手を伸ばした。体の一番深い場所に。


 ――魔を、喚んだ。


 世界が歪んだ。


 自分が自分でなくなる感覚。体の輪郭が溶ける。目の前の広間が、現実から一枚ずれたような、不安定な映像に変わる。力が溢れる。今まで感じたどの属性よりも圧倒的に、暴力的に。


 同時に、何かが指の隙間からこぼれ落ちていく。温かいものが。大切なものが。


 構うな。


 魔を、光に重ねた。


 禁忌の融合。魔蝕融合デモニック・フュージョン。光の浄化力を、魔の力で数倍に増幅する。矛盾の極致。聖と魔が一つになった力。


 右手から放たれた光は、白ではなかった。


 黒い光。


 矛盾している。光なのに黒い。だが、それ以外に表現のしようがなかった。闇を纏った光。浄化しながら侵食する。救いながら喰らう。


 黒い光が将軍を包み込んだ。


 将軍が、初めて足を止めた。大剣を構えたまま、動かない。赤紫の眼窩の光が、揺れている。


 黒い光が鎧を貫通した。内部の魔素が悲鳴を上げる。三百年分の怨念が、一瞬で焼き尽くされていく。


 将軍の体が、崩れ始めた。


 鎧が音を立てて落ちていく。肩当て。胸当て。腰当て。一つずつ、床に落ちる。金属が石を打つ音が、広間にこだまする。


 最後に残ったのは、将軍の頭蓋だけだった。赤紫の光が、微かに、弱く、瞬いている。


 消える直前。


 将軍の眼窩が、俺を見た気がした。怨念ではなかった。もっと穏やかな、安堵のような光。


 三百年間、死ねなかった兵士が、ようやく眠りにつく時の表情。


 光が消えた。頭蓋が崩れて、細かい粉になった。風もないのに、粉が舞い上がって、天井の暗闇に消えていった。


 静寂が落ちた。


 左腕が、灼けるように熱かった。


 袖をまくった。


 魔印が、広がっていた。


 手首から肘までだった紋様が、肘を超えて、上腕の途中まで伸びている。黒い模様が脈打つように明滅していた。触れると、火傷のように熱い。


 ――不可逆。使った分だけ広がる。二度と戻らない。


 分かっていた。分かっていて使った。


「カイト……」


 リーゼの声が聞こえた。


 振り返った。リーゼが立っていた。右腕を押さえたまま。碧い瞳が、俺の左腕を見ていた。


 袖をまくったまま。広がった魔印が、丸見えだった。


 黒い紋様。脈打つ明滅。人間の肌に刻まれるはずのないもの。見る者が見れば、一発で分かる。


 悪魔の契約印。


 リーゼの碧い瞳が、一瞬だけ、見開かれた。


 それから、揺れた。


 恐怖。困惑。そして――理解しようとする光。碧い瞳の中で、いくつもの感情が波のようにぶつかり合っている。


 沈黙が、痛かった。


「……ごめん。驚かせた」


 袖を下ろした。魔印を隠す。もう遅い。見られた。


 リーゼは黙っていた。数秒間。広間に将軍の残滓が漂う中で、碧い瞳が俺をまっすぐ見つめていた。


 やがて。


「……あなたの魔法は、人を守るためのものでしょう?」


 静かな声だった。震えてはいなかった。


「さっき、私を守るために。あの力を使ったんでしょう?」


「…………ああ」


「なら」


 リーゼが一歩、前に出た。碧い瞳が揺るがなかった。


「属性なんて、関係ないわ」


 その言葉に、重さがあった。


 貴族として育ち、家を奪われ、一人で放り出された少女が、「関係ない」と言い切った。悪魔の印を見た上で。恐怖を呑み込んだ上で。


 嘘じゃない。リーゼは嘘がつけない人間だ。


 喉の奥が熱くなった。呑み込んだ。


「……ありがとう」


「礼はいいわ。それより、腕を見せて。広がったんでしょう」


 リーゼが俺の左腕を取った。袖をまくり上げる。広がった魔印を、碧い瞳がなぞるように見た。医者が傷口を確認するような、冷静な目だった。


「……肘から上まで広がってるわね。痛みは?」


「熱い。だが、痛くはない」


「使うたびに広がるの?」


「ああ。たぶん」


「なら、次から使う時は、先に言って。私が別の方法を考えるから」


 別の方法。リーゼの剣では将軍に通じなかった。別の方法なんてなかった。だが、リーゼはそう言った。「次がある」前提で。一緒に考える前提で。


 袖を下ろした。リーゼの指が離れた。


 メルティアが、少し離れた場所に立っていた。赤い瞳で、こちらをじっと見ている。表情が読めない。いつもの笑みがない。だが、怒りでも失望でもなかった。


 何かを確かめるような、静かな目。



 ◇



 地上に出ると、夜だった。


 星が綺麗だった。追放された夜と同じ空だ。あの時は一人だった。今は、三人でいる。


 ギルドに戻って、報告をした。第五層踏破。嘆きの将軍討伐。受付の男は目を丸くして、それから、初めて笑った。


「……大したもんだ。Fランクが嘆きの将軍を倒すとはな」


 報酬は大銀貨五枚に加えて、ボス討伐の特別報酬として金貨一枚。合わせて一万五千レド。ユイの薬代五ヶ月分だ。


 酒場に座った。三人分のエールが並ぶ。メルティアがジョッキを掲げた。


「お疲れ様。……大仕事だったわね」


「ああ」


「腕、大丈夫?」


「平気だ」


「嘘つき」


 メルティアが笑った。いつもの笑顔。だが、赤い瞳の奥に、さっき見た静かな光がまだ残っていた。


 リーゼはエールを一口飲んで、ジョッキをテーブルに置いた。


「カイト」


「なんだ」


「あの印のこと。……いつか、全部教えてくれる?」


「……ああ。いつか」


「約束よ」


「約束する」


 リーゼが微笑んだ。小さく、静かに。碧い瞳が松明の光を映して、金色に揺れていた。


 左腕の魔印が、袖の下で脈打っている。前より広い。前より温かい。


 代償は払った。二度と戻らない形で。


 だが今夜は、三人分のエールの苦さと、仲間がいる温かさだけを感じていたかった。



 ◆



 王都レグナシオン。ギルド掲示板の前で、セレナが足を止めた。


「……ねえ、レクス。これ見て」


 セレナが指差した紙には、「辺境の街ラスティカにて、嘆きの地下墓地が踏破されました」の一文。討伐パーティ名:ロスト・エデン。ランク:F。


「Fランクが嘆きの将軍を……?」


「ロスト・エデン。聞いたことない名前ね。辺境の新参者かしら」


 レクスはその紙を見つめていた。Fランクという文字に、目が吸い寄せられていた。


 何故か。分からない。だが、胸の奥で聖剣が微かに震えた気がした。


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