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第1話 お前はクビだ

 大猪が突っ込んできた。


 体長は二メートルを超えている。濁った眼が殺意に光り、鼻先から吹き出す息が夜気を白く震わせた。


 俺はとっさに横へ跳んだ。地面を転がり、木の根に背中をぶつける。肋骨がきしむ。けど、慣れた痛みだ。この三年で何度受けたか数える気にもならない。


「邪魔だ、下がれッ!」


 レクスの怒号。直後、白銀の光が視界を貫いた。


 聖剣の一閃。大猪の巨体が横薙ぎに裂かれ、どさりと地面に崩れ落ちる。血と臓腑の匂いが夜の森に広がった。


「っしゃあ! 一撃ッスね、レクス様!」


 ガルドが盾を地面にどんと突き立て、無邪気に笑った。坊主頭に汗が光っている。巨体に似合わず、レクスの前ではいつも子供みたいな顔をする男だ。


 セレナが弓を下ろし、猫のように目を細めた。


「他に反応なし。……ま、あの程度じゃウォーミングアップにもならないわね」


 興味を失ったように背を向ける。小柄な体が闇に溶けかけた。


 Aランクパーティ「聖剣の導き」。勇者レクス・グランディアを中心に、鉄壁のガルド、鷹の目のセレナ、風読みのアリア。


 そして――後方で素材を回収する係の俺。灰原カイト。


「カイト、素材回収。牙と毛皮、傷つけんなよ」


 レクスは聖剣の血を払いながら、振り返りもせずに言った。


「了解」


 俺は大猪の死骸に膝をついた。腰のナイフで牙の根元に刃を入れ、毛皮の筋に沿って丁寧に剥いでいく。血で手が滑る。温かい。さっきまで生きていた温度だ。


 三年間やってきた作業だ。今では手が勝手に動く。


 成人の儀で授かったスキルは【魔力親和】。評価F。鑑定士がこう言ったのを、よく覚えている。


 ――効果不明。分類不能。実用性なし。


 その一言が、俺の冒険者としての立ち位置を決めた。戦えない。魔法も使えない。できるのは、荷物を運び、素材を剥ぎ、野営の飯を炊くことだけ。


 四人が焚き火を囲んで酒を開けている。ガルドの豪快な笑い声が森に響く。セレナが何か皮肉を言って、アリアが困ったように眼鏡を直す。


 俺の席はない。杯も回ってこない。


 いつものことだ。


 だが、今日は空気が違った。


 レクスの様子がおかしい。さっきから何度も聖剣の柄に手をやっている。握る。離す。また握る。そのたびに眉間の皺が深くなり、俺の方をちらりと見ては、すぐに目を逸らす。


 昨日もそうだった。一昨日も。


 ――嫌な予感がする。


 素材の仕分けを終えて立ち上がった時、焚き火がぱちりと爆ぜた。焦げた杉の匂いが鼻を刺す。


「カイト」


 レクスの声から笑いが消えていた。金色の瞳が、炎越しに俺を射る。いや――正確には、俺の影を見ているようだった。俺自身ではなく、俺の輪郭の向こう側にある何かを。


「明日から、来るな」


 焚き火の音が、遠くなった。


 ガルドが酒を口に運ぶ手を止めた。セレナは目を伏せている。驚いた様子はない。事前に知らされていたのだろう。


 分かっていたはずだ。だが言葉を受けた瞬間、胃がひやりと沈み、指先の感覚が薄れた。


「……理由を聞いても?」


「外れスキルの雑用係がパーティにいたら格が落ちる。それだけだ」


 嘘だ。


 格を気にするなら三年前に切っている。わざわざ今このタイミングで言い出す理由が、ただの体面のはずがない。


 本当の理由は別にある。レクスが聖剣の柄を握り直す、あの仕草。俺を見るたびに顔を歪める、あの表情。何かに怯えているような、苛立っているような――。


「お前がいると」


 レクスの声が急に低くなった。焚き火の音に紛れるほど小さい。


「……俺の剣が、重くなるんだよ。うまく言えねぇけどな」


 剣が、重くなる。


 意味が分からなかった。外れスキルの雑用係が、勇者の聖剣に影響を与える? そんなことがあり得るはずがない。


 だがレクスの目は真剣だった。嘲りでも軽蔑でもない。もっと根の深い、得体の知れない恐怖がそこにあった。


 思い出す。


 一週間前、王都の表彰式。「聖剣の導き」のAランク昇格を祝う場で、壇上に立ったのは四人だけだった。俺は客席の端にいた。


 レクスが振り返って笑った。壇上から見下ろす目で。


「荷物持ちのカイトにも感謝を。重い荷を運ぶのは、誰にでもできることじゃないからな」


 会場に広がった笑い声。労いのかたちをした嘲り。俺は黙って立っていた。


 ――あの時だ。


 かすかに、音が聞こえた。高く、細く、金属が軋むような音。壇上の誰にも聞こえていないようだった。聖剣の刃が、一瞬だけ震えたように見えた。


 そしてレクスの顔が歪んだ。柄を握り直し、俺から目を逸らした。あの、今と同じ表情で。


 三日前のワイバーン討伐でも、似たようなことがあった。


 ワイバーンが魔力を暴走させた時、パーティ全員が押されていた。吹き荒れる魔力の奔流が全員を薙ぎ倒そうとしていた。なのに、俺の周囲だけが凪いでいた。暴れ狂う魔力が、まるで俺の肌を避けて滑り落ちていくように。


 戦闘後、アリアが小声で聞いてきた。


「ねえ、カイト。あの時……あなたの周りだけ、魔力の流れがおかしくなかった? 私の【風読み】が、あなたの近くだけ違う波形を拾ったの」


 俺は首を振った。何もしていない。できるはずがない。そう答えると、アリアは眼鏡の奥で何か考え込むように目を伏せ、口を閉じた。


 翌日、レクスはギルドに報告した。「聖剣の浄化でワイバーンの魔力を封じた」と。事実とは違う。だが俺には訂正する根拠もない。外れスキルの俺に、何ができたというのか。


「ちょっと、待ってください」


 アリアが立ち上がった。声が震えている。眼鏡の奥の瞳が焚き火の光を受けて揺れていた。


「カイトはずっと私たちのために……あの、彼がいなければ、野営も補給も回らなかった。それを今さら――」


「決定事項だ」


 レクスが一瞥しただけで、アリアは黙った。唇を噛み、座り直す。拳が膝の上で白くなるほど握りしめられていた。


 ガルドが頭を掻いた。


「まあ……レクス様がそう言うなら、仕方ねぇっスよ。なあ、カイト」


 悪意はない。本当に、この男には何の悪意もないのだ。ただ自分で考えることをしない。それがどれほど残酷かを知らないまま、困ったような笑みを浮かべている。


 セレナは爪先を見ていた。ちらりと俺を見て、小さく肩をすくめた。


「足手まといを切るのは合理的な判断よ。恨みっこなしでしょ」


 淡々としている。嘘も飾りもない。この女は最初から、俺のことをパーティの一員だと思っていなかったのだろう。


 三年間、同じ飯を食い、同じ道を歩き、同じ魔物と戦ってきた。戦っていたのは四人で、俺は後ろで荷を担いでいただけだが。


 それでも仲間だと思っていた。


 思っていたのは、俺だけだったらしい。


 立ち上がる。荷物を纏める。


 三年分の持ち物は、笑えるほど少ない。


 着替え。使い古したナイフ。そして、一通の手紙だけ。


「――世話になった」


 それだけ言って、火に背を向けた。


 振り返らなかった。振り返ったら何かが壊れる。怒りなのか悲しみなのか名前がつかない。ただ、喉の奥が焼けるように熱くて、それを呑み込むので精一杯だった。


 枯れ枝を踏む音が、やけに大きく響く。


 十歩。二十歩。焚き火の光が背中から遠ざかる。


 ――その時だった。


 キィィン、と。


 耳ではなく、頭の芯を直接揺らすような、金属の高い音。表彰式の時に聞いた、あるいは聞いた気がした、あの音と同じだ。だが今度は、はっきりと聞こえた。


 同時に、左腕がずくりと疼いた。


 脈を打つように、一度。短く、だが確かに。まるで遠く離れた聖剣の震えが、血管を伝って俺の腕に届いたかのような――


「……なんだ、今の」


 足が止まった。


 振り返りそうになる。だが、焚き火の向こうに四つの影が見えただけだった。誰も俺を見ていない。追いかけてくる者はいない。


 気のせいだ。疲れているんだろう。


 左腕を右手で押さえた。疼きはもう消えていた。あとには、じわりとした熱だけが残っている。


 大したことじゃない。今はそれどころじゃない。


 俺には、考えなきゃいけないことがある。



 ◇



 街道をひとりで歩いている。


 星が綺麗だった。追放された夜にしては、ずいぶんと穏やかな空だ。風が冷たく、革の外套の隙間から肌を刺す。


 分かっていたんだ、本当は。


 外れスキルの俺に、あのパーティにいる資格なんてなかった。後方の雑務なら誰でもできる。俺じゃなくていい。


 分かっていて、それでもしがみついていた。


 理由は単純だ。金がいる。


 懐から手紙を取り出した。何度も開いたせいで折り目がよれている。三日前に届いた、妹からの手紙。


 ――お兄ちゃん、最近お薬が少し足りなくて、夜に咳が出ます。でも大丈夫。村のおばあちゃんが薬草を煎じてくれるから。お兄ちゃんは自分のことを頑張ってね。


 大丈夫じゃない。


 ユイ。十五歳になったばかりの妹。魔素病――体内に魔素が過剰に蓄積する不治の病だ。魔素抑制薬で進行を遅らせることはできるが、月に大銀貨三枚かかる。平民が半月は暮らせる額だ。


 手紙の端に、ユイの字で小さく書き添えてあった。「次のお薬、月末までに届くと嬉しいな」。その下に、村の診療所の印と、朱書きの数字。支払い期限は今月末。あと十日しかない。


 俺の所持金は、銀貨が八枚と大銅貨がいくらか。


 大銀貨三枚には遠く届かない。


 パーティにいれば、少ないながらも分け前があった。雑用係の取り分なんて雀の涙だが、それでもユイの薬を買い続けることだけはできた。


 それが今日、断たれた。


「……どうすんだよ、これ」


 声に出してみた。冷たい夜気に白い息が溶ける。返事はない。当たり前だ。


 星がぼやけた。


 泣いてない。泣いてる場合じゃない。泣いたところで銀貨は降ってこない。


 ユイは待っている。ミルフィ村の小さな診療所のベッドで、薬が届くのを待っている。「大丈夫」と書く妹の手が震えていたことを、俺は筆跡で知っている。


 あの子を守れるのは、俺しかいない。


 手紙を懐に戻した。


 行き先は王都だ。ギルドでソロ登録をし直して、受けられる依頼を片っ端から受ける。Fランクの依頼は銅貨数十枚が相場だ。大銀貨三枚を稼ぐには、何十件こなせばいい? 計算するのが怖かった。


 それでもやるしかない。


 やれることがなければ――


 夜風が頬を撫でた。左腕が、またほんの一瞬だけ、脈打つように熱を持った。


 さっきと同じ感覚。だが今度は、聖剣の音は聞こえない。遠すぎるのか。それとも――


 俺は首を振って、歩く速度を上げた。考えるな。今はユイのことだけを考えろ。


 星空の下、ひとりで歩く。あと十日。それが、俺に残された全ての時間だった。

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