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結局グリとパピの呼び名が父さん母さんに変わることはなかったが、三人の関係は今まで以上に近く深くなったように感じていた。
そして名のある神様に瓢箪のお酒をお供えして歩く予定だったのに、この風早領の領都で払子を授けられ怨霊退治を始めたことで、怨霊の残す思念玉の消滅に思いの外時間がかかり滞在が長引いていた。
毎日の日課としてグリは思念玉の消滅に力を注ぎ、パピはプライベートダンジョン内の魔物を退治して回り、新たな怨霊を見つけては美咲を連れ出した。
不思議なことに思念玉を消滅させると経験値石を消滅させるのと同じくレベルが上がるらしく、グリは毎日魔物退治に勤しむパピとそうそうレベルが開くことがないのもあり、気が乗らないパピに任せるよりはと思念玉の消滅を一手に引き受けている。
美咲はというと、この機会にせっかくいただいた簡易お社の庭(?)に木や花を植え、何を育てるか決めていないが畑も耕し始めていた。
そして何日かに一度ダンジョン管理課の隼人の元を訪ねてはお茶をして、欲しい物がどこで手に入るかやこの国の情報や名のある神社仏閣の情報などを貰っていた。
けしてお茶菓子が目当てと言う訳ではなかったのだが、いつも美味しいお茶菓子が用意されるので美咲は悪い気がせず遠慮なく訪ねていた。
それに美咲の知らないいろんな情報を手に入れられるし、結局欲しい物の殆どは隼人が用意してくれるので便利だったのだ。
お礼に翡翠を彫刻した物をプレゼントしたら、翡翠を飾りに使うという新たな発想を手に入れて隼人もかなり喜んでいた。多分この領は織物だけでなくいずれその方面でも名を馳せることになるだろう。
「美咲、伝えようかどうしようか悩んだのですが」
そんなある日、思念玉の消滅をさせていたグリが遠慮がちに美咲に話しかけてきた。
簡易お社でいつものようにお気に入りの唐衣を羽織り、翡翠彫刻をしていた美咲はその手を休め返事をする。
「改まって何よ」
言葉尻を濁すいつもと様子の違うグリに、何事かと少々体に力が入り警戒心が膨らんでいく。
「美咲の命を狙って来たあの男の思念玉がありました」
「えっ…」
すでに遠い昔のような気もするが、あの黒装束の男に襲われたのがきっかけで旅立つことができたと言っても過言ではないので美咲も当然覚えている。
しかし襲われたのは事実だが結局被害らしい被害もなく、あの黒装束の男がその後どうしているのかなど今まで気に留めたこともなかった。
それがまさかこの風早領で怨霊となっていたとはまさに寝耳に水で、正直なところどう反応して良いのか困った。
もしまたどこかで出会い同じように命を狙って来たらいずれは決着をつけなくてはならないとは考えたこともあったが、簡単に逃げられるしと高を括っていたのもあり意外といえば意外ではあった。
「私が見たものを聞きたいですか?」
まるで美咲に覚悟を望むように重い雰囲気で尋ねるグリに美咲はゴクリと喉を鳴らした。
どうして美咲の命を狙ったのかに関しては分かっている。多分あの領主に命令されたのだろう。
だが、それがどうして自領ではなくこの風早領で怨霊になったのか、少なくとも美咲に関わったがためなのだとどこかで理解できたので、それならばちゃんと知るべきだという思いが湧きあがる。
「うん…。というより知らなくちゃダメだと思う」
「ではお話しします。覚悟して聞いてくださいね」
グリは美咲の目をジッと見つめ、そう念を押してから話し始めた。
男は影の一族に生まれ、何の疑問を持つこともなく影の仕事をしていた。
そしてそれなりに実力のあった男はあの領主の専属の影となりその手を汚し続けていたと知り、やがて美咲が生まれた時の事実、美咲が生まれたことを知る人たちの死、そして母親の死をも知らされる。
その後美咲が神隠しにあったと知った後の経緯と男の葛藤、男が美咲の替え玉にした少女を連れ逃亡場所にこの風早領を選び、手助けをしてくれた仲間と家族として身を隠していたことを聞く。
「……」
「話はまだ続くのですよ」
男の他に美咲の替え玉となった少女の思念玉も男の逃亡を助けた女の思念玉もあったそうで、その二人の思念も簡単に話してくれた。
「そしてもっと驚きの事実があるのです」
グリはそう前置きをしてからゆっくりと口を開く。
「その者達の戸籍を、私たちがいただいたようです」
「…えっ?」
一瞬グリが何を言っているのか理解できなかった。というより理解したくなかった。
美咲の身代わりとなって赤ん坊の時に攫われ、そのまま厳しく育てられ、挙句に殺された少女の戸籍を美咲が使うことになろうとは、信じろという方に無理がある。
もともと偽装された戸籍なのだろうが、それがまるで本物の美咲のために用意されていたかのようにここで手に入るなんて、いったいこれはどんな運命の悪戯なんだと美咲はショックで言葉も出ない。少女を思うと悲しくてたまらなくなる。
そして同時にあの領主と影の一族への怒りが湧き、そんな過酷な運命が普通にまかり通りあまりにも人の命が軽いこの世界を呪いたくなった。
さらに言えば、そんな世界で自分だけ安泰に安穏とした生活ができればいいと考えていた自分を呪う。
生まれてからずっと美咲の身代わりとなっていた顔も知らない少女のことを思うと、激しい悔しさが湧き出し抑えきれなくなる。
ただ戸籍を譲り受けただけではなかったのだ。少女の分も自由に幸せに暮らすのは当然としても、この悔しさはきっと少女の悔しさなのだと思うと、復讐をしたいと美咲は思い始めていた。
でも誰に?
この世界に? それとも少女にそんな運命を背負わせてしまった美咲自身に?
美咲の脳裏に《始末しろ》と冷たく言い放った領主の声が鮮明にこだまする。
少なくともあの領主、父親だとは絶対に認めたくないあの領主に一矢報いるくらいのことをしなければ気が済まない。
このまま逃げ続けて安穏としている訳にはいかないと、美咲はまるで少女に誓うように拳を固く握る。
「グリ、復讐するとしたらどうするのがいいと思う?」
「復讐ですか?」
「そうよ。少なくともあの領主を表舞台から引きずり下ろさないと、このままじゃ私の気が治まらないわ」
年老いて事なかれ主義になり、できれば引き籠っていたいなんて考えていた。
その状態のまま転生して、今度は肉体年齢に引っ張られ甘えることを由としていた美咲は漸く自分で動くことを決意した。
若い時に誰にも頼れずにずっと強がっていた反動でダラダラしていたが、久しぶりに自分がしなくてはという思いが強くなる。
「そうですねぇ…」
「それに私と一緒に生まれた兄のことも心配だわ。あの領主のように育っていたら教育しなおさないといけないよね」
そして生まれた時に声しか聞いていない兄のことも心配になる。
あんな領主に育てられてまともに育っているとは思えない。それに母が殺されているのだとしたらその寂しさで捻くれた性格になっているかも知れない。
「ここにある思念玉をすべて消滅させるまではどのみち動くつもりは無いですよね。その間じっくりと考えてみます」
「ありがとうグリ。面倒なことばかり頼ってごめんね」
こうして美咲はまずはあの領主への復讐を誓い、漸く立ち上がるのだった。




