第26話(表)
――切れない場所
夜が明けきる前、空は重かった。
雲が低く垂れ、風が一定の向きを持たない。
桜花は丘の上で馬を止め、前方を見据えていた。
補給拠点は、すでに背後。
切られた場所は、もう戻らない。
「……来たな」
矢上が、小さく頷く。
「黒鋼軍、進路をさらに奥へ。
次に向かっているのは――」
地図の一点。
桜花は、その場所を見た瞬間、息を吸った。
「……切れない場所だ」
◇
そこは、街道と水源が交わる要地だった。
兵站としても重要だが、それ以上に――
人が集まる場所。
市場。
倉。
季節ごとに人が行き交う中継地。
「黒鋼は、
ここなら私が必ず動くと踏んだ」
矢上が、慎重に言葉を選ぶ。
「守らなければ、
戦そのものが崩れます」
「そうだ」
桜花は、否定しない。
ここを切れば、
黒鋼は一気に前へ出られる。
だが同時に、
“切った代償”は隠せない。
◇
桜花は、本隊を止めた。
「全軍、展開を遅らせる」
兵たちが顔を上げる。
「急がない。
ここは、急いだ方が負ける場所だ」
勢いで踏み込めば、
黒鋼の思う通りになる。
「先に入るのは、
兵じゃない」
桜花は、外套を直した。
「私が行く」
◇
矢上が、一瞬言葉を失う。
「……また、前に出られるのですか」
「前に出るのは、
剣を振るためじゃない」
桜花は、まっすぐに答えた。
「ここで一番大事なのは、
誰が最初に“守る立場”に立つかだ」
剣を抜く前に、
立ち位置で勝負は決まる。
◇
進路を選びながら、桜花は考える。
黒鋼は、
守れない場所を示し、
次に、守らざるを得ない場所を置いた。
「……うまいな」
思わず、口に出る。
だが、それでも。
「でもな、黒鋼」
桜花は、馬を進める。
「守れない場所を切ったあとに、
守れない場所をもう一つ置くのは――
覚悟が要る」
◇
昼前。
遠くに、黒鋼軍の先遣が見えた。
距離はある。
だが、互いに気づいている。
「……ここからは、
引けないな」
矢上が、低く言う。
「引かない」
桜花は、即答した。
「ここは、
私たちが“戦場にしないために立つ場所”だ」
矛盾しているようで、
これ以上ないほど、はっきりしている。
◇
桜花は、刀に手をかけ――
そして、外した。
「まだだ」
剣は、最後に使う。
先に使うのは、
言葉でも、策でもない。
覚悟だ。
黒鋼が、
ここを切るのか。
それとも、止まるのか。
答えは、もうすぐ出る。
雷は、
またしても落ちる場所を選ばされていた。




