第25話(表)
――守れなかった場所へ
集落の朝は、昨日と変わらず始まっていた。
子どもが走り、鍬を担いだ男が畑へ向かう。
その営みの外側で、戦が静かに息を潜めている。
桜花は、集落を振り返らずに馬を進めていた。
守ると決めた場所は、もう背後にある。
「……動いたな」
矢上が、低く告げる。
「黒鋼軍、集落を避けて前進。
ただし、完全撤退ではありません。
進路を奥へ……かなり、踏み込んでいます」
「そうか」
桜花の声は、落ち着いていた。
黒鋼は、戦場を作らなかった。
だが、逃げたわけでもない。
守れない場所へ、意図的に向かった。
◇
地図を広げる。
集落のさらに先、山間部に点在する小さな補給拠点。
街道から外れ、民の数も少ない。
「……黒鋼は、ここを選んだな」
桜花の指が止まる。
「守る価値があるかどうか、
判断が分かれる場所だ」
矢上が、静かに頷いた。
「民は少数。
補給線としては重要ですが、
切り捨てても“大義”は失いにくい」
「だからこそだ」
桜花は、地図を畳んだ。
「黒鋼は、私に選ばせに来ている。
ここを守るか、捨てるか」
集落は守った。
では次はどうするのか。
全てを守ることはできない。
だが、選ばなかった場所には、必ず理由が残る。
◇
進軍を止め、桜花は本隊に命じた。
「全軍、速度を落とせ。
先行部隊を出す。
正面衝突は避ける」
兵たちの表情に、緊張が走る。
「……戦にならないのですか」
「なる」
桜花は、はっきり答えた。
「だが、それは今じゃない。
黒鋼が“ここなら切れる”と踏んだ場所で、
こちらがどう立つかを見せる」
それは、力比べではない。
価値観の衝突だ。
◇
昼過ぎ、先行部隊から報が入る。
「前方の補給拠点、
黒鋼軍がすでに接触しています」
「民の動きは?」
「避難を始めていますが……
全員は間に合いません」
矢上が歯を食いしばる。
「……桜花殿」
「分かっている」
桜花は、目を閉じた。
ここだ。
黒鋼が用意した場所。
守れば、戦になる。
守らなければ、黒鋼は“正しかった”ことになる。
◇
桜花は、馬を止めた。
剣に手をかけ、しかし抜かない。
「……全部は守れない」
それは、言い訳ではない。
事実だ。
「だが、
見捨てたままにはしない」
彼女は、顔を上げる。
「先行部隊を増やす。
民の退路を確保しろ。
補給拠点は……」
一瞬、間があった。
「黒鋼に渡す」
矢上が、息を呑む。
「……よろしいのですか」
「奪い合う価値がある場所じゃない。
だが、
守ろうとした意思は、必ず残す」
桜花は、静かに続けた。
「黒鋼は、
“切れる場所”を選んだ。
なら私は――
切られた後に、何を残すかを選ぶ」
◇
夕刻。
遠くで、黒鋼軍の旗が翻る。
桜花は、その方向をまっすぐに見据えた。
「……黒鋼」
小さく名を呼ぶ。
「お前は、守れない場所を示した。
私は、
守れなかった後の責任を引き受ける」
それは、次の戦場への布石だ。
剣を抜く前に、
決着は、もう始まっている。
雷は、まだ落ちない。
だが――
次に落ちる場所は、互いに分かっていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この作品は、派手な魔法も、
分かりやすい正義もあまり出てきません。
ただ、
「選ぶこと」
「守ること」
「逃げないこと」
その重さだけは、ちゃんと書きたいと思って続けています。
田舎のおっさんが、
自分なりに人生を振り返りながら、
戦記という形を借りて書いている物語です。
少しでも何か残るものがあれば、
それだけで十分です。
次も、表と裏、両方書いていきます。




