第二十一話(表)
――雷は、落ちる場所を知っている
風が、はっきりと変わった。
霧は薄れ、空気は張りつめ、戦場の輪郭が戻りつつある。
桜花は、丘を越えた先の地形を見下ろしていた。
谷が細く絞られ、両側を岩壁に挟まれた一本道。
進めば退けず、退けば背を晒す。
「……来るな」
言葉とは裏腹に、表情は静かだった。
ここは“作られた戦場”ではない。
どうしても、戦場になってしまう場所だ。
矢上が隣で地図を閉じる。
「黒鋼軍、進路を一本化。
散開をやめ、主力を集中させています」
「選んだな」
桜花は、ゆっくりと頷いた。
「曖昧さを切り捨てた。
つまり──ここで、形を作るつもりだ」
ここまで来れば、回避はできない。
黒鋼は“雷が落ちると分かっている場所”へ、自ら踏み込んでくる。
◇
桜花は、部隊を止めた。
「全軍、ここで待つ」
ざわめきが走る。
逃げも、追撃も、しない。
「……ここで、受けるのですか?」
矢上の問いに、桜花は首を横に振った。
「違う。
ここで、落とす」
彼女は谷の入口を指した。
「黒鋼は、正面衝突を選んだ。
ならば私は、正面で応じない」
兵たちの視線が集まる。
「この地形は、隊列が伸びる。
前と後ろが分断されやすい。
突破を急げば、必ず“無理が出る”」
黒鋼は強引に形を作る。
それは、彼自身が“曖昧さを拒む男”だからだ。
「そこへ、雷を落とす」
◇
準備は静かに進んだ。
崖上に伏せる弓兵。
谷の出口に潜む機動兵。
正面は、あえて薄く。
「……囮ですか」
「餌だ」
桜花は、はっきりと言った。
「黒鋼は、突破できると見れば踏み込む。
だから、踏み込ませる」
正面で受け止めれば、力で押し切られる。
だが、通したあとで落とせばいい。
◇
昼過ぎ、土埃が上がった。
「来ました……!」
黒鋼軍の先頭が、谷へ踏み込む。
隊列は密。
速度もある。
「……いい」
桜花は、動かない。
敵は前を見る。
突破点だけを見ている。
その瞬間を、待つ。
◇
先頭が谷の中ほどへ入った時、
桜花は、短く息を吸った。
「今だ」
合図と同時に、雷鳴が落ちた。
崖上から矢が降り注ぐ。
落石が道を塞ぐ。
出口側で、機動兵が姿を現す。
前と後ろが、完全に断たれた。
「……っ!」
黒鋼軍の隊列に、明確な“詰まり”が生まれる。
進めない。
退けない。
「前へ出るな! 隊列を保て!」
敵将の声が響くが、
声は混乱に飲まれていく。
◇
桜花は、刀を抜かなかった。
斬らない。
突っ込まない。
ただ、崩れるのを待つ。
雷は、落ちる場所を知っている。
無理に落とすものではない。
◇
やがて、敵の動きが鈍る。
隊列の中央で、指示が届かなくなる。
「……来る」
桜花は、静かに呟いた。
黒鋼は、この程度で止まる男ではない。
必ず、前へ出る。
自ら、形を保つために。
そしてその瞬間こそが──
雷が、真正面から落ちる時。
桜花は、刀の柄に手を置いた。
「黒鋼。
ここだ」
戦場は、ついに形を持った。




