表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雷哭ノ桜花戦記 ― 奪われた鍵を求めて  (表)  作者: 田舎のおっさん
第4部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

82/110

第十七話(表)

――雷は、進路を選ばない


 風裂谷を抜けた空気は、重く湿っていた。

 戦の匂いが、谷の外まで染み出している。


 桜花は馬を進めながら、背後を一度だけ振り返った。

 岩壁に刻まれた血痕、倒れ伏した影縫いの骸、そして生き残った斥候たちの姿。

 救えた命は多くはない。それでも、“全滅”という最悪だけは回避できた。


「……矢上」


「はっ」


「斥候を本隊へ合流させろ。治療と休養を最優先。

 彼らは、よく持ちこたえた」


「承知しました」


 矢上の声には、抑えきれない安堵が混じっていた。

 だが、桜花は安らいではいない。


 風裂谷での戦いは、救出戦であると同時に、はっきりとした“宣告”だった。

 黒鋼はすでに北嶺を見据え、戦を動かし始めている。

 影縫いは、その前触れに過ぎない。


「……来るな」


 桜花は空を見上げる。

 雲の切れ間で、雷光がわずかに瞬いた。


 嫌でも理解できる。

 黒鋼は、こちらの動きを織り込んだ上で“主戦場”を選び直している。


 つまり次は──

 小競り合いでは終わらない。


     ◇


 本隊へ戻る途中、伝令が駆けてきた。


「桜花様! 北嶺方面より急報です!」


「申せ」


「黒鋼軍、西側斜面に大規模展開。

 明朝にも、黒嶺尾根を突破する構えとのこと!」


 その場の空気が、一気に張り詰めた。

 西側斜面は傾斜が緩く、大軍が一気に雪崩れ込める地形だ。

 そこを抜かれれば、防衛線は瓦解する。


 矢上が歯を食いしばる。


「やはり……本命は北嶺突破。

 影縫いは陽動だった可能性が高いですね」


「いや」


 桜花は首を横に振った。


「陽動ではない。

 黒鋼は、二つを同時に成立させる男だ」


 影縫いで内部を削り、

 本隊で正面を叩き潰す。


 どちらか一方が失敗しても、もう一方で勝ちを拾う。

 それが黒鋼の戦争だ。


「全軍に通達。進路を変更する」


 矢上が目を見開く。


「北嶺へ、直行なさるのですか?」


「違う」


 桜花は地図を広げ、指先で一点を叩いた。


「黒嶺尾根の南側、雷返しの丘。

 黒鋼は、あそこを“通過点”としてしか見ていない。

 だが、私はあそこを“戦場”に変える」


 雷返しの丘。

 風が乱れ、雷が落ちやすい地形。

 視界も悪く、隊列が乱れやすい。


 正攻法では、使いづらい場所だ。


 だが──


「黒鋼が選ぶのは、勝てる場所。

 私が選ぶのは、勝ちを奪える場所だ」


 矢上は一瞬、言葉を失ったあと、深く息を吐いた。


「……承知しました。

 桜花殿が“そこ”を選ぶなら、我らは従います」


     ◇


 夕刻、雷返しの丘。


 低い雲が流れ、風が唸りを上げている。

 草は湿り、足元はぬかるみ、遠くの視界は白く霞んでいた。


「ここで迎え撃つ、か」


 兵の一人が、呟くように言った。

 不安がないと言えば嘘になる。


 桜花は馬から降り、丘の頂に立つ。

 濡れた髪が風に揺れ、外套が大きくはためいた。


「恐れるな」


 その声は、風を切って届いた。


「ここは確かに戦いにくい。

 だが、だからこそ黒鋼は油断する」


 桜花は兵たちを見渡す。


「我らは、正面から力でねじ伏せる軍ではない。

 雷のように、落ちる場所を選び、

 一瞬で戦の形を変える軍だ」


 雷鳴が、まるで呼応するかのように轟いた。


「黒鋼は強い。

 あの男が率いる軍は、正面衝突ではこちらを上回る。

 だが──」


 桜花は、刀の柄に手を置いた。


「私は、あの男の“読み”を知っている。

 そして、あの男はまだ知らない。

 私が、退かないと決めた時の戦場を」


 兵たちの眼に、火が戻る。

 恐怖の奥に、覚悟が灯る。


「ここで止める。

 北嶺へは行かせない。

 たとえこの丘が焼け落ちようと──

 黒鋼の進路は、私が断つ」


     ◇


 夜が訪れ、雨が降り始めた。

 雷返しの丘は、闇と水に包まれる。


 その中で、桜花はひとり、丘の端に立っていた。

 遠く、北嶺の方向に、かすかな松明の列が見える。


 黒鋼軍だ。


 距離は、まだある。

 だが、確実に近づいている。


「……来るな、黒鋼」


 小さく呟きながらも、桜花の心は揺れていなかった。

 恐れも、迷いもない。


 ただ、静かな決意があるだけだ。


 雷光が走り、闇が一瞬、白く裂ける。

 その光の中で、桜花の姿は揺るがず、まっすぐ前を向いていた。


 物語が彼女を戦場に立たせたのではない。

 彼女が、戦場を選んだのだ。


 雷返しの丘に、再び雷が落ちる。


 それは、次の激突の合図だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ