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雷哭ノ桜花戦記 ― 奪われた鍵を求めて  (表)  作者: 田舎のおっさん
第4部

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第十六話(表)

――風裂谷に轟くもの


 風を裂いて、軍馬が駆ける。

 桜花は鞍上で身を沈め、地面の揺れを全身で受け止めていた。


 北嶺へ向かう本隊から分かれ、精鋭わずか二十騎。

 目指すは、斥候部隊が消息を絶ったという峡谷──風裂谷。


 谷の名のとおり、強い風が絶えず吹き抜ける場所だ。

 耳元で笛のような風音が鳴り、遠くで雷鳴がくぐもって響いた。


「……間に合え」


 誰に聞かせるでもなく、桜花は呟いた。

 言葉と同時に、馬の腹を軽く蹴る。速度が一段上がる。


 隣を並走していた副官の矢上が、目を細めて前方を見据える。


「風裂谷の入口までは、あと少しです。……しかし、本当にこの戦力だけでよろしかったのですか?」


「大軍を連れていけば、影縫いは散る。姿を晒さぬまま、斥候も谷もまとめて葬られるだけだ」


 桜花は風を切る視線で、遠くの山影を睨む。


「影に対しては、こちらも“細く鋭く”入るしかない。

 大軍で踏み潰すのは、黒鋼本隊にぶつける時の手だ」


 矢上は短く息を吐き、苦笑にも似た声を漏らす。


「まったく……桜花殿らしい。

 救出と殲滅を同時にやってのけるおつもりですね」


「やれるとは限らん。だが、やるしかない」


 その言葉に、誰も反論はなかった。

 随行する兵たちの表情には、疲労の影が濃い。

 それでも、彼らの眼にはまだ炎が宿っている。


 ──桜花が前線に立つ限り、退く理由はない。


 やがて、地形が変わる。

 起伏の少ない草地が途切れ、削り取られたような岩場へと変わり始めた。

 風が強まる。土と石の匂いが、鋭く鼻を刺した。


「風裂谷は、すぐそこだ」


 矢上が合図を送る。

 二十騎は速度を落とし、やがて馬を降りた。

 ここから先は、馬では目立ちすぎる。


 谷の入口は、裂け目のように口を開けている。

 左右には切り立った岩壁。

 上から狙われれば一巻の終わり──典型的な袋小路だ。


 桜花は岩陰に身を寄せ、周囲の気配を探る。

 風に乗って、かすかな金属の匂いがした。血と油鉄の混じった、あの戦場の匂い。


「……いるな」


 桜花が低く呟くと、矢上も頷いた。


「斥候のものか、それとも──影縫いか」


「どちらもだろう」


 桜花は腰の刀に手を添えた。

 鞘に指をかけただけで、冷たい鋭さが掌に伝わる。


「矢上、部隊を二手に分ける。

 私と五名で谷に進入。残りは入口周辺に伏せ、合図があれば一気に突入して影縫いの退路を断て」


「無茶をなさる」


「無茶をしなければ、もう死んでいる。

 ──ここで斥候を見捨てれば、黒鋼の浸透は止められん」


 矢上は一瞬だけ目を伏せ、それから桜花を真っ直ぐに見た。


「了解しました。

 くれぐれも、ご無事で」


「約束はできん。が──戻るつもりで行く」


 軽く口元に笑みを浮かべ、桜花は五名を選んだ。

 身のこなしが軽く、恐怖よりも好奇心の色が強い若者たち。

 それでいて、退くべき時を見誤らない眼を持つ兵ばかりだ。


「行くぞ」


 岩陰から岩陰へ、六つの影が風裂谷へと滑り込んだ。


     ◇


 谷の中は、外よりもひときわ風が強かった。

 岩壁にぶつかった風が乱流となり、耳元で唸りを上げる。


 足元には、転がった石と割れた矢。

 地面に黒い染みが広がり、そこに乾きかけた赤が縁取っていた。


「……戦闘の痕跡。そう古くはないな」


 膝をついてそれを確かめた兵が、小声で報告する。

 桜花は頷き、指で風上を示した。


「気配は、さらに奥だ。進む」


 慎重に進むほどに、谷は狭まり、頭上の空は細い線になっていく。

 逃げ場のない地形。

 ここで包囲されたなら、普通の部隊は助からない。


 だからこそ、影縫いが選ぶ場所でもある。


 やがて、風の音に混じって別の音が聞こえた。

 金属が触れ合う乾いた響き。

 それに続く、短い悲鳴。


 桜花は手で制止の合図を送り、全員を岩陰に伏せさせた。


 谷の先を、そっと覗く。


 狭い広場のように、少しだけ開けた場所。

 その中央で、数名の斥候兵が背中を寄せ合うようにして必死に剣を振るっていた。

 その周囲を、黒い影が散るように動き回っている。


 影縫い──黒鋼直属の闇の牙。


 彼らは軽鎧に身を包み、顔半分を布で覆っている。

 動きは音もなく、脚運びは風のように滑らかだ。

 斥候兵が反応した時には、すでに刃は別の位置にある。


 数だけ見れば互角。

 だが、技量差はあまりにも大きかった。


「……このままでは、斥候は全滅します」


 背後で兵が歯噛みする。

 桜花は視線を細め、影の動きを観察した。


 一撃目は殺さず、二撃目で確実に急所を穿つ。

 斥候の足を優先して狙い、機動を奪ってから息の根を止める。

 無駄がない。感情も揺らぎもない。


 まるで、“生かしたまま恐怖を刻み込め”と命じられているかのようだ。


「……黒鋼のやり口だな」


 桜花は息を吐き、刀の柄を握り直した。


「合図を出す。矢上隊に突入させる。

 その前に、ここで影縫いの注意を引きつける。

 私が前へ出る。お前たちは、私の背に続け」


 兵たちが、かすかに息を呑んだ。


「閣下お一人で前へ出るなど──」


「ここは狭い。数を並べても意味はない。

 最初の衝撃で、奴らに“計算違い”を刻み込むことが重要だ」


 桜花は振り返る。その瞳は静かで、だが雷光のように鋭かった。


「怖い者はいるか?」


 問いかけに、誰も答えなかった。

 黙って首を振る者。唇を噛み、前を見据える者。

 桜花は満足げに頷いた。


「よし。ならば、共に行こう」


 彼女は岩陰から一歩踏み出し、刀を抜いた。

 鞘走りの音が、谷間に澄んだ響きを残す。


「──《雷哭》」


 その一言と同時に、桜花の身体が弾丸のように前へと飛び出した。


     ◇


 音を置き去りにする一閃だった。


 影縫いのひとりが、斥候の首を狙って踏み込んでくる。

 その軌道の内側に、桜花が割り込んだ。


 青白い雷光が走る。

 刀身がほんのわずかに震え、金属と金属が触れ合う鈍い音が響いたかと思うと、影縫いの男の武器ごと腕が宙を舞っていた。


「な──」


 驚愕の声が出るより早く、二撃目が入る。

 桜花の回転とともに、逆袈裟の斬撃が男の胸を裂いた。

 血飛沫が風にさらわれ、岩肌を赤く染める。


 その光景を見て、影縫いたちは一瞬だけ動きを止めた。

 彼らにとって“想定外”の事態だったのだろう。


 桜花は、そのわずかな隙を見逃さなかった。


「今だ、下がれ!」


 斥候たちに向けて叫びながら、前へ一歩踏み出す。

 彼女の背後から、選抜された五名の兵が続いた。


 岩壁に雷鳴が反響する。

 遠くで、本物の雷が応えるように轟いた。


「何者だ……?」


 布で覆われた影縫いの口元から、低い声が漏れる。

 桜花はその問いに、刀を構えたまま静かに答えた。


「この谷を、そしてこの国を守る者だ。

 名を刻みたいなら──己の血に刻め」


 影縫いたちの瞳に、一瞬だけ憎悪と興奮が灯る。

 標的が“ただの斥候”から“将”へと変わったのを悟ったのだ。


「標的変更。……あれを仕留めろ」


 冷淡な声が合図となり、闇の刃が一斉に桜花へと向かってくる。


 その瞬間、谷の入口側から号砲の音が響いた。

 矢上隊の合図だ。


 桜花は口元にわずかな笑みを浮かべた。


(間に合ったな)


 風裂谷全体が、戦場として目を覚ます。


 雷鳴が頭上を駆け抜け、空が白く裂ける。

 その光の中で、桜花はただ前を見据えていた。


 ──ここで退けば、黒鋼の影は、もっと深くこの国に根を下ろす。


 だから、選ぶ。

 物語ではなく、自らの意志として。


「来い。

 お前たちの主の名に賭けてかかってこい。

 その全てを断ち切り、私は前へ進むだけだ」


 叫びと同時に、雷のような一歩が踏み出された。


 風裂谷に、雷哭が轟く。

 その音は、遠く北嶺へ向かう黒鋼の耳にも、届きつつあった。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

田舎のおっさんが書いとる桜花側の戦記ですが、

こうして読んでもらえるだけで、本当に励みになります。


もし「朔夜たちの行く末が気になるなぁ」と思っていただけたら、

ブックマークや評価を押してもらえると嬉しいです。

ひとつひとつが、次を書く元気になりますけん。


これからも、桜花帝国の戦場と、朔夜の選ぶ道を

どうぞ見届けてやってください。

また次の話でお会いしましょう。

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