第9話(表) 『灰境州、動く ― 英雄包囲戦・開幕』
――天城朔夜 視点
討伐部隊の足音は、霧を裂くように迫っていた。
黒鋼の装甲が軋み、
魔導拘束刃が淡い青光を放つ。
だが朔夜は、逃げなかった。
霧の奥に避難した無籍領民たちが、
固唾を呑んでこちらを見ているのが分かる。
(……逃げられない理由なんて、
いくらでもあるさ)
(守るって決めた以上、
ここを離れるわけにはいかない)
副官が震える声で言う。
「朔夜様……もう一度だけ申し上げます。
この場から退避を――」
「しない。」
短く、はっきりと言った。
副官は絶句した。
討伐部隊の隊長が前に出る。
「天城朔夜――
貴様は新時代連合の秩序を乱す“例外”だ」
「“例外”は排除する。
それが我らの正義だ。」
(排除。
随分と聞き慣れた言葉になったな)
朔夜は、ゆっくりと刀を抜く。
霧の中で、雷が微かに光る。
「……正義ってのは、
そんなに簡単なもんじゃない」
隊長は鼻で笑った。
「英雄が何を語ろうと関係ない。
お前は今日――“処理される側”だ」
その言葉に合わせ、
後衛の魔導兵が詠唱を開始する。
剣ではなく、封じの魔法。
朔夜の力を奪うための第一手。
「来るぞ!」
朔夜が構えると同時に――
空気が、揺れた。
霧が、反応した。
まるで灰境州そのものが、朔夜の意思に同調したかのように。
「――っ!?」
討伐部隊の詠唱が一瞬乱れる。
副官が目を見開く。
「まさか……霧が……
『干渉』している……?」
(……やっぱり、これは偶然じゃない)
昨日の光。
無籍領民の女――
彼女の胸からあふれた、あの“守る意志の光”。
それが灰境州全体に広がり、
朔夜の動きに呼応している。
まさに――
この土地そのものが、朔夜側へ傾き始めていた。
隊長が叫ぶ。
「構うな!
霧ごと押し潰せ!」
魔導兵たちが、一斉に封呪陣を展開する。
空間が捻じれ、動きが重くなる。
――が。
その瞬間。
霧がうねり、
封呪陣の“足場”を崩した。
隊長が驚愕する。
「何だこれは!?
術式が……地面に固定できない!」
(……灰境州が、
この連中の術式を拒んでる……?)
朔夜には確信があった。
(これは、あの少女たちと同じ“光の系統”……
いや、源流はもっと古い……)
(灰境州には――
旧文明の“意志の残滓”がある)
(そしてそれが、
俺の“拒絶”に反応している)
討伐部隊の詠唱が乱れ、
隊列が一瞬揺らいだ。
朔夜は、見逃さなかった。
「――今だ」
雷哭の刃が閃いた。
一歩。
踏み込み。
空気が裂ける。
討伐部隊の前衛三名が、
霧と雷に弾かれるように吹き飛んだ。
隊長が叫ぶ。
「怯むな!
相手は元・英雄だ!
力は封じられているはず――!」
その叫びは、半分正しい。
だが半分は完全に間違っている。
朔夜の力は――
封じられていない。
“解放されはじめている”。
灰境州の霧が、
朔夜の周囲だけ薄く晴れ、
雷気が走っていた。
無籍領民が地下穴から恐る恐る顔を出す。
「あの……人……
何……?」
そして即座に理解する。
(……違う。
これは“英雄の力”じゃない)
(“拒絶の光”だ)
隊長が歯を食いしばる。
「全員、対英雄陣形!
包囲しろ!」
討伐部隊が四方へ展開する。
動きは速い。
訓練されている。
そして彼らは躊躇しない。
まさに“英雄を殺すために作られた軍勢”。
副官が叫ぶ。
「朔夜様――!
撤退を……!」
朔夜は、逆に前へ踏み込んだ。
(退く理由は、もう何一つない)
(守るべきものは、
この場所にある)
(……そして――)
雷が刀身に集まる。
(檻の向こうで、
“誰か”が俺を見ている)
蓮。
そして――
“光”を持つ少女。
その存在が、朔夜の刃を鋭くした。
「来い」
英雄殺し部隊と、
“敵性英雄”の戦いが、
ついに本格開戦した。




