第五話 『桜雷作戦・前夜 ― 静かなる雷鳴』
帝都・桜灯区の夜は、静けさと薄桃色の光に包まれていた。
だが今夜、その穏やかな光景の奥に、
どこか張り詰めた緊張が漂っている。
明朝――桜花帝国はついに
黒鋼連邦への攻勢作戦『桜雷作戦』 を開始する。
参謀本部の高層棟。
魔導灯が並ぶ廊下を歩きながら、天城朔夜は深く息を吐いた。
(落ち着け……。
これは、自分が提案した作戦だ)
緊張、焦り、決意――
それらが胸の内で渦を巻く。
作戦室に入ると、壁一面の魔導盤に
黒鋼連邦前線基地の地形データが浮かびあがっていた。
敵補給線、魔導炉の位置、地形の高低差、霧の流れ――
すべて朔夜が“読み解いた”戦術情報だ。
机の上の作戦図には、
主攻撃を担う第三陣、側面突破を行う第五陣、
それらを一つの“雷”のような鋭い線が貫いている。
(……絶対に成功させる。
これは帝国の勝利のためでもあるが……それ以上に――)
夕凪。
妹の名前を胸中で呼ぶたび、心に刺す痛みは増えていく。
「まだ残っていたか、朔夜」
尚玄将軍が静かに入室した。
落ち着いた口調だが、その眼差しには鋭さと温かさの両方が宿っている。
「作戦図……何度見直しても、気になる点があるようだな」
朔夜は素直に頷いた。
「はい。
完璧などありません。
敵の“動き”は読み切れませんから」
尚玄は苦笑した。
「初陣の時とは比べ物にならんな。
若いのに随分と参謀らしい物言いをするようになった」
「……背負うものが、できましたので」
朔夜の視線が机の端に置かれた御守りへ向かう。
尚玄はそれに気づき、ゆっくりと息を吐いた。
「夕凪か」
「はい。
……夕凪がどこかで生きているなら……
黒鋼は必ず彼女に関わっている」
声は震えていなかったが、
その奥にある焦燥は隠しきれなかった。
尚玄は作戦図を見つめながら言う。
「黒鋼は巫女の血脈を“力”として扱う。
だが、帝国もまた聖域に巫女を縛りすぎた。
お前が感じている違和感は、正しいのかもしれぬ」
朔夜の指が震えた。
(帝国は……夕凪を本当に守れたのか?
自分だって――何もできなかった)
そんな自責の念が胸を刺す。
だが尚玄の次の言葉は、その苦しみに寄り添うようだった。
「朔夜。
お前は“救おうとしている”。
その心は――どの国のどの軍人よりも正しい」
朔夜は目を伏せた。
「……ありがとうございます。
でも僕は、ただ……妹を取り戻したいだけです」
「そのために戦うなら、それでいい。
だが――」
尚玄の声が低くなる。
「戦場は、お前が思うよりも“人の心”を揺らす場所だ。
敵を殺し、仲間を失い、
信じていた正義すら揺らぎかねん」
朔夜は気づかない。
それは尚玄自身の過去の重さが滲んだ警告であることに。
「覚えておけ。
お前は戦術参謀だ。
死んではならん。
生きてこそ、守れる者がいる」
その言葉は、朔夜の胸に深く刺さった。
作戦室を出ると、
夜の桜灯区は突如、風が強くなった。
花弁状の光粒が渦巻く。
遠くの空で――
ゴロォ……と、春雷のような重低音が響いた。
(……雷?)
朔夜は空を見上げた。
だがその雷は、ただの自然現象ではない。
黒鋼連邦の蒸気塔が、夜を貫くように咆哮した音なのだ。
彼は知らなかった。
その同じ音を、
遠く離れた工業都市で、朔夜と同じ空を見つめる少年――
刃向蓮も聞いていたことを。
そして、蓮は蓮で
「夕凪を守るため」
「朔夜を救うため」
戦場へ向かう覚悟を固めていた。
二人の“正義”が、
同じ夜に燃え上がり始めていた。
静かな雷鳴は、
まるで二人の心を呼び合うかのように、長く響き続けた。
明朝――
『桜雷作戦』が始まる。




