第23話(表) 『夕凪の心層 ― 壊れた祈りの場所で』
光が弾け、世界が裏返った。
気づけば朔夜は、
静寂に閉ざされた“白い部屋”に立っていた。
扉の心臓領域の荒々しい光も、
影夕凪の叫びも、
蓮の声も——
すべて消えている。
ただ、
沈黙だけがそこにあった。
「……ここは……?」
朔夜は周囲を見渡した。
白い床、白い壁、白い天井。
色も、影もない。
だが空気の奥に——
涙と血の匂いに似た気配がある。
(夕凪が……いる)
確信した瞬間、
部屋の中央にぽつりと“影”が落ちた。
影は少女の形をしていた。
その影がゆっくりと色を帯びていく。
白だった空間に、
淡い桜色が滲む。
そして——
少女が現れた。
夕凪。
だがその姿は、
朔夜が知っている妹よりも少し幼く、
震える小鳥のように頼りなくて、
その瞳には深く濁った悲しみが宿っていた。
「……夕凪?」
夕凪は顔を上げた。
その唇は震え、
声はかすれていた。
「お兄ちゃん……
どうして……ここに……?」
朔夜は一歩近づいた。
「お前を迎えに来た。
それ以外に理由はない」
夕凪は首を振る。
「だめ……来ちゃ……だめ……」
朔夜は胸が締め付けられた。
「夕凪、俺は——」
「お兄ちゃんは……
世界を背負ってるんでしょ……?」
ドクリ、と朔夜の心臓が鳴る。
夕凪は涙を流しながら続けた。
「お兄ちゃんは……強くて……
みんなに頼られて……
帝国を動かす人で……
私みたいなの……
迷惑でしか……ないのに……」
その言葉は
刃のように鋭く
朔夜の胸に突き刺さる。
(夕凪……お前……そんなふうに……)
朔夜は膝をついた。
「迷惑なんかじゃない。
夕凪、お前は——」
夕凪がかぶりを振る。
「だってお兄ちゃん……昔から……
苦しそうだった……
泣きたいのに……泣かないで……
私のために……がんばって……
だから……
私、泣いたらだめだって……思ったの……」
朔夜の呼吸が止まる。
夕凪が震える声で続ける。
「泣いたら……お兄ちゃんが困るから……
弱音なんか言ったら……嫌われるから……
だから……
全部、隠したの……
痛いのも……怖いのも……」
(……俺のせいだ)
影夕凪の存在理由が
朔夜の脳裏に浮かぶ。
夕凪が隠した涙。
夕凪が飲み込んだ痛み。
夕凪が我慢した弱さ。
それが影となって形を得た——
ならばそれは、
朔夜が守れなかった“夕凪そのものの悲しみ”。
朔夜は夕凪の前で頭を下げた。
「……すまない」
夕凪が目を見開いた。
「お兄ちゃん……?」
「俺は……お前を守るどころか……
お前を孤独にしていた。
お前が泣けないようにしたのは……
俺だ……」
夕凪の瞳から涙が溢れる。
朔夜は震える声で続けた。
「夕凪……
泣いてくれ。
弱音を吐いてくれ。
頼ってくれ。
俺は……お前の兄なんだ……
守らせてくれ……
お前を救わせてくれ……!」
夕凪は胸に手を当て、
押し殺すように泣いた。
「……ほんとうは……
ずっと……
泣きたかった……」
朔夜は夕凪を抱きしめた。
小さく震える身体。
その温度を感じた瞬間、
朔夜の目にも涙が滲む。
「夕凪……
お前は俺の誇りだ。
迷惑なんかじゃない。
世界のどんな宝よりも……
大切な妹だ」
夕凪の泣き声が、
少しだけ明るくなった。
しかし——
その背後で、暗い影が揺れる。
影夕凪の姿だ。
幼く、泣き叫ぶ夕凪の“影”。
その表情は、
嫉妬でも怒りでもなく——
ただただ苦しげだった。
『お兄ちゃん……
どうして……
私には……気づいてくれなかったの……?』
朔夜の心臓が痛む。
(……お前も……夕凪なんだな……)
影夕凪は涙を流しながら告げる。
『夕凪が……押し殺した声を……
私は全部抱えて……生まれたのに……
どうして……“偽物”って言うの……?
どうして……認めてくれないの……?』
夕凪本人が朔夜の腕の中で震える。
『……ちがうの……
影ちゃんは……
わたしの……もうひとりの……わたし……
だから……
きらいにならないで……
お兄ちゃん……』
影も、本物の夕凪も、
互いを見つめていた。
そして朔夜は——
影夕凪に向き合う覚悟を決めた。
「影よ。
お前は偽物ではない。
夕凪の痛みだ。
夕凪の“もう一つの心”だ。
その存在を否定しない」
影夕凪の涙が止まる。
朔夜は続ける。
「だが——
お前が夕凪を飲み込もうとするのなら……
俺は刀を取る。
夕凪を守るために」
夕凪本人が震える。
影夕凪は泣きながら微笑んだ。
『やっぱり……
そうなんだね……
お兄ちゃん……』
白い空間が震えた。
影夕凪の後ろで、
巨大な影の波が広がる。
夕凪の心は二つに裂けかけていた。
朔夜は夕凪の手を強く握った。
「夕凪。
もう一度問う。
——お前はどうしたいんだ?」
夕凪は涙をぬぐい、
震える声で答えた。
「わたし……
帰りたい……
お兄ちゃんと……
みんなのところに……
——帰りたい……!」
朔夜の目に強い光が宿る。
「なら、俺が連れ戻す。」
次の瞬間、部屋が砕け、
影夕凪が悲鳴を上げる。
『いやああああ!!
夕凪を連れて行かないで!!
私は……
私は……“ひとり”になっちゃう……!!』
白い世界が蒼い光に呑まれた。
朔夜は夕凪の手を握り——
闇へ落ちていく。
第二部、最終決戦へ。




