第13話『桜花帝国・揺れる参謀本部』
蒼光が世界を覆った夜から、まだ数日しか経っていない。
だが桜花帝国の参謀本部は、まるで開戦前夜のような空気に満ちていた。
戦略地図の前では将軍たちが声を荒げ、陰陽術士は異常な地脈反応を何度も報告し、
桜花蒸塔は不穏な脈動を続けている。
その渦中、天城朔夜は静かに書類へ目を通していた。
しかし彼の指は、わずかに震えていた。
書類に並ぶ数字ではなく——
耳に残るあの声のせいだ。
『お兄ちゃん……』
夕凪の声。
蒼光が世界を包んだあの瞬間、確かに聞こえた。
朔夜の心臓を掴むような、あまりに懐かしく、あまりに痛い声。
……だがそれを報告できるはずがない。
参謀としての冷静さより、兄としての想いが勝ったことを知られてはならない。
朔夜は報告書に手を伸ばし、筆を走らせる。
——“音声的異常反応、確認されず”。
そのとき。
「……朔夜様」
扉を叩く音とともに、凛とした声が響いた。
朱雀院燈子。
参謀本部付きの副官にして、朔夜の右腕。
「入れ」
燈子が姿を現すと、室内の温度がわずかに変わった。
黒髪を低く束ね、赤い装飾の軍服をきっちりと着こなし、
端正な表情はいつもの通り——しかし目だけが鋭く光っていた。
「先ほどの報告書……確認してもよろしいですか?」
「……構わない」
燈子の指が、書類の一行で止まる。
“異常反応なし”
瞬間、彼女の眉がわずかに動いた。
「朔夜様。蒼光発生時、城下で多数の“音響反応”が観測されています。
陰陽庁の記録にも同様の数字があります。それなのに……」
「——私の判断だ」
朔夜は短く遮った。
燈子はさらに踏み込む。
「では、なぜ“なし”と?」
その問いは鋭かった。
だがその裏には、朔夜を信じたいという想いも滲んでいた。
朔夜は視線を外すことなく、静かに答えた。
「帝国の動揺を避けるためだ。今は、余計な波紋を起こすべきではない」
燈子は一拍置き、真っ直ぐ朔夜を見る。
「……本当は何が起きたのですか?」
胸の奥に刺さる言葉。
朔夜は知らず、窓の外——蒼光を見た方向へと視線を流していた。
——夕凪。
言いかけたが、喉で止まる。
兄として叫びたい本音が、参謀としての理性に押し込められる。
沈黙ののち、朔夜は冷えた声で言った。
「燈子。お前は優秀だ。だが踏み込んではならない領域もある」
燈子の目が揺れる。
「……承知しました」
だが、その“承知します”は服従ではない。
——この人は、嘘をついている。
燈子の瞳は、そう語っていた。
そのとき、緊急警報の鐘が響く。
「帝国北端・千鳥峠で地脈暴走! 黒鋼側にも異常——!」
朔夜は席を立つ。
「行くぞ、燈子!」
「……はい!」
だが燈子の心には、確かな疑念が宿っていた。
——朔夜様は、何を隠している?
——あの蒼光の夜に、何を“聞いた”のか?
参謀本部の空気は、さらに張り詰めていく。
そして。
大陸の均衡は、この日を境に静かに崩れ始めていた——。




