6話 影風谷突入 ― 交差する風の読み
夜明け前。
空はまだ暗く、わずかな蒼光が雲を縁取っている。
蒼風調査隊は、ついに“影風谷の入口”に立った。
岩壁の裂け目は深く、
谷底から吹き上がる風は冷たく重い。
鷹守が息を吸い込む。
「……ここから先が、黒鋼の迎撃網だ」
伊吹は喉を鳴らした。
「匂いが違う……鉄と、油と、魔導炉の焦げた臭い……
黒鋼の匂いだ」
明朱が札を握りしめる。
「魔導波が荒れてる……
まるで谷そのものが震えてるみたい」
朔夜は前へ出た。
(蓮……
お前がどこにいるか、分かる)
この谷に、確かに“彼の読み”が存在していた。
風の流れが導くように変わっている。
誰かが“通れる道”を丁寧に作った痕跡。
黒鋼の罠の密度も明らかに偏っている。
誰かが意図的に減らした道――
それは蓮が作った“逃がすルート”。
(ありがとう、蓮……
でも――ここから先は戦場だ)
朔夜は剣を抜いた。
◆ 最初の異変
隊が谷に踏み入れた瞬間、
風が急に止んだ。
周囲の霧が、ぴたりと静止した。
鷹守が囁く。
「……来るぞ」
次の瞬間――!
カンッ――!
岩壁の上で金属音が鳴り、
黒鋼の偵察機械が飛び出した。
「クロガラス! 敵の自動偵察機だ!」
伊吹が剣を抜こうとする。
だが朔夜は手を上げた。
「――待て」
クロガラスは明らかに“こちらをロックオン”していた。
だが奇妙なことに、攻撃してこない。
明朱が目を細めた。
「……動きが鈍い。
誰かが術式を乱してる?」
鷹守も異変に気付いた。
「攻撃パターンが定型だ……
本当に迎撃するつもりなら、もっと素早く囲まれる」
朔夜の胸がざわつく。
(蓮……
これも、お前がやったのか?)
クロガラスは一度だけ鳴き、
谷の奥へ飛び去っていった。
伊吹が言う。
「……今の、迎撃じゃないですよね?
偵察だけ……? なんで?」
朔夜は短く答えた。
「……こちらの位置確認だ。
“本命”が来る前の」
三人はその言葉に息を呑んだ。
◆ 尾根の影
谷の奥へ少し進むと、
風の流れが明確に変わった。
朔夜の背筋が震える。
(この風は……蓮の“読み”だ)
風向きの変化。
障害物の配置。
匂いの濃淡。
幼い頃から蓮と読み合ってきた朔夜には分かる。
これは蓮の“誘導”。
鷹守が囁く。
「天城……
この風は……何か知ってる風か?」
朔夜は息を整えて答えた。
「かつて……一緒に訓練した男の“癖”だ」
伊吹が目をまるくする。
「……まさか」
「黒鋼の“読み手”――
刃向蓮だ」
三人の表情が凍りつく。
鷹守は状況を飲み込み、深く頷いた。
「……なるほどな。
だからこの道は“通れる”。
迎撃部隊がいるのに“襲ってこない”理由も分かった」
明朱が声を震わせて言う。
「じゃあ……蓮さんは、私たちを――」
朔夜は続きを言わなかった。
だが答えは一つ。
蓮は“庇っている”。
敵であるはずの彼が、
自分たちが殺されないように動いている。
胸が痛んだ。
(蓮……
お前はどれほど……ひとりで背負ってきたんだ)
◆ 接触の気配
その時――!
空気が震えた。
ズ……ン……
低い音が谷全体を揺らす。
明朱が叫ぶ。
「黒鋼の魔導装兵が動き始めた!
迎撃隊、本格始動よ!」
岩壁の上に黒い影がいくつも現れた。
黒鋼装兵だ。
しかし奇妙なことに、動きはぎこちない。
伊吹が剣を構える。
「天城参謀! 一気に来ます!」
だが朔夜は違和感を感じ取っていた。
(動きが……“遅い”)
蓮がまた何か仕込んでいる。
敵として立つそぶりを見せながら、
実際には殺意を弱めている。
鷹守が低く言う。
「なるほど……
“迎撃のフリ”か」
装兵たちは飛びかかるのではなく、
隊の進路を“誘導するように”動いていた。
朔夜は決断した。
「進む。
蓮の“読み”に乗る」
伊吹が驚く。
「え!? 敵の誘導に乗るんですか!?」
「蓮なら……必ず俺たちを殺す方向には導かない。
それだけは分かる」
鷹守も頷く。
「……信じるか。
分かった」
◆ そして――“その気配”
谷の奥へ踏み込んだ瞬間――
風が、鋭く切り裂かれた。
ザァァッ!
胸の奥が震える。
(――蓮だ)
風の流れ。
空気の張りつめ。
地面の微かな振動。
すべてが、蓮が近くにいる証。
明朱が叫ぶ。
「来る!
天城……“読み手”がこの先にいる!」
伊吹が剣を構える。
鷹守は風下を睨む。
朔夜は静かに息を吸う。
(蓮……
ここで……会うんだな)
谷の向こうで、
黒い影がわずかに揺れた。
それは――朔夜の目が覚えている“彼の影”。
夜明けの蒼光が谷を照らし始めた。
黒鋼と桜花の“読み”が――
いま、交差しようとしている。




