第一話 蒸気の霧に咲く初陣
(『雷哭ノ桜花戦記 ― 奪われた鍵を求めて』)
蒸気の霧が、戦場を白く覆っていた。
冷えた金属の匂いと、焦げた油の臭気が混じり、空気は重く淀んでいる。
「……敵影、前方より接近!」
桜花帝国の陣幕が揺れた。朱塗りの布地に描かれた桜花紋は、霧の向こうへゆらりと溶け込んでいく。
新米兵・天城朔夜は喉を鳴らした。
槍を握る手が汗で湿っているのを自覚しながら、震える指を押さえつける。
(……怖い。でも――)
胸の奥には、霧よりも重く澱んだ感情が渦巻いていた。
故郷を焼き、家族を奪った黒鋼連邦への憎悪。
そして、連れ去られた妹・夕凪の姿。
大地が震えた。
霧を押し分けるように、黒い影が近づいてくる。
「来るぞ……! 陸蒸気兵だ!」
叫びのとおり、それは巨兵だった。
黒鋼連邦の象徴――陸蒸気兵。
鋼鉄の脚が地を踏み鳴らすたび、大地に亀裂が走る。
胸部に埋め込まれた魔導炉が脈動し、蒼白い光が不気味に明滅する。
蒸気を噴射しながら突き進むその姿は、まさに鉄の獣だった。
「弓隊構え! 陰陽師は術式展開! 槍隊は押し返せ!」
将校の怒号が飛ぶが、陸蒸気兵の咆哮にかき消される。
前衛の兵が、巨腕の一振りだけで宙へと弾き飛ばされた。
人間の身など、鉄塊の前では布のようだ。
朔夜は恐怖で体が固まるのを感じた。
逃げたい――そう思ったその瞬間、目に入ったものがあった。
陸蒸気兵の右脚。
踏みしめた後、わずかに沈む角度。
関節の軋み。
魔導炉の光の揺らぎ。
(……あれ、動きが噛み合ってない?)
霧の流れ、風の向き、地面の硬さ――
すべてが、頭の中でひとつの“戦場の図”に変わっていく。
朔夜は、気づいたら叫んでいた。
「右前脚だ! あそこに隙がある! 狙えば、止められる!」
「勝手に指示を――!」
将校が怒鳴った瞬間、
弓兵の一人が朔夜の声を信じ、矢を放った。
霧を切り裂き、鋼の継ぎ目へと消える矢影。
刹那――
ガギン!
という金属が悲鳴を上げ、陸蒸気兵の脚が大きくよろめいた。
「効いたぞ……!」
弓隊が次々と同じ部位を射抜く。
矢が駆動部に突き刺さり、魔導炉の光が不規則に点滅する。
陸蒸気兵はついにバランスを崩し、
巨大な影が地鳴りとともに倒れ込んだ。
その瞬間を逃さず、槍隊が咆哮を上げて突撃する。
蒸気の霧の向こう、
鉄巨兵の巨体が動かなくなったのを見て、
朔夜はただ呆然と立ち尽くした。
自分が何をしたのかわからなかった。
ただ――頭の中に“勝ち筋”が見えただけだ。
背後から、重い足音が近づいた。
「……天城朔夜、だったな」
霧の中から現れたのは、桜花帝国軍の名将にして叩き上げの知将、
**槍月尚玄**だった。
鋭い目が朔夜を見つめる。
「お前の声がなければ、前線は崩壊していた。
……あれを見抜いた理由、聞かせてもらおうか」
「い、いえ……ただ、見えたんです。動きが……」
「“見えた”、か」
尚玄は深く頷き、静かに言った。
「戦場で生き残る者は、ただ強い者ではない。
**“見抜く者”**だ。
覚えておけ、朔夜。
お前はまだ気づいていないだけで、戦の神に選ばれている」
その言葉が胸に刺さる。
恐怖で震える体の奥底に、熱が灯った。
(……夕凪。必ず助ける。
黒鋼に奪われた“鍵”は、俺が取り戻す――)
霧が晴れ、倒れた陸蒸気兵の影が長く伸びる。
その影のさらに奥。
朔夜の知らぬ場所で、
かつての幼馴染と、“裏切りの老人”が静かに暗躍を始めていた。
戦争はまだ始まったばかり。
雷が哭く戦場へ、朔夜は踏み出していく。




