第九話 帝都、影に揺らぐ ― 忍び寄る黒影と参謀殺し
桜灯区の夜は、本来ならば穏やかで静かだ。
淡い桃色の光が石畳を照らし、蒸気車の通る音すら柔らかく聞こえる――
だが今夜は違った。
空気が、妙に冷たい。
夕凪の札を手に帰還した朔夜は、
参謀宿舎の一室で報告書をまとめながら、
どこか胸の奥に不穏なざわめきを感じていた。
(黒鋼……
夕凪を隠している……
となれば――
帝都に何か仕掛けてくる可能性がある)
被害の出た桜雷作戦の直後、
敵が反撃を仕掛けた前例はない。
だが、今回は違う。
なぜなら――
朔夜自身が標的になっている可能性があるからだ。
札をそっと手の中で握りしめる。
(夕凪……
僕は必ず探し出す。
お前の手が届かないところにいるなら――
僕がそこへ行くしかない)
ふと、窓から吹き込んだ風が
蝋燭の火を揺らした。
その瞬間――
ヒュ……ッ!
空気がわずかに“裂れた”。
朔夜は咄嗟に机の下へ滑り込む。
スパァンッ!!
さっきまで頭があった位置を、刃が切り裂いていた。
(……来た!)
黒い影が窓から滑り込む。
昨日の戦場で見た“刺客”と同じ――
いや、もっと鋭く、迷いがない。
影機関・上位格《灰刃》。
一瞬の迷いもない殺意が朔夜へ向かってくる。
朔夜は棚を蹴り倒し、体を横に転がしながら
すぐに怒鳴った。
「衛兵!! 参謀宿舎に敵――!」
だが声は刃に遮られ、扉の前で倒れていた。
既に衛兵は無力化されている。
(影機関……本気で僕を殺しに来たのか……!)
刺客の刃が再び迫る。
その刃は感情も、揺らぎも、息すらない。
ただ殺すためだけの刃。
朔夜は机を盾にしながら、
冷静に空間を分析した。
(刺客はまだ“様子見”だ……
誰かの指令を忠実に受けて動いている……
なら――)
朔夜は机を影へ投げつけ、
隙を作って部屋の奥の魔導通信器に走ろうとした。
だが――
「遅い」
背後から低く冷たい声がした。
刺客は影から影へ移動したかのような速度で、
朔夜の前に立ちはだかった。
(速い……!
戦場で見た影機関の刺客より……桁違いだ……!)
刃が振り下ろされる。
朔夜は、間に合わないと悟った。
(ここまでなのか――)
その時。
ガァァンッ!!
扉が爆ぜて開く。
「天城殿、伏せろ!!」
侍工廠・影山隊が飛び込んできて
刃を受け止めた。
金属音と火花が走り、狭い室内で蒸気が弾ける。
「くそっ……こいつ、軽いのに重いぞ!!」
刺客は表情を変えず、素早く距離を取った。
影山隊長が朔夜を庇いながら叫ぶ。
「天城殿! 影機関の上位格です!!
退避を!!」
「そんな暇は……!」
朔夜の脳はすでに“参謀としての計算”に入っていた。
(刺客の目的は僕の殺害――
つまり黒鋼は、僕の存在自体を脅威として認識している。
夕凪の札を拾ったことがバレた……
いや、それ以上に――)
影山隊が刺客を押し返しながら言う。
「参謀本部へ! 尚玄将軍の元へ行け!!」
朔夜は頷き、
刺客が隙を作った瞬間、廊下へ飛び出した。
影が追う。
(速い……
これでは間に合わない……!)
朔夜が階段を駆け下りたその時――
外の闇から、別の影が交差した。
「……ッ!」
刺客が跳び退く。
そこに立っていたのは、
桜花帝国の“千影衆”と呼ばれる帝国忍軍の長、
**鴉丸**だった。
「ここから先は、桜花の庭だ。
黒鋼の刃は戻ってもらおう」
刺客は一言も発さない。
その姿は揺れ――消えた。
影の気配は霧のように散っていく。
(……帰った?
本気で殺しに来ていたのに?
なぜ……?)
鴉丸が朔夜に向かい、静かに言った。
「天城殿。
奴らは“本気で殺すつもり”ではなかった。
あくまで“試し”だ」
「試し……?」
「黒鋼は、お前の精度と反応を測った。
……敵は、そなたを“要”と認識したのだ」
朔夜の背筋が冷たくなる。
(つまり……
蓮と同じように“僕も標的”に……)
鴉丸は続ける。
「天城朔夜。
敵はお前を揺らしたいのだ。
――心を折るためにな」
朔夜の胸に、“蓮”の姿がよぎる。
(揺らす……
迷わせる……
それって……)
黒鋼が蓮に何かを命じている気配を朔夜は感じていた。
鴉丸は札を見て、低く言った。
「夕凪殿。
あの子を手に入れた黒鋼が次に狙うのは、
間違いなく《扉》だ」
朔夜は拳を握りしめる。
(蓮……
夕凪……
僕はもう、引き返せない)
鴉丸が朔夜の肩に手を置く。
「参謀殿。
覚悟を決めよ。
黒鋼との“次の作戦”が始まる」
帝都の空に、
低い雷鳴が響いた。
それは――
黒鋼の蒸気塔が遠くで吠える音だった。




