第36話(表)
――余白が消える時
朝の空は、静かすぎた。
風は弱く、雲の動きも遅い。
それが、かえって不穏だった。
桜花は、進軍を止めた丘の上で地図を見下ろしていた。
橋と水源。
あの“精算の場所”から、半日。
「……静かすぎる」
矢上が頷く。
「黒鋼軍、動きがありません。
斥候も、こちらの圧に触れずに戻っています」
「触れさせていない、か」
桜花は、地図の端を指でなぞる。
黒鋼は退いた。
だが、姿を消したわけではない。
余白を残したまま、離れた。
◇
桜花は、ゆっくりと息を吸った。
戦を終わらせた。
だが、終わらせ“切った”わけではない。
剣を振らず、
勝敗を決めず、
精算という形で場を閉じた。
「……次は、その続きだ」
矢上が、慎重に言う。
「黒鋼は、
次に来る場所を、すでに決めているでしょうか」
「決めている」
桜花は、迷わず答えた。
「そして――
そこには、余白がない」
◇
地図の中央。
大きな街道。
山と山に挟まれ、逃げ道が限られる地形。
「……ここだな」
矢上が、息を呑む。
「ここは……
退路が一本しかありません」
「そうだ」
桜花は、頷いた。
「黒鋼が言っていた。
“次は逃げ場がない戦だ”と」
それは、脅しではない。
宣告だ。
◇
桜花は、剣に触れた。
抜かない。
だが、確かめる。
精算の後に残った余白。
それは、選択肢の幅だった。
だが、
次の場所には、
その幅がない。
「……守るか、
突破するか」
その二択しか残らない。
◇
桜花は、本隊へ命じた。
「進軍を再開する。
速度は落とすな。
だが、先行しすぎるな」
矢上が、確認する。
「衝突前提、ですか」
「衝突を避けられない前提だ」
桜花は、はっきりと言った。
「だからこそ、
ここで迷わない」
◇
兵たちが動き出す。
音が増え、気配が濃くなる。
戦場が、
再び形を取り始めていた。
◇
桜花は、馬上で空を見上げた。
雲は低い。
雷の気配は、まだ遠い。
「……黒鋼」
心の中で名を呼ぶ。
「精算は終わった。
余白も、もうない」
ここから先は、
選択の連続ではない。
選んだ結果を、
押し通すだけの戦だ。
◇
進路の先、
街道が細く絞られていく。
逃げ場はない。
引き返せない。
余白が消える。
だからこそ――
桜花は、前を見据えた。
「……来い」
それは、挑発ではない。
受け入れだ。
戦は、
再び始まる。
今度は、
終わらせるためではなく――
決め切るために。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
ここ最近は、
「守る」「切る」「選ぶ」
そんな話が続いています。
書いている側としても、
簡単な答えは出せないまま進んでいますが、
だからこそ、この形で書いています。
田舎のおっさんの戦記ですが、
もう少しだけ、お付き合いください。




