第35話(表)
――精算のあとに残るもの
橋に、朝の光が戻っていた。
霧は薄れ、水の流れが音を取り戻す。
桜花は、しばらくその場を動かなかった。
剣は鞘に収められ、手綱も緩められている。
だが、緊張が解けたわけではない。
「……引いたな」
矢上が、慎重に周囲を見渡す。
「はい。
黒鋼軍、水源から完全に離脱。
橋の保持も解除されています」
「そうか」
短く答える。
それ以上の言葉は、すぐには出なかった。
◇
精算は終わった。
だが、すべてが元に戻ったわけではない。
橋は無事だ。
水は流れている。
人も、また戻ってくるだろう。
それでも――
何かが確実に変わった。
「……守れたな」
矢上が、ぽつりと言う。
「守れた」
桜花は、否定しなかった。
「だが、
取り戻したわけじゃない」
◇
桜花は、橋の中央へ歩み出た。
足元の石は、昨日と同じだ。
だが、踏みしめる感触が違う。
戦わずに終わらせた。
剣を振らずに、押し返した。
それは、勝利ではない。
だが――
「……選択だ」
自分で選び、
自分で引き受けた。
◇
兵の一人が、恐る恐る声をかける。
「将……
これで、終わりなのでしょうか」
桜花は、少し考えてから答えた。
「この戦は、
ここで終わった」
だが、と続ける。
「戦が終わったわけじゃない」
◇
黒鋼は、退いた。
だが、負けてはいない。
桜花は、守った。
だが、勝ってはいない。
それが、この精算の中身だ。
「……矢上」
「はっ」
「この場所に、
人を残せ」
矢上が、目を上げる。
「守りのため、ですか」
「違う」
桜花は、首を横に振った。
「忘れないためだ」
◇
戦わなかった選択。
剣を振らなかった責任。
それらは、目に見えない。
だからこそ、
形として残す必要がある。
「ここで何があったかを、
語れる者を残す」
矢上は、静かに頷いた。
◇
桜花は、空を見上げた。
雲はまだ多いが、
雷の気配はない。
「……黒鋼」
名を呼ぶ。
怒りでも、憎しみでもない。
「お前は、
精算を引き受けた」
だから、この場は終わった。
「だが、
次はもっと重い」
◇
桜花は、馬に乗った。
「行くぞ」
それは、追撃ではない。
勝利の進軍でもない。
次の選択へ向かうための移動だ。
精算のあとには、
必ず“余白”が残る。
その余白を、
どう埋めるかで、
次の戦の形が決まる。
桜花は、前を向いた。
守れたもの。
守れなかったもの。
そして――
守ると決め続ける覚悟。
それらすべてを抱えたまま、
戦は、次の章へと進んでいく。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
ここ最近は、
「守る」「切る」「選ぶ」
そんな話が続いています。
書いている側としても、
簡単な答えは出せないまま進んでいますが、
だからこそ、この形で書いています。
田舎のおっさんの戦記ですが、
もう少しだけ、お付き合いください。




