社会人六年目①
街に木枯らしが吹く頃、派遣先での業務が始まった。渡された社員証は自分の顔写真が入ったものだった。社員証をゲートに翳して入館するシステムだった。映画やドラマで憧れていた姿そのものだった。とてもワクワクした。朝の九時三十分から始業し、夕方の十七時終業だったかと思う。今まで接客業しか経験したことが無かったので、朝に出社して夕方退社する勤務体制は新鮮だった。給料面は、正社員時代よりも月給は上がった。正社員時代は、社会保障料や社宅費、所得税など諸々引かれる金額が多かったので、手取りで月十四万ほどだった。雇用形態は派遣社員だったが、月給制で手取りで二十万は超えていた。その代わり、正社員時代に貰えていた賞与は一切出なかった。正規雇用で無いと貰えない。それから、社会保障料や所得税なんかは給料から引かれたが、住民税は自宅に届く通知で自分で払わなければならなかった。国に納める税金などの未納があると、督促は厳しいので、忘れずに期日までに支払うことをお勧めする。
自分専用のノートパソコンが支給された。オフィスは「オープンオフィス」の形態だった。会議室は幾つもあり、それぞれ広さや、内装が違っていてお洒落だった。社員食堂もあり、安価で美味しい定食や麺料理が食べられた。「今日のメニューは何なのか」と毎日楽しみにしていた。メディア関係だった為か、服装は自由だったし、派手な髪色やネイルも許されていた。正に、憧れていた「キラキラOL」に自分もなったのだ。
最初の業務内容は、「営業事務」のようなものだった。新規事業の立ち上げメンバーの一人でもあったので、覚えることは多かったが、事務作業は好きだし得意だと自負していたので苦ではなかった。部長と副部長、それから私よりも一ヶ月ほど先に、ヘッドハンティングされ正社員として入社していた優秀な同僚だけで、少数精鋭の部署だったので、人疲れしやすい私にとっては気楽な環境だった。それに皆男性で、自分の娘でもおかしく無い年齢の私のことを、可愛がってくれた。
その内、様々な業務を任される程になった。〇から一を産み出すのは難しい。だが、部署の人たちは皆、優秀で人柄も良かったので、なんだかんだ毎日会社に行くのが楽しみだった。関東方面に出張に行くことも度々あった。私は東京より上に、北上したことは無かったのだが、人生で初めて栃木県の宇都宮市に行くことができた。生まれ育った福井よりも都会で素敵な街だと思った。会社の皆で食卓を囲んだ、名物「宇都宮餃子」は美味しかった。
大変なことよりも、新鮮で楽しいことの方が多かったが、そんな中で私が苦手意識を持っていた「テレアポ」の業務をすることになった。電話することは昔から得意では無い。顔が見えない分、余計に言葉遣いを気にしてしまい緊張する。それは今も変わっていない。ネット予約が使えるなら、初めての場所だと特にネット予約を利用する。それに営業業務だ。相手の時間を取るのが申し訳なく思い、なかなか強気で行くことができない。性格上、営業向きでは無いのだろう。ある程度の図太さが無ければ、務まらない職務だと思う。それでも、適度に手を抜きつつ業務に励んだ。時には夜二十二時近くまで残業したこともある。
そんな中で、派遣社員として働き始めて八ヶ月程経った頃か。あの時の悪夢が再び訪れた。また「眠りが浅い」と感じる日々が続いた。その内、感情は卑屈になり、文字も読みにくくなった。自分の中で決定的になったのは、人から聞いた情報と自分が書き写していた情報に齟齬があったことだ。こんなことは、初めてだった。また限界を迎えてしまった。あんなに楽しみにしてたのに、会社に行くことが億劫になった。契約面談で、「更新はしない」方向を伝えたが、有難いことに先方は、「働き方の配慮をするから、これからも一緒に働きたい」と言ってくれた。だが私は、「行きたくない」という自分の感情に抗って、化粧もせず髪も乱れたまま泣きながら通勤し、急遽設定してくれた面談で、「こういう状態になってしまったので、引き続きここで働くことは難しい。心療内科に行こうと思う。」と伝えた。その日のうちに、契約終了となった。
何となく一度目とは違う心療内科を受診することにした。初診のフリをしてだ。心療内科や精神科といったところは、本来セカンドオピニオンを受けるときには、紹介状や最初に罹った病院の先生からの口添えなどが必要になることが殆どだ。だが、精神的に参っていて、それは面倒で億劫だったので初診のフリをした。先生は、私の状態を見て「双極性障害」との診断を下した。初めて対面する先生ではあったが、その診断に私は自分の中で納得した。双極性障害とは、一昔前まで「躁鬱病」と言われていた精神障害だ。「鬱病」と間違われやすいので、そう呼び名が変わった。双極性障害と鬱病は全く異なる病気だ。ここでは長くなってしまうので割愛するが、処方薬や療法の仕方も異なってくる。私は「双極性障害Ⅱ型」だった。「抗精神薬」が処方され、心理士のカウンセリングを受けることになった。稲刈りが始まる時期の頃だった。




