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残念、無念

 ダイスケは椀の中を見つめ、眉をひくりと動かした。

 口の端もつられ不自然に持ち上がるが、それ以上、あえて何も動作を起こそうとはしなかった。何故なら行動によって今の気持ちを表そうという意図が働かなかった。いや、むしろ、別の思考で忙しかった、と言ってもいい。ダイスケの見つめているのは、ダイスケの朝食の席でいつも出されるみそ汁だった。


 その汁の中に、目玉が一つ浮いていた。


 ダイスケの瞳にしきりに映り込み存在を主張するそれは、煮干しと姿をかえたカタクチイワシのものだ。最近、ダイスケの母は煮干しで出汁をとるのに凝っているのだ。

 それに対しては、なんの異論もない。みそ汁の出汁はカツオだいやサバだ昆布だなどと、宗教的なこだわりはダイスケにはない。

 だが、この目玉。ダイスケの母は出汁を引き上げる時に濾すなどという工程は挟まず、いかにも家庭的に網杓子でざぶざぶとするので、どうしても脆くなった哀れなイワシの残骸が汁に残る。

 この目玉はその母の所業の証だ。むろん、目玉だけではない。尾や骨のかすなどが、汁の終盤辺りになれば、イワシの怨嗟のようにダイスケの舌や喉をざらざらと通り過ぎていく。父が最近、みそ汁を飲み終わった後、口の中で舌をもごもごと動かすのは、おそらくそのせいであろう、ダイスケはそう思っている。ダイスケにとって尾も骨もさして問題ではない。


 しかしこの目玉。ダイスケはどうにもこの目玉が気になるのだ。しかしこれ自体、ダイスケはもともとは平気であった。


 あれは一週間ほど前のことであろうか、ダイスケはこの目玉と目が合ってしまったのだ。みそ汁を椀の中、半分ほど飲んでしまって一度顔を上げる。熱に浮かされ、混ざりきらぬ味噌が出汁の中をらせんを描き上下している。それをたぷたぷとゆらして混ぜ、仕切り直しとし、さていざ飲み切ろうとしたときだった。


 ぷかり 浮いてきた目玉と目が合った。ダイスケはまじまじと見つめあった。観察して、思いのほか大きいと思ってしまった。その瞬間、ダイスケにとって、ただの物であったそれが、一気に肉を帯びてきた。

 それから、ダイスケはというと、みそ汁を飲み切ることが出来なくなってしまった。何もいつもあれが潜んでいるわけではない。


 ないが、あるかと思えばどうにもゾッとしない。あった日など言語道断だ。

 そして今日は、あった日だ。これはいけない、もうこれ以上はいけそうもなかった。ダイスケの心の内で、残念、無念とだれかが唱えた。


「ごちそうさま」


 ダイスケは椀を食卓に置くと席を立ち、玄関へ向かった。ダイスケは学生鞄を背負い、靴を履き出ていく。いつもの事であるために、誰も振り返りはしなかった。ただ、台所に立つ母が、「はあい」と答えたのみである。




 ◇◇◇


 弟のダイスケが、車に飛び込んだと聞いてアカリはちょっと待ってよ、と思った。おおよそ予想のつくものではなかった。ダイスケの顔を、アカリは最近みていない。それは、いつも朝練で朝早く出ていく自分の為であったが、とにかく、久しく顔を見ていないものが、いきなり起こした非日常に、何か間違ったことが起こっていると感じた。

 一体全体、嘘でしょう。そんな気持ちで、彼女は指定された病室へ向かった。しかし、足を進める度に、電話越しの母の涙声、近づく白い建物のために、いやがおうにもそれが現実であると認めざるをえなかった。


「もうだめだって」


 そんな一言で、ダイスケの今後は決まってしまった。真っ白のベッドの上に横たわるダイスケは、事故において必要かどうかもわからぬ心臓マッサージを、若手の研修医の手により受けていた。



「何か変わったことはございませんでしたか」


 警察の人間まで出てきており、母はなみだながらに何も、と繰り返す。しかし何度目かに、あと思い至った。


「最近、ご飯を残していたように思います」


 みそ汁をあの子はいつも全部飲むのですが、最近は椀の半分残していました。



 《完》


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― 新着の感想 ―
 面白かったです。ゾワッとしますね。  ホントに訳が分からないとこが好きです。例えば「事故で失明しました」とか目玉と何らかの因果を感じたら違う感想になったのかな、と思います。  この「なんで? ど…
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