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寛容な國  作者: SBT-moya
7/11

ローサ・デラクルス


「君の名前を、もう一度聞いてもいいかな?」


「マリア。 マリア デアクルスです」


「……お姉ちゃんの名前は?」


「ローサ」


 田沢はようやく、遺体の本名を知るに至った。






 雨はすっかり雪になっていた。




「ようこそ。花岡市へ。花岡市は、200年の歴史と、犯罪件数が19年間で0件、

 住みたい街ランキング県内1位を誇る、市民の皆様に寄り添った街でございます。

 皆様の安全、財産は、花岡市警がお守りいたします」


 至る所で、このアナウンスの文言が繰り返されている。すでに田沢はこの文言を暗記できるようになっていた。


 車道、自転車道、歩道は全て整備が行き届いており、ゴミ一つ落ちていない。

銀杏並木がまるでクローンのように1個1個全く同じ造形に整えられている。

それに比べて高層ビルの一軒一軒は個性が溢れており、奇天烈な形の建物が所狭しと建ち並んでいるため空は狭い。


 異様なのは、街中の電子掲示板モニター全てから、名誉市長であり、現市長の本間忠和が写っており、

「住みたい街NO1 守りたい あなたの暮らし」というキャッチコピーが添えられている。

まるで英雄扱いだ。


 腕を組み、険しい表情の写真もあれば、笑顔で幼女に囲まれている写真まである。


 雪の降る銀杏並木、厚木をしたご婦人が、同じ格好のロングコートチワワを散歩させている。

フードを被った健康的に痩せた老人が、ランニングをしている。


 ビルのテナントのコーヒーショップには、パソコンを開いている男性。

楽しそうな女子高生達、ご老人のご夫婦が同じ屋根の下コーヒーを啜っている。


 雪の下では止まっているものなどおらず、各々が自分のペースで通りを行き来している。つまり、

路上で寝転んでいる野良犬も、人間も、この街にはいないのは探さなくたってわかる。


 住みたい街NO1なのは嘘ではないのだろう。平和な街だと思う。

気色が悪いほど、平和な街だと思う。


 それでも不思議と田沢は、この街に赴任できるとしても、したいとは思わなかった。

ここで暮らしている人間達の笑顔の裏にあるものを想像しただけで気持ちが悪かった。


 田沢は目的地に急いだ。


 花町市、市役所。

この街の全てが記録されているはずの場所である。


 遺体の女性、ローサは、この街から逃げてきた。なら、ローサの記録も存在するはずである。当然、マリアの記録も。

……どうして花岡市警ではなく、隣町の人間がこんな記録を調べなければならんのだ。 田沢はやはりこの街が好きになれなかった。


 田沢は住民課に向かった。

待合所のソファーには、若いカップルから、おばあさんから、全員幸せそうな顔を浮かべて順番を待っていた。


 田沢の整理番号が呼ばれ、受付に赴く。

呼吸を整えて、職員にだけ見えるように、警察手帳を示した。


「池田ヶ丘署の田沢です。……市境にある遺体のことで伺いたいことがあります」


 注目を浴びたくないので、なるべく静かに問いかけたつもりだった。


「え……っと? 遺体とは?」


 職員が白々しい嘘をつくので、田沢は、


「遺体がこの街の出身だという事はわかってます。

 ローサ・デラクルス。年齢はわかりませんが、7年前までこの街に住んでました。

 流石に7年前の記録は残ってるでしょう」


「えっと……しばらくお待ちくださいね」


 職員は慌てて後ろに引っ込んでいった。

……そこから15分待たされた。

実に居心地の悪い15分だった。これは公式の捜査ではない。田沢の独断である。

……上に知られたら面倒なことになるし、知られる事になるだろう。


 警察という仕事に未練がないわけではない。

しかし、この問題を放っておくことが、どうしても人の道を外れているとしか思えなかったのだ。

それがたとえ『警察の道』を外しているにしても。


 田沢が待つ15分間の間で、どこが、どこに向けて、どんなやりとりが繰り広げられているのか、

田沢は考えるだけで嫌になった。


「田沢さん」


 突然肩を叩かれた。後からだ。

人の気配はまるでしなかった……。


 思わずビクッと体をのけぞらせ、振り向いてみれば、

田沢と同年代、もしくは少しだけ年上と思われる青年が立っていた。

堂々たる体躯だ。

身長は2mを超えているだろう。縦にも横にもでかい。

腕を広げれば、田沢一人は包み込めそうな雰囲気があった。


 『田沢さん』という声からは一種の清廉潔白さを感じたが、

顔面から得られる情報は異なっていた。

目つき、鼻だち、耳の形、その全てが、少なくとも表通りを歩いてきた人間とは思えなかった。

またそれを必死で隠していることすら伝わってきた。


 職業柄、こういう人間は危険であると田沢は警戒した。

男は、用意していた名刺を両手で手渡してきた。


「市長秘書の花井と申します」


「…… ……池田ヶ丘署の田沢です」


「ええ。存じております。池田ヶ丘署から今日こういった捜査があるという問い合わせはございませんが、

 どういったご用件ですか?」


「…… ローサ・デラクルスさんが、7年前この街に住んでいたことが判明したものでして。

 事件解決のために彼女の近辺を捜査するに至った次第です。

 池田ヶ丘は……ご存じの通りの街ですのでローサさんに関する記録が残ってなかったものでして」


 田沢は、花井から出されるオーラに負けないように、精一杯声を絞り出した。


「そうですか。……立ち話もなんですので場所を変えましょう。部屋にご案内いたします」


 花井に通された部屋は、市役所の4階。6畳ほどの部屋だ。

壁には一面に、市長、本間忠和の写真と例のキャッチコピーが貼ってある。


 花井は、『口』の字に並んでいる長机を雑に二つ並べ、パイプ椅子をそれぞれの側に一個ずつ用意した。


「どうぞ」


 花井の表情や声からは相変わらず協力的な誠意を感じるが、

その裏には確実に威圧的な何かが同居していた。


「それで……ローサさん、でしたっけ。

 調べてみたのですがみたのですが、そのような方が過去に花岡市に住まわれていた……という記録がないのですよね」


 花井は分厚い資料を捲りながら口を開いた。


「証人がいます」


「……誰です?」


「……言えませんね。個人情報ですので」


 花井は、田沢の目と、目の奥を見た。


「田沢さん、何か誤解をされてるようですね」


「誤解……?」


「ここから先の事は、少々構造が複雑な話になります。

 田沢さんに説明するにあたりやむなく話すわけですが……もちろん、他言無用……まあ、

 他言無用と言っても、田沢さんの周りにいらっしゃる方におかれましては、すでに周知の事と思慮されますが……」


「他言するかどうかは僕が決めることじゃないんですか? どうも隣町に赴任してから、まともな人間扱いを受けている気がしないので、

 正直癪に触ってるんですよ。 だからはっきり言います。

 7年前の失踪事件ですよ」


「はい」


 花井は表情を崩さなかった。


「……『そんな事件は存在しない』はナシですよ。花井署のHPに掲載されていた事実です」


「失礼ですが失踪したのが、ローサさんである、という証拠はどこから……?」


「証人がいると言ったでしょう。ローサさんの妹さんです」


「はて……」


 花井は、その場にそぐわない笑みを浮かべた。まるで田沢がその事を言うのをわかっていたかのようだ。


「その人は、『本当に存在する人』ですか?」


 ここで田沢の言葉は詰まった。マリアの存在を、証明するものが何もない。


「話を戻しますがね、田沢さんは誤解をされている。

 具体的に……市境で起きた殺人事件の話ですが……

 そもそも我々の捜査を妨害されてるのは、池田ヶ丘署の方なのですよ」


「……え?」


「ご存じないのは田沢さんだけのようでしたがね。

 我々としても早いところ、あの遺体をどうにかして事件を解決したい気持ちはあるのです。

 しかし、『管轄が池田ヶ丘署にあるから関わらないでくれ』と、池田ヶ丘署の方から言われてしまっている状態でして……」


「嘘だ!! 仮にそうだとしたら、花岡市警だったら強制捜査に踏み切るだろう! ウチのメンツなんか気にするはずがない!!」


「しかし事実なんですよ。 田沢さんね。この街の理念をご存じですか?

 『相手を受け入れ、許す』事です。そうやってこの30年は続いてきました。

 それがこの街のポリシーなんです」


「よくもそんな見えすいた嘘を……」


「ところで……」


 花井は、さほど大きな声でもないのに田沢の声を一言で押しとどめた。そのくらいの圧力があった。


「池田ヶ丘さんも、自分の街の事で大変でしょうにね」


「……?」



 すると、田沢のスマートフォンが鳴った。

杉本からだった……。


「おや、緊急の電話じゃないですか? 私に気にせず出られてください。さあ」


 花井の顔は、すでに勝ち誇っていた。

仕方なく田沢は電話に出た。



「はい」


『おい、勤務中にどこほっつき歩いてるんだ。

 殺人事件だよ』


「……すいません。今向かいます。……どこですか?」


『三ノ宮(外国人居住区)だ。被害者は医師のセルジオ・サントス。

 ……背中から銃で撃たれてる。犯人は既に確保。吉住会の組員だ』


「セルジオ……、え……!!」


 田沢の背筋に、強烈な寒気が走った。


「……大丈夫ですか? 田沢さん」


 花井は、訳知り顔なアルカイックスマイルを浮かべていた……。



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