セルジオ
田沢は、自室に入るのに3重のオートロックがかけてある家に、マリアを連れて戻ってきた。
自室に入るなり、知らない人間の匂いを感じ取った犬が吠えた。
「ジャスキィ。ジャスキィ。……」
田沢が飼い犬を諌めた。
「お兄さんの犬?」
「そうだよ」
「いくつ?」
「8歳かな。おじさんだよもう」
マリアが犬に駆け寄り、頭を撫でると、犬の方も最初は嫌がっていたが、
だんだんと触らせることを諦めてきた。
その風景を見て田沢は、マリアはちゃんとこの世に存在する人間なんだな、と当たり前の思考をした。
そして、ここに帰ってくる前にスーパーに寄ってくるのが正解だったと気がついた。
家に何もない。自分はこれから出かけないといけないのに。
そもそも、この子に何を食べさせればいい? アレルギーはないのか。
子供の面倒なんて見たことがない……。
田沢は押し付けられた責任の重さを理不尽に感じた。
「ちょっと出かけてくる。えっと……夕方まで待てる?」
「うん『じっとしていればいい?』」
「……そうだね。夕方までには帰るから」
そう言って、田沢は家をでた。
田沢が向かったのはまた、池田ヶ丘市三ノ宮、外国人居住区だった。
田沢は元々雨が好きではないが、中でもここに降る雨は一番嫌いだった。
この世の不幸が凝縮されて降ってきているように感じた。
田沢は目的地に着くと、車を降りる前に革手袋をしてフードを被り、ドアを開けた瞬間に黒くて大きい傘をさしてなるべく雨に濡れないようにした。
そして、蹴ったら倒れそうな、かたむきかかっている建物に入っていった。
田沢は、ここにくることは初めてだが、噂は聞いていた。というよりも、
『警察が立ち寄ってはならない場所』という、池田ヶ丘市警の暗黙のルールで定められた場所だった。
入り口には、ガタイのいいアジア人が二人、田沢が入ってくるなり立ち上がり威嚇した。
二人は黙って田沢の前に立ち塞がった。
「何か。用事」
「……セルジオに会いたい」
「セルジオ。だめ。いない」
田沢は、男たちの対応をある程度予想していた。少なくとも、日本人は歓迎されないことを。
「セルジオを逮捕しにきたわけじゃないんだ。仕事を頼みたくて」
「NO NO セルジオ、いない」
田沢は、ポケットから用意していた一万円札を取り出し、男に渡した。
「どうしても会いたいんだ」
すると、男の片方が……
「トケイ」
と言っていきた。田沢は腕時計を外して大人しく男に渡した。
すると片方の男は去っていった。
もう片方の男は、田沢の肩を抱き密着して
「Cocoいる? Cocoいる?」 と聞いてくる。
コカインの隠語である。男たちは田沢が警察官であることなど関係ないのだろうか。
むしろ、日本の警察官に薬物を取引していることを楽しんでいるようにすら見える。
「いらない」
田沢が男を振り切って奥に進むと、
「Shabu? Shabuいる?」
としつこく聞いてくる。Shabuはそのままシャブ。つまり覚醒剤。メタンフェタミンだ。
おそらく、男たちはここで製造しているのだろう。本来なら丸腰の警察が来たら命はないところだが、
田沢がナメられているからなのか、腕時計と数万円で許してくれた。
ここは、不法移民がDNA鑑定を受けにくる非合法の病院で、
セルジオという医師が経営している。
東南アジアよろしく「家族ビザ」で移民するために実の親子でなくてもDNA鑑定を偽装するためだ。
反社会勢力の息もしっかりかかっており、アジア系の人間を移民させるために親子関係を偽装するためのラボがある。
セルジオのオフィスに向かったが、誰もいなかったのでアジア系の従業員に話しかけたら、怪訝そうな顔をされて窓の外を指さされた。
そこには、中庭と呼ぶには広大な土地に、ビニールハウスが建っている。
ビニールハウスからは、何かが起動している「やかましい」音が響いており、それが先ほどから聞こえてきていた音の元か。と田沢は思った。
鬱陶しい雨の中をまた数m歩く事になるが、田沢がビニールハウスを開けると、
ドクター・セルジオが中の機械の前に建っていた。
セルジオは田沢を見るなり、流暢な日本語で、
「ウチは日本人は扱ってないよ」
と言った。
「僕じゃない。ある少女の記録を出してほしいんだ。池田ヶ丘にきたのは7年前。
ここでDNA検査を受けてビザと、偽物の戸籍を作ってもらったはずだ」
「……警察か?」
セルジオの警戒心が高まったように感じた。
田沢は警察手帳を見せた。
「池田ヶ丘市警の田沢だ」
「……たまに、あんたみたいな警察がウチに来るよ。
……きた後のことは聞いてるかね?」
「知らないね」
「私も知らない。死んだか、どこかに飛ばされたか、どこかに埋められたかだ」
「……そうか。でも、僕の要件は、今花岡市との境で放置されている遺体に関係しているとしても、協力してはくれないのか?」
「…… ……まあ、その件で誰かは来ると思ってたよ。あんたみたいな若い警察が来るのは意外だったけどね。
勇気あるね。でも、すでに身元がわかっている遺体のDNAなんか調べてどうするんだ」
「遺体じゃない。その妹だ」
「……妹? そんなものはいないし、ここには来ていない」
そう言われることも、田沢はどこかで覚悟していた。何せ、住民票すらないという少女だ。
まるで、存在を隠されているかのような……。
「だったら調べてほしい」
田沢は、ポケットからビニール袋を取り出した。
中にはマリアの髪の毛が入っている。
「……嫌だね」
セルジオは冷たくつっぱねた。
「それは僕が警察だから? それとも日本人だからか?」
「両方だがね。……君はどうして人が隠そうとしているものをわざわざほじくり出そうとするんだ?」
「そこに真実があるからだ」
「真実が、我々に何をしてくれる。真実が仕事をくれるか? 真実が愛をくれたことがあるか?」
「真実を追求することが、僕の仕事だからだ」
「君が真実を追求したとて…… あそこの遺体がどこかにいってくれると思うか?」
「行くべきところに行くさ。そして行くべき場所は真実が導いてくれる。
そして、どうやら真実への手がかりはこれしかないんだ。
彼女は何者だ? どうして、みんな彼女の存在を隠す?
どうして花岡市は彼女に執着するんだ?
事件の捜査を引き受けないのは花岡市のブランドのためだけか?」
「知らないし、知りたくもない。いいか。
真実は……時に人を殺す。特にこの街ではな」
「僕も殺せるかな」
埒が明かないと思った田沢は、腰のニューナンブを取り出し、弾丸を一発だけ装填した。
そして、シリンダーを回して、銃口をこめかみに当てて……。
一発。二発、と引き金を引いた。
セルジオは呆れた顔でただただそれを見ていた。
「覚悟の上さ」
セルジオは大きくため息をついた。目の前にいる警官は若いだけではなく相当な馬鹿らしい。
若い馬鹿ほど扱いにくいものはない。セルジオは観念した。
「高くつくぞ。ウチは保険なんて適応しないからな」
「領収書を切ってくれ」
「……冗談だろう」
……用事を済ませた田沢は、家に帰る前に花岡市のスーパーによって、食品を買い漁った。スーパーでは、なんでも新鮮なものが手に入る。
値段ははるが、『安全』の二文字は金で手に入るのだ。
そして、太陽が沈み切ったあたりで家にたどり着いた。
「ただいま」
田沢が帰ると、その光景に違和感を感じた。
「おかえりなさい」
マリアは待っていた。
……『ここでじっとしていればいい?』と聞いてきた、そのままの姿勢で待っていたのだ。
彼女の周りの空間だけ、接着剤か何かで固定したかのように全てのものが停止したままだった。
彼女は、一人でいる間ここから一歩も動かなかったのだ。
これが彼女にとって当たり前のことだったのだろうか? 一体、どういう教育を受けてきたのだろう?
田沢は戸惑った。
唯一彼女を心配そうにジャスキィが、彼女の足元で丸くなっていた。
「……君の、お父さんは……どこにいるんだ?」
目の前の景色に圧倒され、田沢は口に出さずにいられなかった。
「よく知らない。隣町の人って、お姉ちゃんが言ってた」
マリアは、淡々と、答えた。