死体の押し付けあい
花岡市と、池田ヶ丘市の市境に少女の遺体が放置されたまま、深夜になってしまった。
捜査線、立ち入り禁止テープの貼られている、『池田ヶ丘市側』の警官二人が、
例の放置された遺体からやや離れた場所から、現場の様子を伺っていた。
これは片方のベテラン刑事、杉本が言い出した事で、
この季節でも死体に近づくと臭いから、と言う理由である。
杉本がパトカーから夜食を食べながら、暗視ゴーグルで現場を眺めている隣で、
若い刑事田沢があくびをしてしまった。
「池田ヶ丘 5ー13付近のあたりの路地で女性が血を流して倒れている」
と言う通報を受けたのが今朝の7時。
現場に急行したはいいものの、池田ヶ丘市警から調査の中断、待機を命じられてそのまま16時間、パトカーの中から同じ場所で同じ死体をただ見ている。
若手には辛い仕事だ。
田沢には、なぜこのような状況になっているのか、
なぜ、行くことも引き返すこともできないのか、まるでわからなかった。杉本が何も言ってくれないからである。
動きがあったのは、25時30分のことだった。
ウトウトしていた田沢を、杉本は肘で小突き、「おい、いくぞ」
と言ってパトカーを降りた。
……遺体にたかるカラスを追い払おうと、花岡市警の刑事数名が遺体の元にやってきて、刺股を振り回す。
カラスが逃げていくと、刺股で遺体の位置を調整しだした。
池田ヶ丘市に遺体を押し出そうとしているのである。
杉本がパトカーを降りた目的はこれだった。
「それはないんじゃないですかい」
杉本が、花岡市警の警官に話しかける。
警官は動じずに、
「誰かと思えば、自分の管轄の反社会組織にも逆らえないサボタージュ警官たちじゃないか。
本来はそちらの管轄のものだろう。早くなんとかしたまえよ」
「……こちらの管轄ってんなら、現場に立ち入らんでもらえますか。
遺体にイタズラでもされたらたまったもんじゃない」
ふん。と言いながら警官は立ち入り禁止テープの向こう側に消えていった。
「……帰るぞ」
杉本も、池田ヶ丘方面に立ち去ろうとして、
「え……これ、なんとかしないんですか?」
思わず田沢が呼び止めた。
「そういう命令は来てないんだ帰るぞ」
「なんでですか?」
若手はベテランに食い下がった。19時間もパトカーで待機させられていたのだ。
疑問くらい持って当然だろう。
杉本は面倒臭そうに立ち止まった。
「それはな、この事件はウチの管轄じゃないからだ」
「そう言う状況じゃないでしょう! 1日放置されてるんですよ!? この御遺体!
どうなってるんですか!」
なかなか熱い若手だ。いい刑事になるだろう。……だが今の池田ヶ丘市警には『いい刑事』は必要ないのだ。
「管轄管轄って、さっきから言ってますけど、
市が県警に捜査の中断なんて聞いたことないですよ!? 」
「お前は、花岡市長が誰かも知らんのか」
「誰なんですか?」
「自分で調べろよ」
杉本に冷たくあしらわれ、田沢は遺体を眺めた。
遺体の目は乾ききっていた。もちろん何も見えていないだろうが、無念そうにこちらをみている気がする。
日本人にはみられない、薄い茶色の、アーモンド色の瞳だ。
「 この子、日本人じゃないんですね。
かわいそうに……まだ身元もわからないんだもんな」
「オイ、変なことに興味をもつな」
「なんですか? 僕はただ『日本人じゃない』って言っただけですよ」
「それだよ。 御遺体が外国人だと、『じゃあ池田ヶ丘か』と言う話になりかねねえだろ」
「だから、なんなんですか! この死体の押し付け合いは! 花岡市警が何もしないんだったら、ウチが対処すればいでしょう!
何を管轄にこだわってるんですか!!」
「おーい……寝れねえのが自分だけだと思ってイラつかないでもらえるか?
お前さっき、『市は県警に逆らえない』って言ったな?
それが唯一逆らえちゃうのが、花岡市と池田ヶ丘市だったってことだよ。実に運の悪いことにな。
わかったら帰るぞ」
杉本は大きくあくびをして、パトカーに戻っていった。
「この子……いつまでここに置いてかれるんだろう……」
田沢は、遺体をしばらく眺めて、やはり杉本の後についていった。
このまま雨でも降れば、少しは遺体の乾きを抑えられるだろうか……。
雨。……田沢はうんざりし、考えるのをやめた。




