市境の死体
白いコートを着た少女が、路上に倒れている。
背中から大量の血が流れているため、白いコートが真っ赤に染まっている。
少女の背中には深く抉られた傷がいくつも走り、血は黒ずみはじめていた。誰がどうみても、刺殺である。それも、
何度も何度も刺した跡があり、倒れている女性は『手ぶら』の状態で倒れていたために、
強盗目的で殺されたことが思慮される。
そこは、花岡市と隣の池田ヶ丘市の、市境のあたりであり、
その道路は現在、捜査線が貼られて通行止めである。
「ねえ、ちょっと……」
捜査線の立ち入り禁止のテープの前に立っている刑事の一人に、
花岡市の住民が話しかけた。
「はい」
刑事は妙に落ち着いている。
「『アレ』いつまであそこにあるの? その……今朝から救急車も何も来ないようだけど……」
「さあ……お答えしかねます。ご迷惑をおかけします」
奇妙なのは、立ち入り禁止のテープの先には、
数人の鑑識だの、そもそも救急隊だの、
本来いなければならない人物たちが誰一人おらず、
ただ粗雑に無惨に、遺体がそのまま転がっており、
それぞれ立ち入り禁止のテープの前を数人の警官が陣取り誰も通さないように警備している。
警官が遺体の近くに寄るのは、カラスが遺体にたかろうとしたときに対処する時だ。
この花岡市の住民の戸惑いも、当然である。
「明日にはこの道路は通れるのかしら?」
「どうでしょうね……お答えしかねます。ご迷惑をおかけいたします」
悲惨な遺体の目と鼻の先、警官の言葉はどこまでも機械的で、そっけなかった。
これには市民も怒りを隠さなかった。
「わからないの!? だって、あのままってのは流石に……じゃない!?」
すると初めて警官は感情らしきものを表した。
「『あのまま』……というのは?」
「死体よ! ……言わせないでよ! 」
「死体?」
警官はテープの向こう側を覗く。
「死体なんてどこにありますか?」
「はあ!?」
警官の顔は、ふざけているようにも、真剣にも受け取れる。
「あの死体をどうにかするのが、あなた達の仕事でしょうに!」
「いや、我々の任務は市の皆様の安全でございますよ」
そして、警官は少し声のトーンを小さくした。
「奥さん……ここは、『花岡市』ですよ? ……もう一度言いますね。『花岡市』です」
「そうよ! 高い家賃払ってここに暮らしてるんだから! 事件が起きたんなら早いこと解決してちょうだいよ!」
「奥さん、奥さん……『事件など起きていない』のでございますよ。 ここは『花岡市』ですよ?
過去19年、花岡市で犯罪なんて起きてないのです。
それは我々警察の日々の努力であるという自負もありますが、ひとえに市民の皆様のご協力の賜物でございます。ありがとうございます」
警察はわざとらしく一礼した。
「……奥さん」
警察は一礼したままの姿勢で市民に話しかけた。
「事件の起こる市と、事件が『決して起こらない市』、住むならどちらが……いいえ、
自分が住んでると思うなら、どちらの市がいいですか?」
……すると市民の方にも反応の変化が見られた。
「……じゃあ、『この市』で起きた事件じゃない……ってこと?」
「左様にございます。この事件はあくまで、『池田ヶ丘市』で発生した殺人事件でございまして、管轄も向こうのお巡りさんです。
……少し、対処に遅れがみれるようですがね」
「ああ、そう。そうなの……。
そうよね! この辺りで殺人事件があったなんてニュースでも聞かないし、隣の市の事件よね!!」
市民は安心したようでその場を立ち去った。
……その遺体は結局、その日の晩までその場に放置されることになる。