序章 第一話:事故からの召喚
序章:迷い込んだ異世界の大賢者
俺は死んだ。
いや、こうやって自分で口にするのもどうかと思うけれど、事実だから仕方がない。
大学生・高梨 剣、二十二歳。
卒業間近の忙しない日々をこなし、友人と卒業祝いにと飲みに繰り出し、あとはそのまま社会の荒波へと泳ぎだすだけ……。
なんて通過儀礼みたいな人生プランをぼんやり考えていただけなのに――
急に、いきなり、終止符を打たれてしまった。
交通事故って怖いなぁと他人事みたいに言うつもりはないけど、実際こうして人間はあっけなく死ぬものらしい。
いや、本当はあっけなく死んだのかすら分からないのだけれど。
それで、ここまではまだいい。卒業直前に死んだ?
タイミングは最悪だけれど、こういうことだって人生にはあるだろう。
急に踏切から電車が飛び出すかもしれないし、隕石が頭上に落ちてくるかもしれない。
しかし、そんな何百万分の一の確立で起こる運の悪いことより驚くべきことは、俺が目を開けたときにいた場所が、病院のベッドではなく、見知らぬ場所の床であったことだった。
天井から見えるのは豪華なシャンデリア。壁には花の紋様やら金ピカの装飾やらが盛りだくさん。
おいおい、ここは結婚式場かなにかか? それともどこかの観光名所か? と突っ込みたくなる光景。
いや、そういう冗談めかしたことだけしか浮かばないほど俺は混乱していた。
すると、やたらとローブだのタキシードだのを着た人たちがばたばたと周囲に集まってきた。ローブの長老っぽい男が、ゴホゴホしながら、うやうやしく頭を下げる。
「おお……! ついに“大賢者様”が……! 長らくお待ちしておりましたぞ!」
大賢者? 俺が?
いや、それはない。少なくとも俺は、ただの卒業を間近に控えた大学生だ。だいたい大賢者なんて響きは、まさに“ファンタジー”の中の存在である。
と思ったら、目に映る彼らの姿こそ、ファンタジーそのもの。ローブの男は杖を抱えているし、彼の後ろに控えている騎士みたいな連中は、これまたテレビかゲームでしか見たことがないような甲冑に身を包んでいる。
「――起き上がれますかな? 具合はどうですか?」
「いや……俺、……生きてる? というか……ここ、どこ……?」
正直、事故に遭って死んだあとのことなんて、誰だって一度は想像するかもしれないけれど、まさか本当にこういうハチャメチャな展開で意識が戻るとは思わないでしょ。
慌てふためく周囲を見回しているうちに、さらに事情を知っていそうな男女がぞろぞろと集まってきた。
そのとき、ちょっと厳めしい顔をした壮年の男性が俺の前に進み出る。王冠のようなものをかぶっていて、やけに権威づいているところを見るに、いわゆる“王様”的ポジションなのだろう。
「そなたが……大賢者の魂を宿す救世主なのだな?」
大賢者の魂を宿す救世主。なるほど、失礼ながらラノベのタイトルみたいなセリフだ。
俺が口を挟むより先に、周囲が一斉にひれ伏してみせるのだから余計にわけが分からない。
そんな中、頭を下げていた魔術師っぽい男が、スッと顔を上げて言った。
「しかし……肝心の魔法検査では、補助魔法の適性しか出なかったのですが……陛下、どうされますか?」
補助魔法。そんなカテゴリーがあるんだな。俺は動揺しつつも、つい興味本位で耳を傾ける。
補助魔法といえば、聞こえは悪くないが、要するに地味なサポートしかできないんじゃないか? これはファンタジー的には、あまり活躍が期待されないポジションのような気がする。
攻撃魔法でも治癒魔法でもなく、補助魔法……。いやいや、そういうゲームの常識を鵜呑みにしても仕方ないか。むしろゲームとは設定が違うかもしれないし。
とにかく、それでもこの世界ではショボい立ち位置なのだろう、周りの反応からして。
「え、補助魔法だけ……?」
「救世主様と言われたが、あまりにも……」
「そもそも本当に大賢者なのか?」
ざわざわと、小声でそんな囁きが聞こえてくる。
初めは異世界から救世主登場! と大騒ぎだったのに、今では「あれ? なんかしょぼくね?」という空気に早変わりだ。
何だか人々が見せる落胆の目線が痛い。
まるで学園祭の出し物を期待されてたのに、出てきたのがそんなに凝った作りでもないペーパークラフトの展示みたいな空気。
ここで俺は“本当に役立たずなのではないか?”と問われている。いや、何とも答えようがない。本人としては、そもそも「なんで俺がここに?」という問いすら解決していないのだ。
ああ、混乱する。事故に遭ったはずなのに、奇妙な世界で“大賢者”とか持ち上げられかけて、結局「補助魔法しか使えない役立たずかも」とあっさり非難されている。
こんなの、一体どうしたらいいんだ?
「――あの、俺……えっと、高梨 剣といいますが……まずは状況を教えてもらってもいいですか?」
どうにか声を振り絞ったものの、そこに即座に答えてくれる人は誰もいない。陛下と呼ばれていた王様風の男でさえも、困ったように口ごもった。
周囲もひたすら気まずそうな表情をしている。
おいおい、こんな陰気くさい沈黙はいけない。それに俺自身も、こんな扱いはちょっと耐えられないぞ。
無言のあまり、頭が痛くなるほどの時間が過ぎる。
誰かが「補助魔法じゃ……なぁ」なんて小さく呟いたのが耳に入った。
どうやら彼らにとって、補助魔法だけの救世主などまったく想定外だったらしい。
そして、そんなシビアな沈黙に耐えかねたのか、ローブの年長者が口を開いた。
「ひとまず……本日の儀式はここまでに。大賢者……いや、“大賢者候補”の方には、しばらく城内で安静にしていただきましょう」
言い方が妙に遠回しになっていたが、これって「一応様子は見るけど、あんまり期待してないからね」という意味だろうか。完全に俺は『役立たずかもしれない不良品』扱いを受けている気がする。
こうして、俺の“異世界召喚”は完全に期待ハズレの形で始まったわけだ。何せ周りは何も教えてくれないし、検査の結果は「補助魔法のみ」。
話によると、この国には“大賢者の魂”を持つ者が現れるという古い預言があって、その者こそが世界の危機を救う――らしい。
で、その大賢者を召喚するための儀式を行ったところ、なぜか俺が呼ばれたそうだが……
どうも彼らが期待していた“最強の魔法”とか“すごいチカラ”は見当たらないようで。
「いいじゃないか、補助魔法。便利だろ?」
と自分で自分に言い聞かせてはみるものの、実際問題としてこの世界でそれがどれほど役に立つのかすら知らない。
トンチンカンなことで頭がいっぱいだ。
そこに追い打ちをかけるように、侍従っぽい人から案内された個室は、城の片隅の倉庫を改装したみたいな薄暗い部屋。食事も粗末。まるで厄介者が押し込まれる場所……そう、それが全てを物語っていた。
言いたいことは山ほどある。そもそも、「救世主」とか「大賢者」とか言うなら、もうちょっとちゃんと説明してくれ。俺をなんだと思ってるんだ?
だが、そう言えずにいるのは、まだ自分の置かれた状況が分からないから。この世界で常識外れの主張をして、たとえば捕まったらどうなる?
あるいは「やっぱりこいつは異端だ」と処刑されたり? 怖い想像が尽きない。
だから、とりあえず、今は嵐が過ぎるのを待つしかないのか――。
まだ、この世界が何なのか、俺が本当に死んだのか、生きているのか。何も分からない。
そのうえ周りからは「期待はずれ」とのレッテルを貼られかけている。でも、本当に役立たずなのか?
俺自身はそれを確かめるために、まずは情報収集と自分の魔法を試してみることから始めるしかないだろう。
異世界。大賢者。補助魔法。頭の中でぐるぐると回るキーワード。それらを噛み砕く暇すら与えられないまま、俺の奇妙な日々は始まろうとしていた。
何とも言えない寒気と、不安と、それでもどこかにうっすら宿った興味。
宙ぶらりんな気持ちで、俺――高梨 剣は、倉庫のような部屋で天井を見上げるしかなかった。
まさかこんな展開になるとは、夢にも思わなかったが、現実が夢以上にぶっ飛んでいる以上、俺は飛ぶしかないのだろう。
そう、飛べると信じて足を踏み出してみせるしかない。
――それにしても。
補助魔法って、どんなことができるんだ? “大賢者”とやらが大掛かりに目立つより、地味な方が性に合ってる俺には、悪い話ではないかもしれない。
ほんの少し、そう思ってしまうのは俺の性格か。それとも、もうこの状況に慣れかけているのか。
とにかく、“王宮に突然現れた自称・もしくは他称・大賢者(補助魔法のみ)”の物語は始まったばかりだ。
にわかに信じ難いが、俺の新しい人生、いや、“新しい世界”がここにあるらしい。
役立たずでも、やれることはある。
あとは俺が見つけ出すだけ……だと、いいな。