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セプテンバー・コール・アップ  作者: ヒポポクロス
7/30

6 マイク・ロッティ

「58番。起床時刻だ」

 その声は、はじめは耳障りだった。だが、今はもう慣れた。


 起きるたび、頭が痛い。

──まだ、後遺症が残っているのか?

 彼は疑問を持っていたが、それに答えられる人は、今ここにはいないだろう。


 寝ぼけた目をこすりながら、収監室から出て、点呼のために列を作る。

「点呼!」

 大きな声を目の前で出されて耳が少し痛む中、自分の名前を口から放った。


「58番、マイク・ロッティ!」


──・──・──・──


 マイク・ロッティはチェッカーズのショートだった。

 機敏な動き、コンタクトのうまいバッティング、そして甘いマスク。

 飛びぬけてファンが多く、特に女性のファンからは

マイ・ロッティ(わたしのロッティ)

と呼ばれて追っかけができるほどの、人気選手。


 そんな彼はファンレターに指輪を入れられたこともあった。

「羨ましいなあ」

というグレッグ・ウィニーの()()()は、毎日聞いている。


 このグレッグも、長いブロンドの髪と緑色の目で目立つ選手だった。

 だからマイクは

「お前にも来るだろうよ」

といって、励ましてみるが

「お前とは違うんだ」

と返されると、言うことが無くなったりもした。


 マイクは浮名が多い人物でもあった。


 ある時は女優のガーベラと付き合った。

 3番目に付き合った彼女は、その当時のセックス・シンボルともいうべき人で、何もかもが女性的な魅力にあふれた人だった。


 そんな彼女とは、半年で別れた。

 生活のリズムが合わないことが一番の原因でもあったが、マイクの口からは

「思ったより、女らしくはないな」

という一言があって、世の女性のひんしゅくを買った。


 ある時は、活動家のメリンと付き合った。

 6人目に付き合った彼女は、女性の地位を向上させようとする活動をしていて、それに賛同する人からは

「メリンが裏切った」

と、散々なバッシングが起きた。


 そんな彼女とは、2年で別れた。

 やはり女好きと活動家は相性が悪いか、と世間の人々は言ったが、マイクは

「相性が悪いのは活動家と活動家だ」

と言って少し目を伏せた。


 ある時は、家政婦のジョディと付き合った。

 8人目に付き合った彼女は、可愛らしい口元と一流の料理スキルを持っていた。

──なんとなく相性が悪そうだな

と、世間の人々は言っていたが、彼女とは今も付き合っている。


「いつ家から掃き出されるかわからないね。彼女は掃除(スウィープ)が得意だから」

とジョークを言ったこともあったが、チームメイトは

──あいつ、家では尻に敷かれてるな

と、全員が思っている。


 マイクはグレッグと特別、仲が良い。

 マイクはショート、グレッグはセカンド。

 それぞれが意思疎通をすることが重要だから、ことあるごとにマイクは年下のグレッグを食事に連れて行った。


「ここのホットドッグが一番うまい」

「いや、タルベリーの方がうまい」

「いや、あそこのはパンが固いんだよ」

「それが良いんだろ!」

 くだらない言い合いに聞こえるかもしれないが、これが彼らのコミュニケーションの取り方だ。


 そんな彼らもまた、戦争が始まると立場が一転する。

 特にカリスマ性があったマイクは、兵士の士気を上げるためにと、前線に行かされた。


 マイクは最初、夢見心地だった。

──俺が、戦場に立つのか

 そう思うと、幼い時に知った勇ましい国内紛争の逸話が頭の中に駆け巡った。


 例えば、突撃をして重傷を負いながらも戦闘に勝たせた、という勇敢さ。


 例えば、国のためを想いながら命を落とした、という美しさ。


 例えば、人の心を動かし戦争を勝利に導いたという、とあるスピーチそのもの。


 これらすべてが、自分の出征に関わっていると思うと、それは高揚感を呼んだ。

 だが、現実はそう上手くいかないものだ、と痛感した。


 任地に着いてまず感じたのは、異様な匂いだった。

 土埃と硝煙の臭いは、普通に暮らしていれば、まず嗅がない。


 そして、その匂いの中で、出会いがあった。

 トニー、ラクスマン、ヘイズ、パクストン、ローマン、シミエン、ベル、アイル、ケビン。

 そして、上官としてホッグスという壮年の軍人がついた。


 この場所では誰もが

「俺たち、生きて帰れるのかな?」

と、冗談半分、本気半分で言っている。


 言い方が難しい緊張感の中、40人の小隊は行軍を始めた。


──・──・──・──


 戦争に身を賭した1年半。マイクは余りに大きな経験をした。


 最初に死んだのはシミエンだった。

 前線について数日、物陰に隠れていたマイクの横を銃弾がかすめた。

 その銃弾が、シミエンの頭に当たった。

 倒れたシミエンをすぐにトニーが引きずって隠し、マイクたちは応戦して、なんとか相手を引き下がらせたが、シミエンはすでに息をしていなかった。


 2番目はアイルだった。

 前線で敵を食い止めていたが、その敵も痺れを切らしたらしい。

 手榴弾を投げ込んで、マイクたちを一掃しようとした。

 その爆風はマイクには当たらなかったが、前を歩いていたアイルには当たった。

 全身を打って息を苦しそうにしている。すぐに全員で下がって、アイルを軍医のもとに運んだが、その夜にアイルは息を引き取った。


 3番目はヘイズだった。

 いったん軍を後退させることが決まって、マイクたちは拠点に戻ろうとした。

 後ろを向いたその時、ヘイズが血しぶきをあげて倒れた。

 マイクたちはすぐに迎撃したが、敵の姿は見えない。ライフルでやられたらしい。

 すぐに逃げたが、ヘイズを連れ立つことはできなかった。あれ以降、彼は戻ってきていない。


 4番目はパクストンだった。

 彼も、後退した後に起こった激戦の中で銃弾を受けた。

 肩口に銃弾を受けて左腕が動かなくなり、そのあとも右腕一本で銃を撃ち続けていたが、その右腕も撃たれた。

 すぐに衛兵によって手当てを受けたが、出血の量が多く、そのままショック死した。


 5番目はベルだった。

 彼はある日、高熱と下痢に苦しめられ始めた。

 感染症かもしれない。すぐに後方に移され看病を受けたが、回復もせず、下痢のせいで脱水症になって、症状が出てから4日目に死んだ。


 6番目はトニーだった。

 彼は、チェッカーズでカリスマ性を持っていたマイクよりも、兵士としてのカリスマがあった。

 行動を共にした戦友たちが死んだ後も、マイクたちを気丈に励まし続けた。

 だが、そんな彼も銃弾の前では無力だった。

 戦闘中に胸を二発撃ち抜かれて、その場で倒れこんだ。そして、息をしなくなった。


 7番目はローマンだった。

 ローマンは衛生兵の役目を担っていた。

 トニーが死んだ後、多くの人員を失ったマイクたちの分隊は他の分隊と統合されたのだが、その中の一人がヘルメットを撃ち飛ばされた時、ローマンはその手当てに向かおうとした。

 しかし、そのためには塹壕を飛び出さなければいけない。

「よせ!ローマン!」

 塹壕の中で上官のホッグスが叫んだが

「俺は衛生兵です!」

と言って飛び出した。

 その時、砲弾が飛んできた。ローマンは爆風に潰されて、死んだ。


 8番目は上官のホッグスだった。

 ホッグスはトニーが死んだ後、そのトニーのいたポジションをあけないために、自分から前に出て闘うようになった。

 ライフルを持ち、備品をだれよりも多く背負って闘った。

 必死に、周りを鼓舞し続けた。それでも後方から敵に襲われた時、だれよりも後ろに立って

「早くいけ!」

と叫びながら死んでいった。


 9番目はケビンだった。

 敵から逃げ切った後のことだった。彼もまた、高熱と下痢に苦しんだ。

「俺も、死ぬんだな」

 ケビンはベルのことを想っていたに違いない。

 もうすぐ死ぬ。その時に

「死にたくねえ」

とつぶやいたのは、残ったマイクとラクスマンの頭に強く刻み込まれた。


 最後は、そのラクスマンだった。

「死にたくねえよな。俺ら」

 ラクスマンがマイクに問いかけた。

「そりゃ、そうさ。生きて帰ろう」

 マイクがそう言ったとき、ラクスマンの目の色が変わった。

 次の日から、ラクスマンは敵に向かって身を隠すこともせずに銃を乱射するようになった。

 マイクは必死に止めたが、ラクスマンはやめようとしない。

 ついには、塹壕から飛び出して1人だけで、奇声を上げながら、敵のいるほうに突っ込んでいった。

 ラクスマンは蜂の巣になって死んだ。


──・──・──・──


「クソッ」

 マイクだけは、戦場から帰ってきた。

 怪我はいくつか負ったが、命に関わるものはなかった。


──なんで、俺だけ生き残ったんだ

 教会の懺悔室に行ってきいてみたが、

──あなたに、神が生きよと言っているのです。むしろ、十字架を負いなさい

と言われた。


──ちがう。俺がいま欲しいのは、そんな凝り固まった説教じゃない

 そんな反抗心が、マイクの心に溜まっていった。


 そんなとき、路地裏でタバコのようなものを吸っているホームレスがいた。

 異様な臭いがする。鼻をつまみたくなるような臭いだったが、マイクにとっては興味のほうが勝った。

「おい、じいさん。それはなんだ?」

「ああ、これか?”魔法のタバコ”だよ。あんたも吸うかい?」


──・──・──・──


 それ以来、マイクはこの老人に会うことを楽しみにした。

 なぜかといえば、あの”魔法のタバコ”を吸うことが、彼の人生の一番の楽しみになったからだ。


 不思議なことに、あのタバコを吸うと、気分が晴れやかになる。

 吸ってから数時間の間は目がさえて、綺麗な景色を見ることができる。

 それは、マイクが求めていたものだった。


──心を晴らしてくれるものがある

 そう思うだけで、マイクは気分が楽になった。


 それでも、不都合なこともある。


 ”魔法のタバコ”を吸ったあと、何日かが経つと無性に、またあのタバコが吸いたくなる。

 喉をかきむしりたくなるほど、あの煙を吸いたくなる。


 マイクはこの症状が現れた時、あのタバコがどんなものなのかは見当がついた。


 それでも、やめることはできない。あの苦しみに、さいなまれたくない。

 だから、1か月に1度はあの老人のところに行って、金を渡してタバコを譲ってもらった。


「すまないねえ。こんなに貰ってしまって」

 老人は口ではそんなことを言っていたが、顔はいやらしい笑みをたたえている。


 マイクも、その気味の悪さを感じ取ってはいたが、自分の欲望に逆らうことはできなかった。


 ”魔法のタバコ”と出会ってから2年が経った。

 この頃のマイクは、どうにも体のだるさに悩まされた。


 朝起きて、ゆっくりと体を起こし、水を一杯飲んで、そして──”魔法のタバコ”を吸う。

 そうすると頭がすっきりとして、一気に体が起きる。


 自分は、元気なつもりだ。だが、周りの人は

「マイク。具合が悪そうだぞ」

と、心配そうに言う。


──そんなわけないだろ。俺はピンピンしてるんだぞ?

 マイクは、そんなことを鼻で笑いながら思うことが多い。


 鼻歌でも歌いながら、スキップでもしたい気分だ。

 しかし、それが続くのも数日だけだった。


 天国のような数日間が過ぎると、地獄のような日々が始まる。

 こうなると、あの老人に頼んで譲ってもらうより、直に売人から売ってもらったほうが早い。


 半箱で高級なステーキが食べれる。

 それくらいの値段でも、マイクは買い占めた。


 それでも、マイクの吸うスピードと釣り合わない。

 ついには

「作り方を教えてくれないか」

と、マイクは売人に言ったこともあったが

「そんなもん、俺は知らねえよ」

という答えが返ってきて、ついでとばかりに一発殴られた。


 みじめだ。それでも、やめるなんて考えられない。


 この日も、マイクは足を急がせて売人のもとに行った。

 タバコは1週間以上前に、とっくに無くなっている。


──早く吸いたい

 マイクは周りも気にせず、一直線に路地裏に駆け込んだ。


「ずいぶん急ぎ足じゃねえか。サツは居ねえな?」

「大丈夫。早く、売ってくれ」

「欲張んな。先に金だろ」

「ああ、これで」

「ふん…よし。じゃあ、これを──」

 2人の間でやり取りがなされた瞬間、屈強な体をした男たちが乗り込んできた。


──・──・──・──


 マイクは2年もの間、牢屋に入れられた。

 最初の1年、タバコを吸えない苦しみと、過去のトラウマに耐えかねて

「俺を出せ!アレ、アレがねえと…」

と、叫んだこともあった。

 だが

「静かにしろ!58番!」

という看守の怒鳴り声でかき消されることが多かった。


 囚人の中には、戦前のチェッカーズを知っている人間も、当然いる。

 しかも当時、野球の枠を超えて浮名を馳せた、あのマイク・ロッティなのだからなおさらだった。


「へえ、マイク・ロッティが」

「ヤクで捕まったらしいぜ」

「情けねえな。ねーえ、マイ・ロッティ(私のロッティ)!イイことしない?」

「ハハハ!そりゃ良いや!マイク・ロッティはだらしねえ男だぜ。なあ?」

 囚人たちの品のない言葉に憤ったこともある。それでも、心のどこかに引っかかって、言い返すことができなかった。


 とにかく、地獄のような2年間だった。


 2年の囚役を終えて、牢獄の外に出た。

 マイクは憔悴しきって、かつての華のある姿は消え失せていた。


 外に出てすぐに人とすれ違ったが、その人はこの頬のこけた男をチェッカーズのマイク・ロッティだと気が付かなかっただろう。

 それほど、マイクは変わっていた。


 商店に雇ってもらい、小さな一室を借りて生活を始めた。

 横にジョディはいない。当然の報いだと思った。


 そして、囚人たちを診ていた医者から勧められた病院に通い始めた。

 そこでは、薬物に依存した人間に対するカウンセリングも行っているらしい。


 その医者いわく、戦後、そういった人間はかなり多いらしい。


 1か月から2か月に一度は、カウンセリングだけでも受けに行った。

 何かを取り戻そうとしたのかもしれない。

 それでも、何も取り戻すことはできないということは知っている。


 自分が手放したものはがあまりに大きかったのは、今の生活を思うと、自然とわかる。


──・──・──・──


 5年が経った。

 相変わらず、マイクは1人だ。

 人に囲まれ、黄色い歓声に包まれていた彼は、もういない。


 それでも、あのタバコだけは、絶対に手を付けないと誓っていた。


──俺自身が、変わらないと


 今でも、時々あの頃の煙の味が脳裏によみがえるが、必死に振り払った。

 カウンセリングも、案外うまくいっている。


 自分のことを隠さずに話すと胸がすくような感じがするのは、マイクにとって錯覚ではないはずだ。


 そんなある日だった。

 玄関をノックする音が鳴った。


 思い当たる来訪者はいない。

 もしかしたら、あの時の売人が自分を始末しに来たのかもしれない。


 だが、なぜだろう。ノックの音から、敵意は感じなかった。

 むしろ、柔らかい音に聞こえた。


 警戒しながらドアを開けると、ドアの前にはチェッカーズ時代のチームメイト、ジェイコブ・フューリーがいた。


「ジェイコブ…どうして?」

「マイク。キャッチボールでもしないか」

「…俺は野球を、もうできない」

「なぜ?」

「チェッカーズに泥を塗ったんだ。今更できるかよ」

「確かに、お前が捕まった時にはニュースになったな」

「だろ?そんなやつがボールを触るなんて、できない」

「そうか」


 しばらく、二人は沈黙した。そして、ジェイコブは口を開いた。


「被害者ぶるなよ」

「なんだと?」

「被害者ぶるな。俺が許すといってるんだ。おとなしく従え」


 マイクはムッとしたが、何も言えない。


「俺がいまさらお前らと関わって、どうなるんだ?」


 マイクは問いかけた。


「それは知らない。だが、メリンがうるさいからな」

「メリンが?」

「ああ。あいつは相当執念深いぞ」

「…ボールを貸せ。公園に行こう」

「いいんだな?マイク」

「ああ。今の俺には、野球と彼女(メリン)が薬になりそうだ」

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