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セプテンバー・コール・アップ  作者: ヒポポクロス
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43 マイケル・ケイジ

 チェッカーズの巨人、というと、マイケル・ケイジのことが思い出される。


 彼は生まれつき、体が大きかった。

 赤ん坊のころから9.2ポンドの体重を持っていた彼は、年齢を重ねるたびにどんどんと体を大きくしていき、プロに入ったころには6フィート7インチの身長を誇るようになっていた。

 足のサイズすら、ちょうど1フィートあった。


 腕も脚も、他人に比べて長かった。

 いや、胴が異様に短いといっても良いのかもしれない。

 そのうえ、野球選手にしては線も細い。

 そのせいか彼の体はよく目について、ファンからついた()()()

ウォー()ター()ストラ()イダー()

だった。


 ともあれ、その体というのは野球をする上では有利だったのも確かだった。


 マイケルは体の横から出るようなスリークウォーターで、利き手側に踏み込みながら投げていた。

 スピードは意外と出ないが、それでもコマンド能力が高く、右バッターなら打つのに苦労していた。


 さらに言えば、彼はとても几帳面だった。


 それこそ、たたんだ服の端がしっかりと角ばっていないと済まないような人間だった。

 そのボールにパワーがあっても、コマンドが決まっていないと意味がない。そう考えるマイケルは、おおらかに見えて、あんがい神経症の()()()があったのかもしれない。


 そんな、まじめな性格と、天性の体格。

 天は二物をマイケルに与えたが、ひとつ、重要なものを彼に与え忘れた。

 それは、健康だった。


 普通に暮らしている分には良いのかもしれない。

 それでも、彼はプロのアスリートだ。自分の体を使って、金を稼いでいる。

 だから、多少なりとも無理はしなければいけないが、それに耐えられるようにマイケルの体ができていたか、というと、そうはできていなかったようだ。


 幼年期から毎年、2回は風邪にかかり、寝込むことはそれ以上に多かった。

 そういう体質だった。


 それでも、野球選手になることを夢見ていたマイケルは、体を鍛え続けた。

 自分の体が大きいことも、そして、弱いことも知っている。

 だからこそ、プロになれるようにと練習を続けた。


 弱い自分に勝ちたいと思っていた。

 運動は何よりも、自分の体を強くする。そう信じて疑わなかった。


 そのおかげか、走るのも早くなった。パワーも付いた。

 それでも、風邪をよくひくのは変わらなかった。


 学生時代にはそのせいで試合に出ることも少なかったが、類稀な体と能力は、スカウトの目に留まったらしい。

 大学を卒業するころ、マイケルは数球団のチームのスカウトに

「うちのチームに入らないか」

と誘われた。


 マイケルは、チェッカーズを選んだ。


 マイケルは入団時から目立った存在だった。

 その体格と、実力が見合ったものだったからだ。


 多くの人が最初に求めたパワーピッチはできなかったが、手足の長さを生かしたフォームとブレーキングボールのキレの良さ、そして、高いコマンド能力。

 そのピッチャーとしての完成度の高さは、野球を知っている人ならだれもが好んだ。


 スターティングピッチャーとしての登板が多かったが、たまにリリーフとして登板することもあった。

 バトラーズ戦の9ボール3Kは”芸術的”と評論されたこともある。


 そういった制圧力をマイケルは持っていたが、人知れず熱を出すのは変わらない。

 その発熱という不調を、不調と思わずにチームには帯同した。

──プレイヤーになったんだから、多少は我慢しなけりゃならない

 そう思うのも、たぶんマイケルの真面目な()()からくるのだろう。


 ただ、その無理がいつまでも続くわけがない。

 1年に2度、体を休ませるために寝なければいけない時期があった。

 毎回、体を休ませるためには1か月か2か月は必要だったから、そのぶん、チームから離れなければいけなかった。


 歯がゆい。そう思ったのは、ファンも、チームも、そしてマイケル自身も同じである。

 これが克服できるだけのタフネスがあれば良いが、マイケルには無かった。

 ベッドに寝て、点滴を打ってもらって、息苦しさがなくなるまで休む。それしかできない。


 どうにも無力な自分の体にムチを打ってやる野球は苦しい。

 痩せぎすな自分の体は、同じくチェッカーズにいるカール・フォスターとは対照的だった。


 カールは太っている。背丈もカールはでかいほうだが、マイケルと比べると強そうに見えるのはカールのほうである。

 彼は彼で苦しみもあるかもしれないが、しかし

──羨ましい

そう思うのは、マイケルの自分勝手なのだろうか?

 マイケルはそこでも苦しんだ。


──・──・──・──


 空気がホコリっぽい。

──戦争が始まってから、いつもこうだ

 マイケルは自宅の窓から外の景色を見るたびに、そう思った。


 空が灰色に見える。それだけ、人々の気持ちがよどんでいるのかもしれないし、実際に工場の煙突から出る煙が灰色にしているのかもしれない。

 マイケルは、自分の目がよどんでいるのだ、と思った。


 自分は若い。そしてアスリートだった。だから、今の世情で外に出ようものなら、

「なぜ、あんたは出征してないの?」

と、言われかねない。


 もちろん、マイケルは徴兵用の身体調査を受けている。

 しかし、その検査で肺が弱いことが分かると、兵士として不適合である、と判断されたのである。


 マイケルは、ほっとした。

──戦争に出ないで済むんだ。命ばかりは、惜しいからな

 そういった意味では、彼の病弱さが幸運を呼んだのかもしれない。


 しかし、戦時下にあってはさぼることを許されない。

 マイケルは活動を緩めていたチェッカーズでタイラー・オーニールとともにチームメイトの帰りを待つことにした。


「タイラー。俺たちは野球をやっていていいんだろうか」

 マイケルはそんなことを思うことがあった。

「そんなことを言うなよ。やれと言われたんだ。やるしかないさ」

 タイラーは明るく言っているが、マイケルにはどうにも納得できない部分もあった。

「俺たちは、命を張って戦ってるやつらと、同じように生きられるだろうか」

「マイケル・ケイジ。弱気になるな。ただ立っていれば良い。それが俺たちの役目だ」

 ただ立っていれば良い──その言葉に、マイケルは少しだけ励まされた。


 曇っている日が多いような気がする。

 そんな気がしているだけなのかもしれないが、やけに鉛色の空が印象に残っていた。


 近くの工場はたくさんの煙を吐いている。

 試合をするたび、鼻からは何かの燃えカスのにおいが常に入ってきていた。

──体に影響がないと良いんだけれどな

 マイケルは一抹の不安を抱えながら、投球を続けていた。


 夏場になって蒸し暑さが襲うと、マイケルはいつものように──もちろん、これがいつものことであっては困るが──体調を崩した。今までと同じように、ベッドに体を横たわらせ、休んだ。

 数日に一度は医者にかかって、点滴を打ってもらった。


 1週間経ち、2週間経ち、3週間目。

 いつもなら、このころには体は快方に向かっているはずだったが、どうにも、良くならない。


 体がだるく、熱があり、そしてなにより咳がひどい。

 マイケルも

──いつもと違う

と感じた。胸が痛い。息ができない。


 家族に支えられて、すぐに病院にかかった。

 いくらかの検査を終えると、医師に

「結核です」

と、言われた。その日の夜、血を吐いた。


 医者からは田舎に引っ越すべきだ、と言われていたが、

「それじゃあ、チェッカーズで投げられない」

と、マイケルはうなされるように言った。


 体調がいくら悪くなっても、いつかはよくなる。と自分の経験から楽観していたのかもしれない。

 ただ、今回の結核という病気は、そうもいかない厄介なものだった。


 日に日に悪くなっていく。そのことは自分でもよく分かった。

 当然、野球はできない。

──自分は野球を糧にして生きてきたというのに、その糧がなくなってしまえばどうしたら良い

 その思いは、マイケルの心をも、むしばんでいたのかもしれない。


 吐き出す血の量が増えた。咳をすると、真っ赤な液体が手に付いた。

──このままいけば、自分は死ぬな

 そのことはわかっている。療養するために、遠くの綺麗な空気を吸いながら生きるべきかもしれない。

 それでも、マイケルはチェッカーズのあるこの工業地帯が忘れられない。


──死ぬんなら、ここで死のう


 そう思ったのは、マイケルの悪い意地だった。

 それでも、自分の体のために外に出て行ってしまうより、自分の心のためにとどまったほうが、よっぽど、マイケルにとって、生きているんだ、という実感があった。


 その代償は大きい。

 常に胸が痛い。もともと痩せていた体はどんどんと細くなり、食事をするのも辛くなっていた。

 家族に心配されるのも心苦しかった。


 それでも、クロークハッチの風景をずっと見ていることのほうが自分にとって幸福だと、マイケルは小さな声でそういった。


 ベットの左側に窓がある。くすんでいるガラス窓だったが、外の風景を見るのには不自由しなかった。

 いろんな人がいるが、戦争に入ってからは皆の顔が落ち込んでいるように見える。

 前は、もっと明るかったと、そう感じる。


 その中で、ひとりの老人の姿が目に付いた。新聞を持って、街道をうろうろしている。

 道行く人に、手を挙げながら、あいさつをしている。

──カールスじいさんか


 このあたりの人間では知らない人はいない。

 見知らぬ人にも、2人きりの時間を楽しんでいるカップルにも、近づいた人には全員に

「ハローミスター、ハローミセス。アイム、カールス・ジョンソン」

 といって、声をかけてくる。


 これを厄介に感じる人も当然いたが、マイケルは彼の言葉が好きだった。

 どんな人に向かってでも対等に言葉をかける博愛精神と、その言葉の発音から隠し切れない育ちの良さ。

 そして、言葉をかけるときのほほえみ。

 彼のような人が、世界にたくさんいたら、どれだけの人が幸せになるのか、と考えたこともあった。


 老人はその言葉を、今日も道行く人にかけているのだろう。

 ガラス越し、遠い距離。その声は聞こえなくても、頭の中に勝手に流れ込んでくる。

「ハローミスター、ハローミセス」

 かの老人は毎日、午前10時から正午まで、そんなことを繰り返している。


──・──・──・──


 いつの間にか、マイケルも口ずさむようになっていた。

 病に疲れて眠り、自分の咳の音で起きる。

 そして、目が覚めた時、ふと自分の口があの言葉を口ずさんでいる。


──今日も、生きている

 そう思えた。

 それがどれだけマイケルを癒しているのかは、彼にしかわからない。それでも、たしかに自分の心が生き生きとしだしたのが分かった。


 咳は前よりも、ずっとひどい。体は弱って、立ち上がることすらできない。

 それでもたった一言いうだけで、自然としかめっ面がやわらいでいくのが分かった。


 今日も、窓から通りを見る。

 今日は快晴だが、人々の顔がそうは感じさせない。それでも

──カールスじいさん、ずっといるな

 ふと、目が合ったような気がした。

 それでも老人は構わず、道行く人に声をかけている。


 人の通りがなくなった時には、新聞を開いて読んでいる姿も見えた。

 それでも、人が来るとすぐに新聞を閉じて、あの言葉をかけている。


 次の日も、その次の日も。


 マイケルの病状は次第に悪くなってく。ベッドから体を起こすこともできなくなってしまった。

 窓の下を見ることができない。空しか見えない窓の、なんと寂しいことか。


 あの老人は、今どうしているだろうか。街を行く人は、どんな顔をしているだろうか。

 想像をすることしかできない。


 ある日の夕方。マイケルは水が欲しいと思った。

 だが、咳のし過ぎで喉から上手く声が出せない。

──ままならないものだな

 そう思った時、ふと口から言葉が出た。

「ハローミスター、ハローミセス。アイム、マイケル・ケイジ」

 力なく笑ってみたあと、ゆっくりと目蓋を閉じた。


──・──・──・──


 朝、ウォルター・ケイジは父親に水の入ったコップを手渡しに行った。

 いつもの通りなら、咳をしながら待っているはずである。

──早く持って行かなきゃ

 そう思うのは、ウォルターの父を愛する心からである。


 ところが、ドアの奥からは咳の声がしなかった。

 ウォルターはいぶかしみながらドアを開けると、父親のマイケル・ケイジが穏やかな顔で目を閉じている。


 ウォルターは、自分の心臓の鼓動が早まるのが分かった。

 すぐに、顔に手を当てる。

──息をしていない

 それを感じたウォルターは、すぐに大きな声をあげた。

「母さん!父さんが、父さんが!」


──・──・──・──


 葬儀が終わり、墓の下に納棺も済んだ。

 ウォルターは急に父親を失ったことが、まだ信じられない。


 マイケルの墓に向かう道中。クロークハッチの街道を喪服を着た母と歩いていると

「ハローミスター、ハローミセス。アイム、カールス・ジョンソン」

と、品のよさそうな老夫が声をかけてきた。


「どなたですか。私たちは、お構いできません」

 と、母親が言ったが、老夫はお構いなしに、微笑みかけてくる。

──気味が悪い

 ふたりはそう思った。しかし、老夫はそんなことも知らない様子で、ゆったりとした口調で

「もしよければ、私もお墓に連れて行ってくれませんか?」

と、言った。


 母親は嫌な顔をしたが、ウォルターの目からはこの老人から善意しか感じられず

「母さん。連れて行こうよ」

と、言った。

 母は、息子の言葉を無碍にすることができず

「何かしたら、すぐに警察を呼びますからね」

と釘を刺して、ともに墓園まで行った。


 マイケルの墓の前。

 老夫は2人の黙とうを先に促すと、自分はあとに回った。

 ウォルターも、その母も、黙とうした。

 墓から離れると、老人は入れ替わるようにして墓の前に片膝をついた。


「私はね、人から見られていたんじゃない。ずっと人を()()()()んだよ。

 そんな私から言わせてもらえば、君は真面目すぎたんだ。少し不格好になって、自分を可愛がれば、もっと生きられた。でも、それをしなかった。

 人は、君の生き方をどうとでも言うこともできる。それに従う必要はない。それでも、この老人にとっては、自分より若い人が先に逝ってしまうというのは

 ──悲しいことなんだ」

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