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セプテンバー・コール・アップ  作者: ヒポポクロス
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13 ジャスティン・ラッセル

 ジャスティン・ラッセルは、とても臆病である。


 それは、この当時の気風に、上下を逆にしようとも合わないほどのもので、時には温厚で理知的だったマイケル・ケイジにも

「お前はもう少し、胸を張らないとダメだ」

と、ダメ出しを食らうほどのものだった。


 その臆病な性格は、どこから来ているのか。

 そのことは、彼の友人も、家族も、そして彼自身も気になるところであったが、それはたぶん、彼の天才的な感性によるものらしかった。


 彼は同僚の投手から、「マジシャン」と呼ばれる位には器用だった。

 野球では、多くのブレーキングボール(変化球)を投げた。


 スライダーを3種類、シンキングボールを2種類、カーブを2種類、チェンジアップを3種類、そして、スプリットを2種類。シーム違いのストレートだって投げた。

 彼の力の抜けたフォームから、それだけ多くの球種が投じられる様は、ラジオで聞いている人間にはわからない魅力があった


 しかし、そのスタイルのせいか、彼は好き嫌いが分かれる投手であったことも言わなければならない。


 当時はフォーシームで真っ向から勝負することが尊ばれた時代だった。

 彼の投球スタイルは、結果が出ているとはいえ、

──男らしくない、女々しい投球

と言われることがあった。


 彼も、その言葉を気にしてフォーシームで勝負しようと思っていた時期があったが、打ち込まれてしまい

「どうして、俺は力のないフォーシームしか投げられないんだ!」

と、家の中で一人、怒鳴ったこともあった。自分が天才だったことも知らずに!


 ただ、同僚のジェフ・オーガスタから

「弱虫め!お前のやれることをしない穀潰ごくつぶしめ!」

と叱咤され、そしていつもバッテリーを組んでいるロラン・バークライから

「自分に至らないことがあったらいけない。お前のことをよく教えてくれ」

と寄り添われたことで、やっと、ジャスティンの抱えていた呪縛が少しほどかれた。


 ジャスティンは立ち向かう、ということができない()()だった。

 だから、チームメイトの中でも気の短い連中

──例えば、さっきのジェフや粗暴な性格で知られたオイラン・エッガーのことだが

には、やたらと責められた。

 どうも、ジャスティンの逃走癖が、彼らには我慢ならなかったらしい。


 思えば、彼は天才だった。

 その才能は、外に出ることよりも、内にこもることに使われた。


 もともと手芸が好きだったし、手芸に留まらず、細かい作業が彼の大好物だった。

 野球の、特にピッチャーが彼に合っていたのも、その指先を使う感覚が、彼の嗜好にピッタリとはまったからだった。


 ただ、他人の輪の中に入ってみようとは思わなかった。

 自分ひとりの空間で、ひたすら模索にふけるのが、彼にとっての至福の時間だった。

 だから、キャッチボールで遊ぶ、ということはなかった。


 壁を相手に、延々と、握りを変えながら投げていく。

 その時に出来上がったボールの跡は、今でも残っているらしい。


 彼が人に向かってブレーキングボールを投げ始めたのは、ミドルスクールに編入されて、1年半が経ってからのことだった。


 同級生に、ひどく野球を好きな友人がいた。

 その友人はジャスティンの引っ込み思案な性格を、うまくリードできるような性格だった。


「キャッチボール、しよう」

 という友人からの発言は、その前にしていた会話とは全く脈絡もない、唐突なものだった。

 いつも関わってくれる友人の満面の笑み。ジャスティンはうなずかざるを得なかった。


 そうすると、友人は肩に下げたバッグの中から、そのバッグに見合わない大きなものを出した。

 それは、新しいグラブだった。

 友人はどうも、このグラブの感触を確かめたいがために、ジャスティンを誘ったらしかった。


 公園につき、キャッチボールを始めた。

 キャッチボールの途中、友人は楽しそうな顔をしていたが、何回かボールのやり取りをした後に、ジャスティンに向かって

「ねえ、ブレーキングボール投げれる?」

と質問してきた。

 ジャスティンは、

──自分が陰で練習をしていたことを知られていたのかもしれない

と、どきっとした。


 それでも、この友人の頼んだことなら…。

 ジャスティンは右腕を回し、友人に向かってカーブを投げてみた。


 友人は捕れなかった。

 友人が下手を打ったわけではない。ジャスティンのカーブが、鋭く大きな変化をしたのだ。


 友人は驚いて、ジャスティンに

「ジャスティン!野球しよう!」

と、後ろに逸らしたボールをそのままにして興奮気味に言った。

 それ以降、ジャスティンはクラブチームに入って大きな活躍をし、プロに入ることになった。

 友人も引っ込み思案な彼のことをサポートし、その道のりをなだらかなものにしてくれた。


 ジャスティンはこの道に導き、助けてくれた友人に感謝し、彼女にプロポーズまでした。

 それ以降、この2人は仲睦まじく暮らしている。


──・──・──・──


 しかし、ジャスティンがプロに入ってから4年後の1928年、戦争が始まった。


 ジャスティンも一時、兵士として徴収されそうになったが、身体検査の時に

怯懦きょうだ症」

という診断を受けて、戦地に行くことは免れた。


 ジャスティンも、そして彼の妻のニーナも、安堵した。


 しかし、戦争が激化し、長期化していくにしたがって人員が不足し始めると、兵士として不適合であると烙印を押されたジャスティンでも、工員として徴集されることが決まった。


 戦時中の工廠はほこりと鉄の臭いが濃く、どうにも、それは血を思わせる匂いがした。

 ジャスティン自身は嗅いだこともない戦場の臭いが、閉鎖的な環境である分、時に戦場のそれよりも濃くその鼻を刺激した。


「ジャスティン、病気に罹らないでね」

 戦時中の工廠の密集具合を聞かされたニーナは、ジャスティンの身を気遣った。

 ジャスティンは

「なんとか…やっているよ」

と、口ごもりながら応えた。ジャスティンにとっては、その衛生環境よりも、毎日繰り返される人酔いのほうが辛かった。


 作業場には男も女も交じって作業をしていたが、若干、女のほうが多かった。男はみんな、戦場に行っているから、女が入らざるを得なかったのである。


 ジャスティンはニーナ以外の女を知らないから、内心はどぎまぎしていた。

 工廠でやることの多くは単純作業の繰り返しだから、特に会話の必要はなかったが、それでも何らかの理由で会話を交わさなければいけないときは、目線を合わせることなく会話した。


「あなた、チェッカーズのジャスティン・ラッセルよね?」

 そんなことを女の工員に聞かれたことがある。

「は、はあ。まあ…」

 ジャスティンは、自分がある程度の活躍をチェッカーズでしたことを悔やんだ。

 できれば、工廠内でずっと孤独なほうがよかったが、それでも、そのひと言のせいで注目されるようになった。


 加えて、ジャスティンの器用で凝り性な性分が、彼自身を注目する人々の幅を広げた。

 ジャスティンは誰よりも早く、正確に、そして綺麗に作業を仕上げた。それは、世間一般にそういったことが得意な女に比べても、明らかに格が違った。


 そのおかげか、ジャスティンは工廠のライン管理者に

「お前は今度から、みんなに作業を教えてやってくれ」

と言われた。


 ジャスティンは、いちど拒否をした。彼はひとりで黙々と作業をすることのみが、この工廠の中での幸福だと信じていた。

──俺が、人の上に立たなきゃならないのか

 そのことは、ジャスティンにとって大きなプレッシャーだった。


 それでも、ライン管理者の、さらに上司である工廠全体の人員の管理者まで出てきて

「君が就いてくれれば、工場全体の意気が上がるんだ。頼んだぞ」

と、まるで就くことを断定されたように言われ、これに臆病なジャスティンは逆らうことができなかった。


 しかし、ジャスティンは──本人の意思に反して──人に教えるのが上手かった。

 自分のその天才的な感覚を、言語化して人に伝え、そしてそれを実行させる。この才能にすら恵まれていたのは、あまりに大きな指導者、管理者としてのアドバンテージだった。


 そのおかげで、工廠の、特にジャスティンが見張っているラインの作業は大きく発展した。

 何か技術的な革新があったわけではなかったが、生産する物品の量は1.5倍に増えた。


「ジャスティン君、君の能力は抜群だ」

 視察に来た軍事関係者はそう言って、防護服の上から、ジャスティンの肩をつかんだ。


 ジャスティンは寒気がした。

──自分はまた、何かを任されることになるんじゃないか

 そのことがとてつもなく嫌だった。


 それでも、彼は臆病で、ノーと言うことができなかった。

 いや、もしノーと言っても、無理やり立場を移すことになったに違いない。


 ジャスティンはその工場で、工員全体を管理する立場に移った。

 名簿を管理し、来る者、去る者を書き出したり削除したりした。

 そして、どの人間を重要視して、どの人間を叱咤なければならないのか、そのことを判断して、実際に行動に移す。

 ジャスティンには似つかわしくない強権的な職業ではあったが、それでも案外、やれと言われると慣れてしまうものだった。


 とはいえ、このことによる精神的な疲労は、ジャスティンの心を蝕んでいた。

 怠惰な工員に対して叱咤するとき、ジャスティンは穏やかな口調で集団においてどういう役割を果たすべきか、ということを説明するようにしていた。

 それは、そうしたほうが伝わるだろう、というジャスティンの理性的な判断もあったが、感情的には、怒鳴ることによって自分を疲れさせたくない、という自分可愛さの部分もあった。


 2か月。これはジャスティンが工員の管理業務に移ってから、作っていた兵器の生産を終了するまでの期間である。

 いくら重要なポジションとはいえ、軍全体でいえばまだまだ新顔で、ジャスティンにとっては下っ端のような気分だった。


──・──・──・──


 戦争が終わり、世情が安定した。

 それでも、世間にはまだ戦時中の雰囲気が残り、空気は湿っぽい。 


 ジャスティンはあくまで民間徴集された人間であるから、工廠から解放され、再び野球を始めることができた。

 とはいえ、工廠で働いた4年間。この4年は大きかった。


 ブレーキングボールを投げてみても、以前ほどの感覚の良さはない。そして、その感覚を証明するかのように、打ち込まれた。


 さらに、ジャスティンの心をさいなんだのは、チェッカーズのチームメイトの多くが、戦時中に死んだり、心を病んで退団していたことだった。

 帰ってきた人間も、当然いる。

 それでも、ジャスティンは帰ってこなかった仲間のことを想った。


 特に、ロラン・バークライが還ってこなかったのは、彼にとって相当に大きな負担だった。

 ロランは、人付き合いがうまくないジャスティンのために、チームメイトとの間を取り持っていた。彼がいなければ、自分の言葉を相手に伝えることができないほど、依存をしていた。


 結局、ジャスティンは自分の限界をいくつも感じて、野球から手を引いた。

──これから、何をしよう

 ジャスティンが悩んでいるとき、玄関のドアが突然ノックされた。


 ニーナが

「誰かしら…」

と言いながら玄関のドアを開けると、スーツを着た男が二人、立っていた。


「ジャスティン・ラッセルさんのお宅ですね」

「…はい。そうです」

「ジャスティンに召喚令状が届いています。ご同行願います」

「えっ、夫が何をしたっていうんですか?」

「それは、ここでは話せません」


 ニーナはジャスティンが殺される、と思ったかもしれない。

 とっさに

「ジャスティン!」

と大声を出した。

 だが、ジャスティンは何となく、自分に何が起こるのかがわかっていたから、逃げようとはしなかった。


──・──・──・──


 ジャスティンが務めた軍事工廠は、化学兵器を作っていた。

 端的に言えば、毒ガスをばらまく爆弾である。

 ジャスティンも、当然そのことを知っていた。

 連行されるとき、あの毒爆弾の、丸いフォルムが頭に浮かんだ。


 そういえば、自分以外の人間はどうなったのだろう。



「自分は…人員の管理とモチベーションの管理をしていました。自分も命令を受けていた身ですので、詳しいことは何もわかりません」

 尋問官にジャスティンの言ったことは事実だった。彼は作業導線と爆弾の組み立て方以外、何も知らない。

「それでも、爆弾製造の責任者は、あなたが製造の全てを管理していた、と言っていましたよ」

 馬鹿げた話だ。そんなことはない!、とジャスティンは言いかけたが、それを押し殺して

「それは、言葉が悪いんです。そもそも、そんな器用なことをできません」

と、自分の体を震わせながら言った。

「それでもあなたは、この毒爆弾(ポイズミック・ボム)の効率的な製造に寄与していますよね?」

「それは、その通りです。でも私は…手先が器用だっただけで…」

 尋問官は、困ったような顔をした。


──嘘は言っていないはずだ。個人の能力を、どの程度責任へと結びつけるかだな


 結局、ジャスティンはとても莫大な”対価”を払うことになった。

──ジャスティン・ラッセルはもともと徴収されただけの一般人である。しかしながら、毒爆弾の製造の効率化に寄与したのは事実で、彼が人員の管理に回されたのちに製造量が50%も上がっているという資料と、彼自身も製造物の概要を知っていたことを鑑みて、責任に関して完全に酌量することは難しく、このことを以って以下の賠償金と、20年間の軟禁下に置くことを進言する。


 ジャスティンは賠償金を払うのに借金を背負い、長い軟禁生活を強いられることになった。

 世間からのバッシングも、もともと有名だっただけに酷いものがあった。

 工廠時代の上司が自動車の部品製造で成功して、革新的な速度革命を起こしたと、そんなニュースだって見た。


 もともと引っ込み思案だったジャスティンは、さらに内側に引きこもった。


 そんなジャスティンに、ニーナはこう言った。

「人を信じることをやめないで。あなたは臆病なんだから、なおさらよ」

と。

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