三個目 おかかは邪道? それとも王道?
プロローグ
「まだか……まだ、鍵は手に入らないのか……」
雷が鳴り響く空間。その中に、薄暗い景色には似合わない屋敷がある。
その屋敷の一室で。
「はぁはぁ……ぐっ、もう少し、もう少しだけ待ってくれ……私が ”鍵” を手に入れるまで……もう少し……。くっ…… ”命の限界” が近づいてきているか……」
その人物は、苦しそうに呼吸を乱している。
その人物は、汗を大量にかき、壁に寄りかかっている。
しかし、その人物の姿は部屋が真っ暗な為よく分からない。そんな時、雷が鳴り響く。ピカッと外が一瞬光る。それにより、部屋の壁に人影が映る。
その人影では男か女かは判断できないが、ただ一点。分かる事があった。それは──、
「ふっ、ふはは、ふはははははははははは!」
その人物の頭部には、鋭利な角が二本生えていた。
聾学校に通う織。織は今、とある女子と会話をしていた。
『織先輩は、本が好きなんですね』
『うん。姉さんに本を読むと、字も文章も意味も覚えられるよって言われて、それから読むようになったんだ。そしたらすごく好きになっちゃって』
『そうなんですね。普段はなんの本を読むんですか?』
『魔法とかを扱うファンタジーで、ライトノベルが多いかな。姉さんから最初にもらったのがライトノベルだったから』
『私はあんまりライトノベル? は読まないので読んでみたいです』
『僕の貸そうか? この「沈黙の剣使」とか面白いよ。耳の聴こえないろう者が戦う物語なんだ』
『え! ろう者が! それは読みたいです! 貸してもらってもいいですか!』
『もちろん!』
学校の廊下で、織と橙色のミディアムヘア少女が手話で楽しそうに話している。
『雫湖ちゃんも気に入ってくれると思うな!』
少女──笹都雫湖は可愛らしくにっこりと笑い──、
『はい! 織先輩がそう言うなら間違いないですね!』
廊下で楽しそうに会話している二人。そろそろ授業が始まる時間なので、二人は各自教室へと戻っていく。
雫湖の教室で。授業開始時間になったが、いつまで経っても授業を担当する教師が来ない。不思議そうにする生徒達。そんな中で雫湖だけは違った反応を見せていた。
(もしかして【ライザー】が何か仕掛けて来たのかな……? でも【醤調機】の索敵機能に反応は無いし、鮭さんからの連絡もない。聴儡器の気配もしない……私の思い過ごし……?)
雫湖は、一人で色々と考え込んでいる。机に両肘を突き、両手で頭を支え、目を瞑り考え込んでいる。それは端から見れば、頭痛が激しい人のようだった。
(いや、これはきっと私の思い過ごし。うん。そうだ。そうなんだ。…………でも、なんか嫌な予感がする……)
この裏で、とんでもない事が起こっている事を、雫湖は……いや、【おむずび】達は知らなかった。そして、それを知る由もなかった。
☆ ☆ ☆
それは、ある日の早朝に起こった。
キュイィィィィィィィィィィィンッッッ!
甲高い機械音が、どこからともなく日が昇り始めたばかりの空に響き渡る。正確には森に、だが。
「うふふ。楽しみ、楽しみだわぁ。この実験体はどこまで保つのか」
森の中にあるとある小屋。それは小屋を呼ぶにはいささか大きすぎる気もするが、見た目は完璧に小屋なので小屋と呼ぶことにする。
その小屋の中には、ベッドが複数台置かれており、その上には人らしきモノが乗っている。
愉悦の笑みをこぼす女性は、とあるベッドの前に立っており、その眼の前には裸で横たわる男性が。
「今回 ”採取” できた ”素体” は十体。その内 ”九体” は失敗。残すは一体。成功してくれるといいんだけれどねぇ」
九台のベッドの上に乗るのは、砂。
先程の女性は素体と言った。つまり、ベッドの上には人間か動物がいた事になる。そして、女性が見下ろしているのは男性。つまりは九台のベッドの上に乗っていたのは人間と言う事になる。
だが、今ベッドの上に乗っているのはただの砂。
これは一体、どういう事なのか。
「ふふ。 ”人間を聴儡器に変える” 実験も大分やって来た。それで見えてきた事が何個かあるのよねぇ。さて、この最後の実験で何か結論は見えるかしら」
そう言って女性は、右手に持ったドリルを男性に向かって────。
☆ ☆ ☆
織達が学校で授業を受けている中。
【界抹山】の木々が生い茂る場所で。
「全く。あの女も派手にやってくれたわね。後始末を私がしなくちゃならないじゃない。ライズ様の命令でなければこんな事……」
「あ、あの。オレがやります」
「あら、そう? じゃあお願いするわ。でも決して──」
「証拠は残さない。ですよね」
「ふふ。分かってるならいいわ」
その場所には二人の女性がいた。ヒューリナとリュウタリナだ。
リュウタリナは小屋の中に入り後始末を始める。
外にいるヒューリナは、スマホのような機械を取り出しそれを操作している。そしておもむろに──、
「そういえば、あなたの ”妹ちゃん” まだ見つからないらしいわよ」
「っ!?」
ヒューリナの言葉に、中で作業していたリュウタリナは肩をビクッと震わせ、手を止めてしまう。
「ろ、ロリッタリナは無事なんですか!?」
中から慌てて出てきたリュウタリナ。その全身には ”砂” が沢山付着しており、動く度に砂が舞い、砂埃を発生させる。
「ごほごほ。埃が舞うから動かないで頂戴。無事かどうかは私にも分からないわよ。でもそうね。一つだけ言えるのは ”裏切り者” に情けはない」
「っ!?」
ヒューリナの答えに、リュウタリナは歯を食いしばった。
「ふふ。そんな顔しないの。せっかくの可愛い顔が台無しよ? まぁ、私はあなたの妹ちゃんの事気に入ってるから、他の奴らよりも先に見つけられたら、保護してあげるわ」
「ほ、本当ですか!?」
「えぇ。(無事ならね)」
ヒューリナの最後の言葉はリュウタリナの耳には届かなかった。聞こえないように小さな声で言ったからだ。
「さぁ、さっさと作業を終わらせて」
「は、はい!」
リュウタリナは慌てて作業へと戻って行った。
ヒューリナは空を見上げ──、
「さぁ〜て、どうやって遊びましょうかしらね。うふふ」
不敵な笑みを浮かべて呟いた。
☆ ☆ ☆
「はぁ、はぁ……」
サファイア色の髪をした、ショートカットの少女が、木々の生い茂る森の中を走っていた。
「はぁはぁ……」
どれほど長く走ったのかは分からないが、息の切れ方、汗の量を見ると、相当な距離を走ったのだろう。
「こ、ここまでくれば……」
ガサッ。ガサガサッ。
「はっ!? お姉ちゃん、待っててね……私が必ず ”逃げるための秘宝” を見つけるから!」
少女はそう言い、再び走り出した。その格好はボロボロだった。
☆ ☆ ☆
織と繚の二人が買い物に出かけたので、オーリは家で掃除やら洗濯やら沢山の家事をやることにした。
「さて、掃除はこの程度かな。次は洗濯〜」
と、オーリが洗面所に向かおうとした時──、
「っ! 誰!?」
洗面所の方から人の気配がし、オーリは声を張り上げる。と、洗面所から気配が移動した。その移動先は──、
「主様の部屋……行かせない!」
オーリは、一目散に疾駆した。謎の気配に織の部屋へ向かわせるわけにはいかない。
もう二度と、失態は許されない。オーリは額に脂汗を浮かべ、全力で疾駆する。
「誰も、いない……?」
織の部屋に入ったオーリ。しかし、そこには謎の気配はいなかった。先に謎の気配が部屋に入ったわけでもなく、まだ来ていないわけでもない。それはつまり──、
「この家からいなくなった?」
そう。謎の気配は、この家からすでにいなくなっていたのだ。
「あの気配は間違いなく【ライザー】のモノ……この家は ”結界” を張ってあるから侵入できないはず……もしかして、幹部が? だとしたら、今まで以上に警戒を強めないと!」
オーリはそう言い、家に張ってある結界の強度を強めた。
織と繚が家に帰って来て、今は織がお風呂に入っている所。その間にオーリは、先程の報告を行った。
「そっか……侵入者か……」
「はい……すぐに消えたんですが、まさかこの結界を破って侵入してくるとは思ってもみなくて……その後、すぐに強度を強めたんですが、私が勝手にやって良かったのかと気になりまして、繚さんの判断を仰ごうかと」
「この結界は ”父さんが生み出して、母さんが張った物”。勝手は許されない。だけど、今回のは正しい判断だったと思う。それに ”今の” しゃっちゃんの実力なら、この家を囲う結界を一人で作っちゃってもいいくらいだしね」
「わ、私が一人で!? そ、それは流石に時期尚早では……」
「そんな事ないよ〜。しゃっちゃんは【おむずび】のNo.3なんだから、少しは自信を持ちなさい」
「はい……ありがとうございます。これからも邁進してまいります。それと、もう一つ報告がありまして。雫湖からなんですが、数学教師が授業に現れず、不審に思った為、警戒はしていたらしいのですが、別に変わった事はなかったそうで。ですが──」
「あの子は気になってる訳ね」
「はい」
「あの子のそういう勘は侮れないのよね。まぁ、この後家に来るから、詳しくはそこで聞きましょう」
「そうですね」
ピンポーン。
二人がそんな会話をしていると、インターホンが鳴った。
「お、丁度来たみたいね」
オーリが玄関に向かい、扉を開けると、そこには雫湖ともう一人女性が立っていた。
「ツナマヨ? 今日あなたは呼んでないはずですが?」
「そ、そんなヒドい事言わないでくださいよ〜! おかかちゃんがご主人様の家に行くと言うので、付き添いとして付いてきたんですよ!」
「それはご苦労さまでした。それでは」
「ちょっと!? ちょっと待ってください!? ここまで来たんですから入れてくださいよ〜!?」
雫湖の隣にいたのは織の同級生、蓮部煎歌だった。
「冗談です。入ってください」
「もう〜、鮭さんのは冗談に聞こえないんですから止めてくださいよ〜」
二人は部屋の中に入る。
リビングに入って来た雫湖に手を振る繚。それに対し、礼儀正しくお辞儀で返す雫湖。その後ろから煎歌が姿を現すと──、
「あれ? なんでツーちゃんがいるの? 呼んでないよね?」
「いくらさんまでヒドすぎませんか!? そんなに私はここに来てはイケないですか!?」
「あはは! 冗談冗談だよ。おかかちゃんの事見てくれたんだよね。ありがとう」
「は、はい。そ、それで? 今日はなんの集まりなんですか?」
「なんか最近織がおにぎりにハマっちゃったみたいでさ。おにぎりパーティーを開催するの」
「なるほど。だとしたらそれは【おむすび】に招集をかけなければいけないのでは?」
「いや、急に大人数が来たら、織が怖がるでしょ。あの子人見知りなんだし、怖がりなんだから」
「そ、そうでした。……だとすると、やはり私はいない方がいい、でしょうか?」
「いやいや。ツーちゃんは別に大丈夫だよ。織も心開いてるんだから。本隊の人間を知らないから、そっちはダメだけどね」
「あ〜なるほど、理解しました。それで、鮭さん、おにぎりパーティーとの事ですが、ツナマヨはありますよね?」
「…………一応用意しております」
「一応ってなんですか一応って! 前にも言いましたが、ツナマヨはもう王道なんです!」
オーリと煎歌のやりとりを見て ”ろう者の雫湖” は首を傾げている。
『ツナマヨは王道かどうかで言い争ってる』
繚が手話で通訳をする。と──、
『おかかは王道ですか? それとも邪道ですか?』
と、スマホから音声が流れてきた。雫湖がオーリ達と会話する時はいつもこうしている。
『ん〜……おかかは邪道だと、私は思います』
煎歌が答える(手話)。
『私は王道だと思いますよ』
オーリが答える(手話)。
『うん。私も王道だと思うな』
繚が答える(手話)。
『ツナマヨさんだけ、反対意見……悲しいです……』
雫湖のスマホが、感情を込めてそう言う。
雫湖が開発したこのスマホは、使用者の感情を理解し、それをそのまま相手に伝えてくれる。
「ツーちゃん、ヒドいね〜」
「はい」
「なんか今日、私の扱い雑過ぎませんか〜〜!?」
煎歌の悲しみの声は、外まで響き渡った。
エピローグ
時は、オーリが家で謎の気配を捉えたところまで遡る。
オーリが謎の気配を追いかけ、部屋まで疾駆した時の事。
家の外で──。
「っぶねぇ〜。まさか気配を悟られるとは」
まるで忍者装束のような格好をしている女性が、壁に背中をくっつけ、額に浮かんだ汗を袖で拭っている。
「【おむすび】のNo.3だからって侮ってたのが、仇となっちまったな。No.3の肩書は伊達じゃねぇって事だな」
女性は、軽い身のこなしで近くにあった木の枝に飛び乗ると、家を見つめ──、
「これからはしっかりと警戒してやるよ。 ”姉ちゃん”」
そう言って、目には視えないスピードでどこかへ去って行ってしまった。
この女性とオーリとの関係は一体……?