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∞同級生は燻りがっこ

「松の内は門松を飾る七日なぬか間を言うんだ」

 一色が同級生の十勝美代子とかちみよこに訊かれた質問に答えた。

「そっか」と美代子は笑いながら、

「相変わらず一色くん、おじさんっぽいね。こういうこと、知識が深いの変わらない。三十五歳、ちょうど良い年齢になってきたね」と加えた。カウンター席の背もたれにコートを畳んで掛けながらの会話だ。品の良い眼鏡とチェックのマフラー、グリーンのセーターに長めのブーツ、なにより穏やかな笑顔だ。今し方来店と言う所作だが、一色とは長年の付き合い、気心の知れた仲である。


 新年の二日、近所に住む同級生が、お年賀配りの帰りに立ち寄った潮風食堂。営業はまだ先なので、店内は静かだ。

 中間地点のここで、やはり同級生の十代未来としろみくと待ち合わせをして、二人でお寿司屋さんに行く予定なのだ。これも毎年のことだ。



「昔から? この人、若い頃からこんなおじさんくさい人だったの?」と零香。

「まあ、私が一緒だった中学と高校時代はこんなだったわよ」と笑い返す美代子。

 そんな他愛も無い会話を楽しんでいた矢先に、潮風食堂の引き戸が開いて、血相を変えた女性が入ってきた。旅先から戻りましたと言わんばかりの、厚手のコートにマフラーと、パンツスタイル。美代子の待ちあわせの相手、未来みくだ。

「いらっしゃい」

 眉をひそめる一色。具合でも悪いのかと心配する。

「美代子、まずいことになった」

 一目散に友人の美代子に駆け寄る未来。

「どうした?」

 隣の席のいすを動かして、着席を促す。

 浅めに引っかけるように腰掛けた未来は、身を乗りだして美代子に話し始めた。

「正月早々、旦那が浮気してた」

りくくんが?」

 半信半疑の目で、一色の方を窺い見る美代子。

「陸はそんなやつじゃ無いと思うよ」と一色。厨房から口を挟む。

「でもね。あのキャバ嬢、以前どこかで見たことあるの。思い出せないけど。ひらひらの長い垂れ下がったリボンに、巻き毛。超ミニのスカートに、尾ひれのような上着」と未来。

「キャバ嬢?」と声を揃える一色と美代子。

「実家から帰ってきて、やっと地元の駅に着いて改札口を出た矢先、大通りの向こう側の歩道を二人で並んで歩いて行くのが見えたのよ。追ったけど、離れすぎていて、見失ったわ」

「それだけで浮気って、決めつけがひどい。確証を得るにはまだ材料が足りないわよ」と美代子。

 軽く間を置いて、未来は続ける。

「でね。まだあるの。今朝、実家の最寄り駅のATMで通帳の記帳をしたら、給与の振り込み口座から三十万円が、今朝のうちに引き出されていた。さっき荷物を置きに、一旦私が家に戻った時には、彼の布団はもぬけの殻。あれは彼本人だったわ。まさかキャバ嬢と駆け落ちなんかされたら……。私、親戚になんて言い訳すれば良いの?」

 頭を抱えながら、青ざめた顔の未来は不安を隠しきれない。慌て者で心配性の未来のことなので、美代子もまだ半信半疑のところはぬぐえない。


 そんなタイミングではあったが、鯛の粕汁が出来上がった。一色は大きめの椀にそれを移すと二人の前にリズミカルに置いていく。これも毎年のことである。ただ違っているのが、今年は付け合わせの小鉢に「燻りがっこ」が入っていた。いつもの沢庵とは少し違うスモーキーな香りがする。時間をかけて熟成させる「香の物」である。勿論、時間をかけて吟味した方が良いという未来の行動に対する警鐘を鳴らしたメッセージだ。零香はすぐにそれを察知した。


「まあ、とりあえず、寒い外にいて大変だったでしょう。これで暖まりましょう」と零香。ごく自然にすすめる。

 それどころでは無い、という顔の未来だが、落ち着きを促されて椀に口を付けた。

「粕汁は風味付け、味噌はあわせの白強め、いつも通りのお正月の味ね。ありがとう一色くん」

 未来はなるべく平静を装いながらも、小刻みに震えているのがわかる。必死に取り乱さないように振る舞っているのだ。



 ひとまず今年の、今日のお寿司屋さん訪問は諦めることで決着が付いた。そして状況を判断すべく、自分の主人の帰りを待つために未来は自宅に戻ることにした。子供はお正月休みなので、そのまま祖父母に預けるかたちで、未来だけ一足先に帰省をして戻ったという事の成り行きだった。その矢先の駅前での目撃、不幸な出来事だった。

「正月早々ついてないわ。ごめんね。ひとりで部屋にいるのが辛くて……」

 未来はこたつの向かいに座る美代子に詫びを入れる。だが美代子は亭主が戻ってこないのでないか、という不安にさいなまれている未来には、まだ半信半疑だ。

 見れば、向かいに座る未来は、そんな中、長旅の疲れからなのだろう、うたた寝をしている。こたつに入ってすぐのことだった。


 未来は高校時代の夢を見た。クラスメートの朝子と一緒に自転車通学をしていた夢だ。

 半べその朝子を宥める自分。

「両親の離婚は朝子のせいじゃないよ」

「分かっている。大人の事情。おうちの事情、っていうのも分かっている」

「未来はこんなわたしでも仲良くしてくれる?」

 ほろりと落ちる涙の瞳に、「もちろん」と笑顔で答える。

 それから程なくして、朝子は高校卒業と同時に、小さな文具問屋に就職した。未来が結婚したときはまだ付き合いはあったが、その後、お互いに子育てに追われて疎遠となる。年賀状だけの付き合いが五年ほど続いて今に至るのだ。

「なにか私に出来ることがあったら、何でも言って!」

 当時、未来の言った言葉は嘘では無かった。いまでもその言葉に偽りも無い。

 しかし夫婦の緊急事態になぜ今頃こんな夢を見るのか、困ってしまった。


 午後六時を過ぎた頃、玄関で物音がする。

「ただいま!」

 それは夫の陸の声だった。

「お邪魔しています」

 こたつに入ったまま、声を届かせる美代子。

「おお、その声は美代子さんだ」と嬉しそうな陸の声が返る。

『なによ、普通じゃないのよ』と美代子は内心安堵する。

 玄関先から香水の匂いが漂ってくるのが美代子にも分かった。

 そして今に入った陸の後ろには、未来の見たであろうキャバ嬢の姿があった。

「陸くん、誰?」

 うさんくさそうに、美代子が言う。

「誰って、朝子さんじゃないか」

 陸の言葉に、よくその顔を見ると、よそ行きのメイキャップで化けているが、見覚えのある顔があった。エクステンションで髪のボリュームも出しているが、前髪の髪質も朝子の地毛で間違いない。

「どしたの、朝子? その格好? いつからそんな派手になったのよ」


 美代子の質問に答えたのは陸だった。

「早朝の四時前に、未来が田舎から帰ってくる前にね、突然朝子さんから家に電話があった。朝子さん仕事帰りに病院から連絡があって、ご主人が緊急入院だって連絡を受けたんだ。それで未来に助けを求めてきたの。生憎、未来は実家にいると伝えると、朝子さん電話口で泣き出したんだ。誰も頼る人いないって。未来は実家から戻るのはお昼近くだ、って。それを言ったら、本当に身寄りがなくて誰も頼れないって困っていた。それで、時間に余裕のある僕が、当座未来の代わりに助けることにしたんだ。車を出して、彼女の家まで行き、ご主人の着替えと保険証やらなにやら一式を携えて、ご主人が入院している病院まで送ってあげたの。見慣れない格好していたので、訊いてみると彼女、ご主人、持病の薬代で出費がかさむって言うので、飲めないお酒の夜の仕事を始めたんだって。着替えの時間もないので、スナックの先輩に借りてた店着のままで、今日はあっちこっち僕も一緒に回ったんだ。一人じゃ心細いと思って、非常事態なので今日は全面的に運転手になってあげた。幸い結果的に、過労から来る衰弱で、持病からのものではなくて、明日には退院出来そう、ってことだよ」

 美代子はクスリと笑うと、

「陸くんらしいね。それで三十万円は入院やらなにやら分からないので、用立てて、あらかじめ先に準備してあげたんだね」と言う。

「ああ、知っているんだ。うん。緊急だったし、事後承諾は仕方ないかな、と思って。ほらこの通り、使わずじまい。明日には口座に戻すよ」

 そう言ってバッグから銀行の封筒に入ったお札を見せる。

「そっか、そっか。心優しいクラスの人気者、みんなの陸くんはおじさんになった今もその性格は健在って事ね」と伸びしてみせる美代子。

「ん?」と首を傾げる陸。

 含み笑いをしながら美代子は、

「ここでうたた寝している未来には、ちゃんと説明してあげなよ。寿命が縮む思いしていたよ」と言う。

 未来が目覚めるにはあと一時間ほどあるが、目覚めたあとには、四人だけの心の絆たっぷりの小さな同窓会が始まるのは必至だった。


「一色くんのところでもらってきた燻りがっこがあるよ。食べる?」と美代子。

「おお、いいね。秋田名物だね。あいつも元気だったかな? 美人な嫁さんもらってねえ」

「うん、元気だったよ。明日報告しに行かないとね」と笑う。

「なにを?」と意味の分からない陸。

「まあ、今日のところはお疲れさん。知らぬ存ぜぬの蚊帳の外にいたら良いわ、陸くんは。そう、今日は極楽とんぼでいなさいな」

 意味深に笑う美代子。

「え、うん」

 そう言ってから、差し出された燻りがっこを一口含む陸と朝子。

「燻りがっこってさあ、長い間囲炉裏の上でつるされて、互いがなじむように味と香りがつくんだって」と陸。

「じゃあ、あたしたち同級生仲間みたいね」と美代子もひとつ頬張る。そして、「そう思わない? 朝子も」と訊ねて笑う。

 朝子は「私は同級生がいてくれてよかったよ」と涙ぐんでいる。その顔は決して世間が見ているような、お決まりの水商売の女性という姿ではなく、健気けなげに主人を気遣う優しい妻の顔を持った朝子だ。

「よしよし、私たちはずっと同級生だよ、愛すべき友よ!」とそっと朝子の肩に手をかけて、抱き寄せる美代子だった。


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