∞新婚のアイテムは桜餅と目覚まし時計ー特別話ー
∞新婚のアイテムは桜餅と目覚まし時計ー特別話ー
潮風商店街の入口には、商店街のゲートがある。ゲートと言っても門があるというわけではなく、逆U字型のアーチ状を潜る名称板が設置されているだけだ。運動会や催し物などの入場ゲートを少し丈夫にして、金属仕様にしたようなものだ。
そのゲートの脇には潮風玩具店というおもちゃ屋がある。結構古くからある玩具店で、もともとは民芸品などをメインで売る万屋だった。それを今の主人である無間棋道が一気に模様替えで大きくした。扱う商品をテレビゲームや鉄道模型、プラモデル、そしてトレカなどに集中させたのである。
例年通り、商店街のゲートの横には、桜の花が咲き誇っていた。
「ねえ、今年も桜が綺麗ね。満開よ」と店先で妻は言う。まるで『お花見に行きましょう』とでも言いたいように。ジーンズに、エプロンで店先から窓を眺めている。
「うん」と夫は頷く。綿パンにポロシャツ姿の中肉中背の男性だ。言葉少なになにやら作業を始めている。
「房総半島の桜も見頃かしらね?」と夫のそんな仕草に気にも留めない妻。
「あっちは暖かいから、もうそろそろ散り始めになるだろうなあ」と答えながら、どうやら夫は鞄に詰め物をして出かける準備をしているようだ。
「え? またあ?」
その様子に気付いた妻は少し不服そうに横目で睨む。いつものこととはいえ、あからさまに不快な気分になっていた。彼の放浪癖とでも言うか、店を任せて消えてしまう悪癖がこんな桜の綺麗な季節にも起こったのだ。
「ごめん、ちょっと出かけてくる」
そんな表情にはお構いなく、棋道はさも当然のように妻の亮子に声をかける。その声が彼女に届いたときには既に彼の半身は店の外に出ていた。
「また今日もですか?」
新婚一年目にして、この蜜月の大切な時期に、彼は新妻を店に残して、大荷物を抱えると、さっさと出かけてしまった。しかも行き先も告げずに。
駅の方に向かって歩いて行く彼の後ろ姿に、舌を出し、
「べーだ」と悪態の表情で見送る妻。そんな春の日のひとコマだった。
店番を任された亮子は仕方なく、午後六時までの営業をして閉店を迎える。店を閉めるとひとりの夕食もわびしいので、商店街をてくてく歩いて潮風食堂の扉を開いた。
「あら亮子ちゃん。いらっしゃい」
声をかけたのが零香だ。
「零香ちゃん、聞いて」と亮子はいきなり注文より先に、開口一番の愚痴である。
「うん聞くわよ」と笑顔の零香。お冷やと注文票を盆にのせて彼女の横に立った。
「あ、さくら釜飯を一つと冷酒ね」
「はい。さくら釜飯一つお願いします」
零香の声は一色に届く。
「はい、さくら釜飯ね」
注文が伝わるとテーブル席の向かいに座って、
「それで?」と頬杖で訊ねる零香。
「ウチのダンナサマ。三度のご飯より鉄道が好きでね……」
亮子の言葉に、
「うん、商店街の人は皆知っているわ。昔は店閉めて休んでまで、レアな列車乗りに行っていたモンね。乗り鉄のむくちゃん!」と笑う零香。
「今日もやっぱり行っちゃうのよ。わたし店番するためにお嫁に来たわけじゃないのに……」と重いため息。
「乗り鉄魂って、昔言っていたわね、棋道さん」
「そんな魂捨ててしまえ! どんな魂よね。お嫁さんをほったらかしで電車に乗りにいくって」と亮子はやるせない表情である。
「まあね」とこちらも同じくやるせない表情の零香。
お冷やを飲みながらも少々モヤモヤ感を隠せない様子で亮子はいじけた風に続ける。
「しかも私、鉄道の知識が全然無いから、鉄道模型のお客が来ると困るんだ。店番頼まれても電車の型番なんてわからないし……。お客さんにききながら商品探している有様よ」
『たしかに』という同意の意味で頷く零香。
「ああいうのって男のロマンよね、少年の日々っていうか」
すると一色がさくら釜飯を膳にのせて運んできた。
「お待たせ。桜の薪、ウッドチップで燻した肉と魚がのせてあります」
肉と魚の周りには、ピンク色のさくらえびとでんぶが敷き詰められている。色彩豊かな春めいた釜飯が届く。桜漬けと沢庵のピンクと黄色の漬け物の色合いも絶妙だ。味噌汁は赤だしの麩とネギの具である。
「ああ、ありがとう。綺麗ね。美味しそうだわ」と言って香りを味わう。箸を持って一口味わった。口の中には春風のような味わいが広がる。まさに一色の料理の腕が活かされた逸品である。
「まあ、今日も乗り鉄とは限らないんでしょう? 少し冷静になって彼の帰りを待ってあげたら」
「まあ一色さんがそういうのなら」
「それにね。むくちゃんは乗り鉄と言うよりも旅情派なんだよ。彼のオヤジさんの影響かな」
「旅情派?」と不思議な顔の亮子。
「旅に出て、駅弁でその土地を実感して、ローカル線でその地域の人たちから聞こえてくる方言を聞いて異文化を共感して、郷愁の念に浸るって感じの旅行者なのさ」
「へえ」
「いわば日本のどこかで、彼を待っている人と巡り会うことを楽しんでいる、『いい日旅立ち』の世界の人なのさ」と笑う一色。
「商店街の御隠居たち御用達の百恵ちゃんの歌ね」と零香。
「まあ、それのひとり旅で君とも知り合ったって言っていたけど」と一色。
「うん、ぶらりと降りたローカル線の駅で食べた桜餅が忘れられなくて定期的に買いに来るようになったって言っていたわ」
「でしょう。もともとが旅情派故に知り合ったカップルなのさ、君たちは」と彼女の犬も喰わないいらつきを収める一色。
亮子は、「そっか……」とため息交じりに肩を落とす。そして「あの時は好青年で格好良かったのになあ、うちの人」とふたたびため息。
「あれまあ、ほんの一年前のことなのに」と苦笑いの一色。
「うん、でも結構違ったのよ、あの頃は。彼は私の故郷の外房のローカル線の駅まで毎週のように、ここから会いに来てくれたのよ」
「葛西から?」
「そう、毎週うちの店の定休日にね」
「男の人って、小忠実なとこあるもんね。恋愛の時」と零香。
その頃の夫を思い出したのか、機嫌も良くなり亮子は箸を置いた。
「さて帰ってみるか。ダンナサマを待つ、健気なお嫁様を演じてみますよ」と笑う亮子。
「そうそう。笑顔が一番だ」
一色に勘定を払うと、亮子は自宅へと引き上げて行った。
千葉県の山間部にあるローカル線の駅は、無人駅。朝もやが立ちこめる中、両親と亮子は駅に向かって歩いていた。その駅近くに亮子の実家はある。駅前広場の入り口にある和菓子店だ。
この彼女の見る夢は一年前の光景だ。彼女は数ヶ月前に彼のプロポーズを受け入れ、両親との顔合わせも終わった後。
そのまま東京での挙式に備えて、新居となる葛西の玩具店に向かう朝だ。
一本道の駅前の道をしずしずと歩く亮子は、少し遅れて歩く両親の顔を見られないのだ。昨夜は結婚への気概と両親との別れで少し涙した彼女だ。かつて通学路だったこの道を嫁ぎ先、新しい生活のために歩いているのだ。
『もう泣きそう』
「キップは持っているの?」
「うん」
「蘇我駅に着いたら、京葉線に乗り換えるのよ。ティシューとハンカチは持っているの?」
「大丈夫よ」
そんな気持ちを察してか、母親はさっきから持ち物の確認ばかりをしてる。こんな時というのは意外にそんな話題しか出てこないものだ。
古びた三角屋根の駅舎が道の向こうに見えてくる。画に描いたような田舎の駅だ。駅舎の両側には、はらはらと美しく散りゆく桜の花びらが舞う。
「温暖な房総半島は、東京より少し桜は早いのよね。今頃あっちは満開ね」という亮子。その言葉に父親は無言で頷く。
「それより亮子、これから、あなた朝ちゃんと起きられるの? 寝坊助はもうダメよ。お嫁さんなんだから、いくらお姑さんのいない家だからって、規則正しくダンナサマと生活するのよ」
「わかっているわ」と角口の彼女。
「わかっていないわよ。毎朝、寝室まで起こしに行ったお母さんの苦労もわかりなさいね」と笑う。
母親は着付けの先生をしているため、常に着物姿である。浅い紺地の羽織を纏って、凜とした姿勢で歩いている。
父親は何も言わずにスーツ姿で帽子を被り、二人に寄り添って歩く。
駅舎への数段しかない階段を登り、待合室を通り抜ける。ラッチと呼ばれる改札ボックスを通り抜ける親子。ここにまで舞い散る桜の花びらはそっと降り注ぐ。無人駅のためキップは車内購入である。
その先には一つしか無いホームがある。腕木式の信号がポツンとあるだけで、転線ポイントレールもない小さくてシンプルな駅だ。もちろん彼ら以外の人間などいない。ホームを囲うように桜の木が並んでいる。
『ピー』という汽笛とともに、一両だけの短い気動車がやって来た。いよいよ亮子にとって両親と離れて暮らす人生の第一歩である。
列車が止まると、無口にしていた父親が彼女にそっと小さな包みを渡す。開いたドアに足を運ぶ直前のことだった。
「お父さんは、あなたをずっと守ってきた。これからは棋道くんがあなたを大切にしてくれるということだ。規則正しい時間と一緒に過ごすのが生活の第一歩だから、役に立つはずだよ。列車にのってから開けなさい。彼を信じるんだよ」と大切なことを小声で言った。
気動車のディーゼル音が唸ると、すっと一両だけのローカル線は動き出す。デッキに立っていた窓越しの亮子に父親は無言でお辞儀をする。母親は着物の袖を押さえながら手を振る。
彼女の春の光景は常にその思い出の中にあった。
時間は戻り、潮風食堂の釜飯でおなかを満たした亮子はおもちゃ屋の奥でこたつに入ってうとうとしていた。テーブルにもたれ俯せで寝ている。
「亮子ちゃん、起きて WAKE UP!」
妻の肩を揺する仕草に、
「ううん」と寝ぼけ眼で上体を起こす。目を擦りながらのお出迎えだ。
「帰ってきたの?」
「うん、お土産」
「おみやげって、電車に乗りに行ったんじゃ無いの?」
「違うよ」と棋道。
彼は左手に懐かしい白い包装紙を持っている。
「それウチの実家の……」
「そう、桜餅。今日から販売なんだ。限定品だから並んで買ってきた」と笑う。
「だってお父さんに取り置きしてもらえば」
「だめ、ちゃんと並んで皆と同じに買うことに意味がある」
するとテーブルの上に置いてあったあの日父親からもらった目覚まし時計がけたたましく鳴り響く。昔ながらの金型で作った手作りの目覚まし時計だ。
まるで『起きなさい!』と母親に小言を言われているように。
「今日はそれを買いに行ったの?」
「だけじゃない。千葉の百貨店で結婚一年の記念日のネックレスも買ってきた」
「今日って、結婚記念日だった!」
「そうだよ」
そう言ってリボンのついた百貨店の包装紙を取り出す夫。
「私に?」
「うん」
「嬉しい」
彼女の素直な気持ちが言葉に出る。
「電車以外に目的があったんだ」
「今日は電車じゃない。君の思い出が目的なんだよ」
そのリボンの小箱をテーブルにそっと置いた。
「開けてみてね」
「もうこんなことされたら、怒れないじゃないの。帰ってきたら怒ってやろうと思っていたのに」
「それは命拾いした」と笑う棋道。そして「結婚、一周年、いつもありがとう」と言って手に持ったワインの瓶をポンと開ける。ほんのり桜色のロゼがグラスに注がれていく。
「お祝いに飲もうね」と夫。
窓の外には夜桜の花びらが舞う。テーブルには実家の桜餅と父がくれた目覚まし、そして夫がくれたネックレス。亮子の結婚一周年はごくありふれてはいるが、小さな幸せに囲まれていた。
了




