惰性で生きるわたしたち
「ねー、まだぁ?」
茜色に染まる教室、いるのはわたしと貴女だけ。
提出が明日に迫った課題に、唸りながら向き合う貴女を横目に、わたしは惰性でプレイし続けているソシャゲの周回に勤しんでいた。
「ちょっと、もうちょっと待って……!」
意味もなくシャーペンをカチカチし始めたのを見るに、相当に行き詰まっているのだろう、いつものことながらこれはちょっとじゃ済まないな、まぁ、最後にしっかり戸締まりしとけば大丈夫でしょ、と、先生から借りてきた教室の鍵をちゃらちゃらと鳴らしてみる。
「なーんで前々からやっとかないかなぁ」
「気分が乗らないから……!」
「その生き方辞めなぁ?」
お互い、視線が交わることはなくて、それぞれ視線は下に落ちたまま、言葉を交わすこともまちまち。
……嘘、わたしの視線は度々目の前の貴女に向いていた。
あいも変わらず、むーんと唸る貴女の顔は、窓から差し込む夕焼け空で彩られてて、とても、綺麗。
鈍感な貴女でもずっと見ていると流石に気づかれそうだから、すぐに視線をスマホに戻して、少し経ったら視線を向けて、カチカチと音を鳴らすメトロノームみたいに、その繰り返し。
「あ」
「どした」
ふと目の前の貴女が声を上げて釣られてわたしも反応する。
貴女の目線は課題でもわたしでもなく、夕焼けの差し込む窓の外、中庭の花壇へと向けられていた。そういやこの子、園芸部だったな、と早合点を打ったが、よくよく見ると視線は花壇ではなく、花壇の世話をする一人の男子生徒に向いている。
「あぁ、クラスメイトの……。そういやあの人も園芸部でしょ?よく話してる」
「うん……」
もごもごと何かを言いよどむ貴女を横目に、わたしは彼から目を離さない。
「実はね……今日当番だったんだけど変わってもらったの……」
貴女はバツが悪そうに視線を課題に戻した。ちらりと見える顔が赤らんで見えるのは、夕焼け空のせいだろうか。
「知ってるよ」
「え?」
貴女は素っ頓狂な声を上げて揺れ動く瞳でわたしを見つめる。
「だって今日のお昼彼と話してたじゃないの、そんなことだろうなーって」
「……そ、そう!その時、その時頼んでたの!!」
「てかお昼から課題のこと分かってたならそっからコツコツやれば良かったのに、せめてもの悪あがきで」
「むー……仕方ないよ……もう癖になってるんだから……」
貴女の膨れっ面に吹き出して、わたしはもう一度中庭の彼に目を向けた。
知ってるよ、貴女が彼と付き合い始めたのを。
「ねぇ」
「ん?」
「彼、困ってない?」
わたしは指をすっと窓の外の彼に向ける。
見るに、花の植え付けの作業に手間取っている様子。
「あ、本当だ……!!思ったより量が多かったのかな……どうしよう……」
彼の様子を見た貴女の視線は、彼と課題に行ったり来たり。お世辞にもマルチタスクが得意ではない貴女がこの状況で課題を完遂することは難しいだろう。
ふーむ、とわたしは考える。このまま彼を無視して課題に集中するように進言するか、それとも。
「行ってやりなよ、課題はわたしがやっとくからさ」
まぁ、答えは決まってるよね。
それから少しして、貴女を見送った教室には、勿論わたし一人だけ。
手元に置かれた課題は完璧に仕上げた、まぁ、不自然にならないように適度に外した答えを書いたけれど。
10分もかからずに終わった課題を見て、相変わらずのんびり屋なんだから、とここにはいない貴女を想う。
さて、帰るかと立ち上がった拍子に、窓の外の二人を見た。
申し訳なさそうに謝る彼に、にこやかに笑いかけながら、花の植え込みを行う貴女は見る見るうちに片付けていく。
その手際は機敏で、いつもの貴女と別人のようで。
仲睦まじく花壇を世話をする二人を見て、一人囁く。
「そうだよね、それが正しいんだ」
わたしは課題を貴女の机に滑り込ませて、教室を出た。
鍵をしっかりと施錠して、ちゃらちゃらと鍵を鳴らしながら何処かの教室で騒ぐ声の反響で彩られた廊下を歩く。
外を見れば二人が目に入るから、真っ直ぐに前を見て。
その後、帰宅したわたしは謝罪の連絡を入れてくる貴女に卒なく返答し、ベッドに倒れ込んで目を閉じる。
モヤモヤする。
これでよかったんだよね?
それで本当に良いの?
いいわけないけど、どうしたらいいの?
わたしは貴女が好き、友人としても、それ以上にも。
口に出して伝える勇気は勿論ない、関係が壊れてしまうこと、それが怖かったから。
貴女はとても優しいから、きっとそうはならないだろう、これはわたしの甘えに過ぎない。
思い出すのは夕焼け空で着飾ったわたしと貴女。
いつも通りの二人きりの世界。
そこから貴女はいなくなる。
彼と二人で外に出て、わたしはそれを見つめるだけ。
それでいいんだ、進むことも後退することもない、そんなどっちつかずの関係を求めた惰性で生きることを選んだわたしには、お似合いの結末。
間の抜けた着信音が自室に響き、自問自答の海に沈んだわたしを現実に引き戻した。
時計を見ると、貴女に連絡してから数刻過ぎている。
わたしは発信者を見るまでもなく、通話ボタンをフリックした。
「あ、起きてた」
「起きてるよ」
変わらない貴女の声。普段なら心地よいソプラノが、今のわたしには少々辛い。
「どうしたの?」
「えっとね、改めてお礼言いたくて、今日は本当にありがとう!」
「謝罪はもう聞いたけどー?」
「感謝は伝えてないもん」
「はいはい、要件はそれだけ?」
「あ、後ね、彼からもありがとうって伝えといてって」
「マメだね、いえいえって言っといて」
わたしの返答を最後に、お互いの間に沈黙が訪れた。
「それからね、伝えたいことがあるの」
沈黙を破ったのは貴女、電話越しでも空気が変わったことが分かる。
「わたしね、彼と付き合い始めたの」
「そうなんだ、おめでとう」
やっとのことで絞り出した声は、自分でもどうかと思うぐらいに震えていた。
どうやって、この声を誤魔化そうかと思案する。決して貴女に気取られないように、いつも通りに。笑い話に持っていくため、憎まれ口でも叩こうか、と口を開こうとする。
すると
「はー、やっと言えたぁ」
電話の向こうから聞こえた貴女の声は、わたしのそれよりも数倍震えていた。
「緊張したぁ……」
加えて、涙声も混じっているように聞こえる。
「……泣いてんの?」
「うん……緊張が解けて……」
「えぇ、なにそれ」
余りにも貴女らしくて、可笑しくて。
気付けば、わたしも泣いていた。
不思議と先程まで感じていたモヤモヤは、涙と共に流れ出たのか、若干ではあるが治まっていた。
……あまり自覚はしたくないけど、多分、モヤモヤの大部分を占めていたのは、貴女がわたしに隠し事をしていることに対する怒り、つまりは拗ねだったんだろう。
蚊帳の外にされている、友達なのに、好きなのに、わたしのほうが先に好きだったのに……我ながらウジウジとした感情を発酵させてしまっていた。
考えてみれば分かることだ、誰と付き合おうと貴女は貴女。
わたしの大切な人であることに、変わりないんだから。
だったら、わたしが伝えるべきことは一つだけ。
「ねぇ、もう一回言わせて」
「え?なぁに?」
「おめでとう」
スマホから聞こえてくる貴女の寝息を確認して、通話終了にフリック、泣き腫らした目を擦って、ベッドに潜り込んだ。
といっても、まだ眠らない。
わたしは枕元に置いたスマホを操作して、寝る前の日課をこなす。勿論ナイトライトモードにして。
SNSとまとめサイトの巡回、メッセのチェック、あとは……。
「あ、そうだ」
わたしは、あのソシャゲをアンインストールした。