第五話 不穏
今日も爽やかな朝がはじまった。
眼鏡をかけた瞬間から、周はきびきびと動き回る。
まず豆と野菜を煮込んでミネストローネにし、チーズトーストとともに朝食として提供。昼は各自好きなタイミングでとれるよう、お弁当にして渡すことが定番化したので、この日もみんなが朝食を食べ終わるまでに包み終えた。
そうして全員を送り出してからようやく、自身の朝ごはんである。
朝食だけはいつもお盆で運んで、食堂ではなく部屋で食べるようにしている。同室で寝たきりの須玉が、匂いにつられて起きるのを期待してのことだ。
ミネストローネの甘い味付けは須玉の好みに合うだろうと、いつも以上にしつこく寝顔の周りでお盆を泳がせた。
が、須玉の表情は動かない。周は小さくため息をつくと、ベッドの足元側にあるテーブルにつき、食事を開始した。
(えっと、今日やることはっと。甘づらは、まだ鍋で煮詰めるほどの量が集まってないって言ってたからな。洗濯をやっつけたら、しばらくはレベルアップに時間を使えそうだ。午後になったらふいごを手伝うか。あ、でも夕飯には里芋を煮たいから、今のうちに泥を洗って乾かしておかないと……)
もくもくと咀嚼しながら、頭の中はタスクを組むのに大忙しだ。
組み終わると同時に食べ終わり、「よし、まずは里芋!」と立ち上がった。が、そこで予定外に須玉と視線がかち合ったために、周はギシッと硬直してしまった。
須玉は丸い目をさっそく不快げにしぼめた。
「……なんです、幽霊でも見たような顔をして。こちとら鬼ですけど、文句ありますか?」
話しかけられてようやく、周の身体から強張りがほどけた。
「す、須玉!」
お盆をテーブルに投げ出すように置くと、周はベッド脇にすっ飛んでいった。
「目が覚めたんだな! なんだよもう、すぐに声をかけてくれればいいのに、驚かせやがって。体調はどうだ? 苦しいところとかないか?」
あせあせしながら額に触って熱を計ったり、首元で脈を確かめたりしたが、須玉はうざったそうに手を払いのけてきた。
「もー、目覚めて早々に暑苦しい! 大丈夫ですよ、死にそうとかはありません」
「死にそうじゃなきゃいいとか、そういうんじゃないだろ。ずいぶん目覚めなかったから、本当に心配してるんだぞ」
周が大真面目に言うとさすがの須玉も申し訳なく思ったのか、素直に言葉を選び直した。
「目覚めたからには、本当にもう大丈夫なんですよ。流されてる間にツノが欠けちゃって、そのせいで妖気が揺らいでいたんですけど、寝ている間にもう修復できましたから」
「鬼にとって、ツノってそんなに重要な部位なのか」
「ええ、まあ。──もしや、良い弱点を知ったとでも思ってます?」
須玉はツノを撫でながら、じとっと警戒するように周を見たが、
「いや。そんなにも重要なら、早いところ新しいターバンを用意しないとなって考えてたところ」
と周が親切心に満ちた答えを返したために、「そ、そうですか」と恥じるように顔を背けたのだった。
「むしろ寝てる間に用意しておけばよかったな。悪い、そこまで気が回らなかった。あと改めてだけど礼も言わせてくれ。ありがとうな、須玉。おれ、桃に封印してもらってなかったら間違いなく溺れ死んでたと思うから」
「ああ、そのこと……。別に使える手立てがあったから使っただけですし、お礼なんていいですよ」
須玉は興味なさげに言いのけたが、桃がなかったらなかったで、きっと別の手段で助けてくれたのだろうなと周は察している。
(五郎八さんのためにってのが前提とはいえ、普通に気遣ってくれてるんだよなあ、ちびっ娘は)
武神の悪だくみのことを前もって教えてくれなかったのも、おそらくなにがあっても助けるつもりだったからこそのことだろう。
(実際、助けとしては間に合ってたしな。武神の電撃が予想外すぎただけで)
しかし武神とのことにまでありがとうと言及するとうざったがられそうなので、胸に秘めたままにしておく。かわりに周は「食欲はどうだ?」と問いかけた。
「今朝はミネストローネっていう、甘めなスープを作ったんだ。もし少しでも食べてみるなら、持ってくるぞ」
「甘め、ですか」
「ちなみに使ってる調味料は甘づらな」
途端に、須玉の目がきゅぴんと生気に満ちる。周は笑いながら立ち上がった。
「食べるってことでいいんだな。了解、ちょっと待ってろ」
飲みやすいように、ほんわかとだけ温め直したミネストローネは、案の定須玉の好みの味だったらしい。スプーンでせっせとすべての具を食べきると、残りのスープはお椀に直接口をつけてぐぐーっと勇ましく飲み干した。
「ふあーあ、良いお味でしたあ」
喜びの声にも、すっかり生気が満ちている。
「食欲あるか、なんて愚問だったな。おかわり持ってきてやろうか?」
「いえ、一応寝起きですからね。ここはおとなしく一杯で我慢しておきます。それより、状況を確認したいんですけれど、いったいここはどこなんです? ヒメさまもいらっしゃるんです?」
「やっぱり気になるのはそこだよなあ」
多分期待通りの内容じゃないぞと前置きをしてから、周は状況をひとつずつ伝えた。
場所については、結構な距離を流された実感は須玉自身にもあったのだろう。港町よりも奥側と言っても、さして驚きはしなかった。武神が牢屋入りしていることも、「住民たちの心情を思えばしかたないし、むしろ生ぬるいくらいじゃないです? ていうかおまけで武神まで助けちゃったことが、あたしとしては悔しいんですけど」と舌打ちで感想を終わらせた。
だが話が五郎八のこととなると、明らかに顔つきが険しくなった。
「まさか合流はおろか、無事もお伝えできていないなんて……」
ギロッと恨みがましい目を向けてくる。
「そ、そう不機嫌にならないでくれよ。おれだってもっといい連絡方法なり、合流方法なりがあればなあとは思ったぞ? でも目の覚めないおまえを動かすわけにもいかないし、急がば回れって感じでさ……」
しどろもどろになる語尾を、もう結構と言わんばかりに須玉は深いため息で区切った。
「まあ、状況としてはわかりました。手紙がもうすぐヒメさまのもとに届くのなら、この場所からは下手に動かない方がよいでしょうね。まったく、あたしが目覚め次第帰るとでも書いていてくれれば、すぐにでも動けたのに……」
「ご、ごめんって」
ぶつぶつ口を尖らせる須玉に、周は平謝りである。
「そもそもさ、パーティメンバーが変に入れ替わってなければ、こんなに悩むこともなかったんだよ。どういう仕様なのかわかんないけど、オモイカネには今度クレーム入れなきゃだよな。メンバーにはロック機能をつけておいてくれってさ、うんうん」
と、あえてオモイカネを槍玉にあげてみたものの、須玉は乗ってきてくれなかった。
「あれっ、ステータス……」
と言うや、急に押し黙ってしまったのだ。
「おーい、須玉?」
眼前で手を振りながら呼びかけると、ようやく須玉は呟いた。
「……荷物」
「ん?」
「あたしの荷物って、どこにあります?」
それならと、周はベッド横のチェストを指さした。
「そこに全部入れておいたぞ。流されちゃったのはターバンだけだと思うけど、一応バッグの中も確認してみてくれ」
須玉はすぐさま引き出しを開けてバッグを取り出したが、中をまさぐるほどにどんどん顔が青ざめていく。
「バッグの中にもない……」
「え。なにかなくなってたのか?」
「勾玉です。勾玉がどこにもないんです」
そんなばかな、と周は息を呑んだ。
「引き出しの中に、たしかに入れたはずだぞ」
そう言って、周もチェストを調べにかかった。
しかし引き出しには須玉の短剣が残っているだけで、勾玉は影も形もない。奥に引っかかってないか、引き出しを抜いて確かめもしたが、ないという結論が濃厚になっただけだった。
うろたえる周を尻目に、須玉は右こぶしを数度振り上げたが、すぐに無念そうに首を振る。
「ステータス画面が開けないどころか、アッパー技も発動しませんね。どうやら冒険者資格そのものが凍結されてしまったみたいです」
「そんな」
須玉は今度は掌でグーパーを繰り返す。
「……うん、多分ですけど、感覚的に神通力の総量は変わってないみたいです。レベルはリセットされずに、保持はされているみたいですね」
「じゃあじゃあ、勾玉を見つけさえすれば元通りってことだよな?」
「おそらくは。……けど逆を言えば、勾玉を見つけない限り、あたしは永遠にレベル24のお雑魚ってことです」
須玉は悔しそうに歯噛みした。
思い返すとオモイカネは、勾玉を渡してきたときに失くさないようにね、とは言っていたような気がする。しかし凍結なんてシステムがあるのなら、もっと口酸っぱく注意すべきだろう。
槍玉にあげるまでもなく、かの神へはヘイトを集めるのが実に巧みなのだった。
「ただでさえあたしは神使にしてもらえない、お雑魚なのに……。これではヒメさまのお役に立てません。絶対に見つけださないと──!」
「本当に、他の荷物と一緒にチェストに入れたんだぞ。信じてくれ」
「別におまえの言い分を疑うつもりはありませんよ。入れたとして、あとから誰かが抜いたんでしょうよ。──ここの住民は、何人いるんです?」
「五人だけど……って、まさか彼らを疑ってるのか?」
ありえないと首を振る周だったが、須玉に嘲笑された。
「だって、盗まれたんじゃなきゃなんでなくなるんです? 勾玉が勝手に動き回ったとでも? その方がまさかですよ。武神だって入牢中なら無理でしょうし、残念ですが犯人は住民のだれかで確定です。おまえ、ここしばらく一緒に過ごしていたのなら、心当たりくらいなにかありません? 些細なことでも構いませんから」
「心当たり……。そりゃ、たしかにちびっ娘がいつの間にかパーティメンバーから外れてたのは、変だなって思ったけど」
あれはてっきりなにかの判定基準にはじかれただけと思っていたが、須玉が勾玉を失ったためのことだったのかと、今更ながら事実同士が結びついてしまった。
しかしそれだけで、盗まれたとまで言い切るのは横暴だ。気付いたらそうなっていたために、厳密にいつ勾玉が須玉から離れたのかも検討がつかない。そう伝えると、須玉はため息をついた。
「うだうだ話してたって、埒があきませんね」
「待って、待って。なにするつもりだ?」
須玉は短剣を腰に差してベッドから足を降ろしたところだったが、周に訊かれると、きゃぴっとした笑顔で小首を傾げた。
「なにって、そりゃあ──尋問?」
「お、鬼ィ!」
あまりにも物騒な発想に、周はめまいがした。
こちらはただでさえ突きつけられた事実に困惑しているというのに、鬼のギアの入り方は人間に比べて早すぎる。
「お願いだから、そんな最初から敵対心むき出しにしないでくれ。本当におれからしたらみんな恩人なんだ。頼むから、おれがまず確認してくるから、ここでしばらく待っていてくれ。おまえだって病み上がりなんだからさ、安静も兼ねて、な? いいだろ?」
しかし須玉が答えを発する前に、張り詰めた空気の中に突然有花が飛び込んできた。
「周太郎! いる!?」
有花は激しく息を切らし、ひどく慌てた様子だ。
「どうしたんだ?」
周も咄嗟に立ち上がったが、
「あんれっ! 鬼ちゃんがめっちゃ起きてる! わあ、よかったね」
有花は須玉と目が合うや、周をスルーしてベッド脇に進み、須玉の手を一方的に握ってぶんぶん振った。
「寝顔見てかわいい子だなあって思ってたけど、起きたところもやっぱりかわいい! かわいいは正義だかんね、仲良くしよ?」
ニッコニッコと笑う有花に須玉はすっかり呆気にとられたどころか、かわいいを連発されたせいで、むずむずとくすぐったそうに頬を染めている。
(もう尋問って空気じゃないな。よし、こっちの問題はひとまずオッケー!)
ほっと息をつき、周は改めて有花に訊ねた。
「それで、そんなに慌ててどうしたんだ? なにかあったのか」
有花ははっと顔を上げた。
「そうそう、大問題発生だよ! お夏ちゃんが怪我した。モンスターに襲われたんだ」
「えっ」
お夏ちゃんとは、女の子コンビの片割れである。
もうひとりのおりんちゃんとともに江戸時代生まれで、ふたりはそれぞれ違う年代に、同じ龍神のもとに生贄として捧げられた。食べられはせずに神使にしてもらったものの、湖の枯渇に伴って龍神が消えてしまい、路頭に迷っていたところをヒルコに召し上げられたのだそうだ。
長いこと湖の底で静かに暮らしていたために荒事が苦手で、それもあって周はふたりが森に行くときには間違ってもモンスターが流れて行かないよう、レベルアップすら自重して、小屋の中で過ごすようにしていた。
それなのに──と、周は有花の話に動揺を隠せなかった。
「け、けがはひどいのか?」
「正直、軽くはないよ。いまキヨさんが神通力を分け与えてるけど、それでどこまで良く持っていけるか……。うちも加勢しに行きたいんだけど、周太郎には太一を追っかけてもらいたくて」
「太一?」
有花は沈痛な面持ちで言った。
「実は太一が、黙って鬼ちゃんの勾玉を持ち出してたみたいなんだ。そのせいでモンスターが寄ってきちゃったみたいで──ごめん、ふたりとも。もっとうちが気を付けて見ておくべきだった」
周が驚いて須玉を見ると、須玉は万事を解した様子でこくりと頷いた。
「尋問の手間がはぶけましたね。すぐに行きましょう!」




