お世話係
「もっと色々聞きたいこともあるけど、もう遅いからお風呂入って寝よっか」
ミキストリアに時間の感覚は無くなっていたが、疲れていることは自覚していたので、祥子のこの話はありがたかった。問題はお風呂だった。
「祥子、お風呂の入り方がわかりませんわ」
「お風呂は……あったよね? 侯爵家だし」
「ええ、屋敷にお風呂はもちろんありますわ」
「じゃあ何が?」
「こちらには侍女がおりませんので……」
「お、おぅ……。まぁ、使い方教えるから大丈夫」
「では、一緒に入ってくださいませ」
気が張っていたせいもあって自覚は薄かったが、ミキストリアは疲れていた。
夕食を摂り少しビールを飲んで張っていた気が緩むと、魔物討伐からのここまでの疲れが一気に押し寄せてきたような気がした。この小さな家に風呂があるというのは良い意味で予想を裏切られたが、見慣れない道具を侍女なしで使うのではリラックスできない。祥子の助けが必要だ、そうミキストリアは思った。
「え、一緒? え、何で?」
「ええ、お願いしますわ」
ミキストリアはにっこり笑って言った。
この時、ミキストリアは無自覚に、常時発動しているパッシブスキル『魅了』にMPを注ぎ込んでアクティブ化し、結果的に4倍の効果が出る状態に引き上げて祥子に向けて放っていた。1人で風呂を使って何もかも自分でやるのではリラックスできないと、ミキストリアは危機感を持っていた。
お世話係になっている上に、4倍の『魅了」を向けられた祥子は簡単に折れた。抵抗しようとする気も起きなかったようだった。
「しょうがないわねぇ、わかったわよ。でも今日だけよ」
ミキストリアは自分が魅了を発動したとは夢にも思っておらず、祥子の優しさに感謝するだけだった。
ミキストリアにとって、お風呂は驚愕の連続であった。信じられないほど小さい浴槽、シャワーというお湯が雨のように出てくる不思議な管。髪と体、顔は別の石鹸で洗う、さらには髪は別の液体も使う、と聞かされた時には正直なところ意味が全くわからなかったが、祥子に言われた通りに使うと直ぐにその違いがわかり納得したのだった。
ミキストリアが、祥子から借りた夜着ーーこちらではパジャマと呼ぶと祥子に笑われたーーに着替え終わった頃、祥子がドライヤーを手に近付いてきた。
「髪を乾かしましょう。今日はやるけど、少しずつでいいから、明日からは自分でできるようになってね。
これはドライヤー。こういうのってミキの世界にはないでしょう」
ドライヤーをかけてくれるというのは嬉しかったが、最後のセリフのドヤ顔で、ミキストリアは反発した。
「失礼ですわね。ドライヤーくらいありますわ」
「え、意外ー。魔法が使える世界って、道具が進歩しないってラノベの常識みたいなのに」
「お話の中の世界と一緒にしないでいただきたいですわ。
確かに、こちらの世界ほどではありませんが、一年ほど前からドライヤーも、冷蔵庫もエアコンも発売されて人気になっているのですわ」
「へー、そうなんだ。ラノベみたいに、実はそれはこっちから行った人が造ってましたー、とかだったらウケる」
ミキストリアは知らなかったが、祥子のこの与太話は実は正解を言い当てていた。ミキストリアの世界では魔道具が広く使われていた。魔物から取れる魔石は魔力が充填されており、加工することで動力源となる。これを利用した道具である。とはいえ作られる魔道具の種類は多くなく、薪の火の代わりに火の魔石を使って調理する、ろうそくの代わりに魔石を使ってランプにする、というように元々あった道具を置き換えることがほとんどで、新たな発想で造られた魔道具が出てきたのはここ1年のことだった。
(言われてみれば、急に斬新な発想の魔道具が増えましたわね。
もしそれがこちらから渡った人のものだとすると、実は二つの世界の行き来は全く無いということではないのかもしませんわね。もしそうなら、あちらに戻れる可能性も少なくないというものですわ)
ミキストリアは祥子の台詞で力づけられた気がした。
いざ寝ようという段で1つしかないベッドに誰が寝るかの言い合いになったが、
「わたしはソファーで寝落ちしたこともあるし大丈夫。
そもそもミキはソファーじゃ寝れないでしょ?」
という祥子の言葉でミキストリアは折れた。寝落ちしたから大丈夫というのは意味がわからないと思ったが、2人がけのソファーで寝る自分の姿は想像できなかった。
寝室はリビングにつながるもう一つの部屋だった。
「あ、ちょっと待って」
祥子は急に声を上げると、慌てた様子で寝室へ入っていった。バタバタ、バサバサと音が聞こえてくる。祥子がベッドを整えてくれているのだと、ミキストリアにもわかった。
「ふぅ。三日前に出て行ったきりだったから掃除は完璧じゃないけど、これでちゃんと寝れるはずよ。細かいことは言いっこなしでお願いね」
しばらくして寝室から出てきた祥子は少し顔を赤らめて言った。
「ええ、もちろんですわ」
ミキストリアは笑顔で応えた。突然身一つで、見知らぬ世界に飛ばされたのだ。それに女神の意志が関わっていたとはいえ、酷い状況になっていた可能性はあっただろう。それを思えば、望める限りの最善の状況だった。
祥子が譲ってくれたベッドはシングルサイズで、ミキストリアが侯爵家で使っていたものとは比べ物にならないほど狭かったが、寝具は上等で、快適だった。
うっすら残る祥子の匂いにミキストリアは気づいた。くすぐったい思いもしたが、嫌な気にはならなかった。祥子の匂いに囲まれるのはハグされているような気にもさせられる。その感覚はミキストリアを安心させた。
(初めはどうなるかと思いましたが、何とかやっていけそうかもしれませんわね。全て祥子次第というのも困ったものですが、少しずつ恩返しできるようにしましょうか。力をつけろということでしたが、まずは魔法を元通りに発動できるようにするのが第一歩ですわね。そのためには……)
なんとか1日目を快適といえる程度には過ごすことができたミキストリアは、今後のことを考えながら眠りに入っていった。
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