スピーチ 夢
突然ですが学校では子供ではなく子どもと表記するように気を遣っているそうです。
文部科学省とかに提示されているわけではありませんが、“供”という字は「付き従うもの」という意味があり、子どもに対する差別的、前時代的な感じがあるのでしょうね。
一人の子どもとしてはその話を知るまで意識もしてませんでしたし、話を聞いても見下して“子供”と言う人はいないと思うのでどうでも良かったりします。(あくまで僕個人)
早くも変な話になってしまいますが許していただきたい。
今、学校ではスピーチを一人一人していくという時間が朝、帰りの会のようなものの時に行われている。
今のテーマは「最近見た夢」だ。最近見ていない人は昔のものでもいい。そういえばもうすぐ一周してまたお題が変わる。
普段話さないし関わりもしない女子とかの話を聞けるのは少ないので楽しみにしている。
と言う訳で(?)次回ぐらいからは前書きに夢を書きます。
ちなみに僕がスピーチした夢は、
自分と姉、母、叔母夫婦、従兄弟(当時1,2歳)でピクニックかなにかをしていて、丘からコンビニを見下ろしている。
場面が飛んでコンビニの前、自分が先頭で自動ドアが開くと鎌を持ち、黒いローブを着て骸骨のイメージ通りの死神が立っていて、僕の左手は手首の骨の少し後ろで切り取られる。
一瞬固まってから泣き出し、泣きながら姉に助けを求める(当時喧嘩で姉に勝ったことなど一度も無かった)と、姉が死神を倒した。
それを母に抱かれながらみて終わり。
こんな話をだれか面白いと思えるのか?
家ではママ、外では恥ずかしいから母上か母上様かマイマザー。
今更おふくろだの親父だの言えない。友達はそんなふうに言い始めるのだろうか。