緑のタマゴ
ある朝、りえは目覚めると自分の体の異変を感じた。
それはきっと男にはわからない異変。そう、下腹部に違和感があるのだ。その違和感と言うのがまさに『違和感』で、自分の体の中に何か入っていると言う感覚。りえの脳内では必死に思い当たる節を検索するがヒットはしなかった。それと同時に例えようの無い不安感が押し寄せてくる。「自分の体に得たいの知れない異物が混入している」と寝起きながらに想像してしまったばかりに、より一層焦りだし、冷や汗とも脂汗とも言えない汗が頬を伝う。
「なにこれ……?」
りえの口から最初に出た言葉は、限りなく単純で限りなく当たり前の言葉だった。
普段なら自分で見るのですら嫌なデリケートゾーンを、まさか誰かに見てもらうわけにもいかない状況。なぜなら、そこに何が入っているのか自分でも見当がまったく付かないからだ。「もしも人に見られてまずい物だったら……」などと考えると同時に、「いや、そんな怪しい物入れた覚えはない」と自問自答を頭の中で繰り返していた。
決心がついたりえは、さっきまでと打って変わって恐ろしいほど冷静だった。いや、正確に言えばそれしか答えがないと言う状況から来る『覚悟』なのかもかもしれない。りえは普段メイクで使っている四角い鏡をベッドの上に置き、そこに跨る様に座った。こんな事するのは初体験だと言うのに、よりによって意味の分からない状況がプラスされている状態、もしも新手の病気か何かだったらどうしようという不安が、りえの瞼をより一層重くする。
そんなこんなで、数分間りえが鏡の上に跨っていると、あろう事か自分の中にある『異物』が外へ外へ出ようと必死に葛藤している。人の体とは不思議な事に、異物は外へ出そうと自然な力が働いているようだ。「え? ちょっと何、どうしようこれ」と無駄な独り言が6帖の部屋に響き渡った。追い詰められたりえは、やっと鏡を見る決心をしたのだった。
そして、次の瞬間りえは叫ぶ事になる。
「えーっ!」
りえが覗いた鏡に映っていた物、それが余にも予想の遥か斜め上を行っていたせいで、下半身に必要以上の力が入った。その瞬間、異物は「スポンッ」っと漫画のような音を立て、ベッドに転がった。そこにあったのは『緑の球体』だった。りえが驚いたのも無理は無い、覚えが無いにしろ人体から出てくる物なのである程度の色や物は予想は出来ていた。しかし、鏡に映ったのは予想外の『緑』で、湿り気を帯びたそれは太陽の光を浴びて異様なテカリを放っていたのだ。ベッドの上に転がった物体を見て、りえはある一つの物を連想した。それは誰もが一度は目にした事がある物で、色は違えど楕円がかった独特の形や大きさが、嫌でも一つの物へ答えを結びつける。
それは『タマゴ』だ。
あまりの驚きから一瞬呆気にとられたりえだったが、改めて今のありえない状況を想像すると、恐怖よりもむしろおかしい気持ちが心を埋め尽くし、なぜか大声で笑い始めてしまった。
「ちょっと、タマゴとかありえないんだけど! しかも緑とか!」
物音一つ立てずにベッドに転がった『緑のタマゴらしき物体』を見て、りえは思わず突っ込みを入れた。
そんな笑いの時間も残念ながらすぐに終わりを告げる事になる。冷静になったりえに襲い掛かってくる第二波は、例えようの無い不安と恐怖だった。
りえは毎朝の日課であるシャワーを浴びる。それと同時に体に異変がないか隅々までチェックした。特に変化が無いのを確認した後、これまた日課である体重計に乗ると5百グラム減っている。だが、5百グラム位は日常での誤差の範囲なので特別意識はしない。そして下着を付け、休日なので部屋着に着替えてベッドの方へと向った。
どこかりえは期待していたのかもしれない。だけど『緑のタマゴらしき物体』は、さっきとまったく変わらぬ姿でベッドに転がっていた。
次にりえが考えたのは、「これがなんなのか」ではなく「病院に行くかどうか」だった。この際出てきてしまった物はしょうがないとして、このありえない状況をどうやって医者に説明すればいいのかを考えた。この物体を病院に持っていって「こんなのがあそこから出てきたんですけど」って言ったらどうなるか、もしもこの物体が本当に『緑のタマゴ』だった場合自分がただの変態に成り下がるのではないかという不安。これらの作用により、りえはしょうがなくこの物体が何なのかを調べる事にしたのだった……。
りえは、とりあえずこの物体を『緑のタマゴ』と呼ぶことにした。
近くでまじまじと見れば見るほど、それは鶏の卵以外の何物でもないと言いたくなるほどいつも見ているタマゴの形だった。
次に、りえは緑のタマゴを手に取ってみる。そして色以外で初めて鶏の卵との相違に気付く。それはずばり『重さ』だった。鶏の卵1個が何グラムかはりえの頭には無かったが、持ってみてわかる明らかな重み。「この大きさにこの重さはありえない」と言いたくなるほどの不自然な重みがりえの腕から脳へと必死に信号を送る。
自分の体から出てきたとはいえ、なんとなくりえは緑のタマゴを洗う事にした。特に意識もせず水道の水で洗っていると、もう一つの違いに気付く事になる。それは『温かさ』だった。スーパーで売っている卵の温度とは明らかに違う『温かさ』を緑のタマゴは放っていた。それはまさに人肌と呼べる温かさだったが、りえは自分の体から出てきた事を思い出して「そのうち冷えるだろ」と、特別温度については意識しなかった。
りえは綺麗になった緑のタマゴを見つめる。これが何なのかは、りえの二十一年の人生経験ではまったく見当が付かない状態で、あっさり考えるのを辞める事にした。そして、人が卵を見たら思いつくこと、それは「割ってみたい」って事だった。少し残酷に聞こえるかも知れないが、見た目が鶏の卵にそっくりで、自分の体から出てくると言うありえない現象、この条件下では残酷よりも好奇心が勝るに違いない。それと同時に、りえは心の中で「これは鶏の卵」と淡い期待を抱いていたのかもしれない。ありえない状況が重なって、その可能性は低いのだが、できればそうであって欲しいというりえの願いそのものだった。
器を用意し、りえが割る準備をする。そして改めて卵を見つめると、再び不安が頭を過ぎるのだった。ありえない状況下で現れた『緑のタマゴ』がもしも変なウィルスを持っていたらどうするのか、もしも爆弾だったらどうするのか、もしも中に何か生物が入っていたらどうするのか……。りえは考えれば考えるほど疑心暗鬼になっていく。そして頭の中で一つ思い出す映像があった、それは鶏の有精卵を食べるという珍味系番組の映像だった。見た目は普通の卵だが、割ると中から鳥の形をした物体が出てくると言う物だった。りえは昔、あの映像を見てから卵を一ヶ月食べれなくなったほどトラウマになっていたのだ。
「中からあんなの出てきたらどうしよ……」
りえは独り言で自分にストップをかけた。
そして、冷静になったりえが次に取った行動は『インターネット』だった。今の世の中はとても便利で、インターネットを使えば大体の事はわかる。パソコンを起動させ、りえは『緑の卵』で検索をかけた。そして検索結果を見ると、鶏は緑の卵を産むことがあるとの情報を発見する。
「そっか、緑の卵って意外とポピュラーなんだ」
誰もいない一人暮らしの部屋でりえは呟いた。ただ、そんな物が気休めだと言う事もわかっている。なぜなら、卵を産んだのは他の誰でもなく自分自身なのだから……。りえは無駄とわかっていながらも『人間が卵を産む』というワードで検索をかける。もちろんそんな答えはインターネットにも載っていない。あきらめきれないりえは、その後も関連のありそうなワードで検索をかけ続けたが、やればやるほど自分を追い込んでいる事に気付いたのでパソコンの電源を落とす事にした。
「どうしよう……」
時間が経てば経つほど冷静になって行き、それがより一層りえを苦しめる結果になっていく。りえは緑の卵を手で弄繰り回しながら、答えの出ない問題を考え続けた。ふと外を見ると、なんと外は真っ暗になっていた。朝起きて、ありえない出来事を経験し、考え続けていた。それらの行動がいつの間にか朝の光を夜の闇へと変えていたのである。
「はぁ……私って人間じゃないのかな?」
とうとう突拍子も無い答えを出しそうなりえだったが、その時部屋のドアをノックする音が聞こえた。
――コンコン。
「はい、どちらさまですか?」
突然の訪問者に対し、りえは無意識で緑のタマゴを持ったままドアを開けた。
「どうも、お待たせしました」
今朝、りえは人生最大の驚きを経験したばかりだった。だが、それが今まさに塗り替えられる事になったのだ。りえがドアを開けると、そこに立っていたのは『人』ではなかった。全身緑色の『何か』、人ではないことは見てすぐさま分かる。一瞬作り物かもしれないと頭を過ぎったが、実際目の前にそう言う物が現れると一目で作り物でない事がわかる。りえの頭の中では、目の前にいる『何か』が何なのか必死に答えを出そうとする。そして最初に浮かんだ答えがあった、それはよくあるUFO番組とかで出てくる宇宙人。あの宇宙人の緑バージョンと言える存在が、今目の前にいて、自分の部屋をノックし、流暢な日本語で挨拶をしているのだ。しかも「お待たせしました」という言葉に対し、りえはなぜか「待った覚えはないよ!」と頭の中で突っ込みをしていた。そして、思わずりえはある言葉を口に出す。
「うっ、宇宙人!」
見たまんまを頭の中で結びつけた答えがそのまま言葉となって飛び出した。
「いや、確かにそうですけどね〜。私からしたらあなたも宇宙人なわけで……」
緑の宇宙人らしき生き物も普通の答えを返した。
「まあ、驚くのも無理は無いですが、とりえず時間がないのでタマゴ渡してください」
ありえない状況続きのりえだったが、本能的に逆らうのはまずいと思い卵を渡そうとする。この宇宙人らしき生き物の大きな目を見ていると、なにか吸い込まれるような感覚も覚えていた。
「あ、はい」
普通の返事を返したりえが緑のタマゴを返そうとした。手に持っていたタマゴをゆっくり渡そうと目の前まで持っていったとき、りえの手に振動が走る。
「あっ!」
それを見た宇宙人らしき生き物も思わず声を上げる。
次の瞬間、りえの手の上の緑のタマゴが割れた。そして、そこに現れた生き物を見たりえは、今日三度目の奇妙な出来事と遭遇する。
「あっちゃ〜、生まれちゃいましたか! もしかして水かけたりしました?」
りえの手の上で割れたタマゴの中から生まれた物、それは今目の前にいる緑の宇宙人らしき生き物のミニチュアのような生き物だった。それを見た宇宙人らしき生き物は頭に手をやり「やっちゃった」と言わんばかりの表情を見せる。実際りえからみたら何の表情の変化もないのだが、目を見ているとそんなような気がした。しかも「水をかけた」というフレーズは、ずばり思い当たる節があったのだ。
「最近多いんですよね、水で洗う人。そんなに汚いと思ってるんですかね、自分から出てきたと言うのに」
宇宙人らしき生き物は、「またか」というような表現で説明をした。
りえは自分の手にのっている小さな緑色の生き物から目が離せないでいた。なのでこの説明を聞いていたかどうかは定かではなかった。その小さな生き物は体の割りに大きな目でジッとりえを見つめていた。りえもその目に見られると、どうしてか動けない感覚を覚える。
そして、その小さな緑の生き物が声を発した。
「ママ……」
ありえない事なのに、絶対に人間が卵を産むなんてありえないのに、とりえは心の中で葛藤しつつも、なぜかこの「ママ」という言葉に母性本能をくすぐられると言う感覚を初めて知ってしまった。
「もうだめですね、それはあなたが責任もって育ててくださいね」
「え……?」
なぜか小さい緑の生き物から目を離せないりえだったが、とんでもない事を言う宇宙人らしき生き物の言葉に反応した。
「私達は最初に見た生き物を親だと思う習性がありまして……」
呆気に取られているりえをよそに、宇宙人らしき生き物は言葉を続けた。
「あ、ちゃんと記憶は消させていただきますから」
そう言うと、りえと目線を合わせた。その大きな目を見たりえは、再び吸い込まれるような感覚を覚える。そして、何か眠たいような気持ちいいようななんともいえない感じが全身を駆け巡る。
「普通に育てるだけですから大丈夫です」
最後に宇宙人らしき生き物がそう言ったのだが、りえはそれが聞こえたような聞こえてないような……。
「ママー」
「おなかすいたんでちゅか〜、ご飯にしまちょうね〜」
この日、りえは母になった。
その後、この緑の小さな生き物はいろいろな人と会っているが、その大きな目の不思議な眼差しを見た者は、誰もが当たり前のように接するのだった……。
ホラーにしたかったんですけど、なんか面白い感じになっちゃいましたね・・・・・・。