05.他称ポエマーの詩書き入門(後編)
「いいんです、よね。思いついたことをそのまま書いたら」
眉が下がったまま、鳥羽さんは笑う。まだ少し不安そうに見えた。あれよりも素朴で具象寄りの詩集にしてもよかったかもしれない。
「そうそう。難しく考えなくていいし、いいことを言わなきゃと思わなくていい。俺の家で取ってる新聞に『こどもの詩』ってコーナーがあるんだけど」
「あっ!わたしの家も同じ新聞取ってます!たまに見ますよ、あれ。面白いのも、そんな発想あるんだと思うのもあって好きです」
「いいよねー。まずはあれを思い浮かべながらやるといいかもしれない。表現とか言葉のリズムとかを考えるのは慣れてからで十分だよ」
「なるほどです!おかげでできそうな気が少ししてきました。がんばるぞ」
脇をきゅっと締めてやる気な鳥羽さん。
どこの新聞取ってるかで親に感謝するときがきた。マジか。
さっそく詩を書くフェーズに突入したいところだが――その前にひとつ、段階がある。
「なら、テーマ決めてみよう。なにをどんな視点から書くか……というわけで」
クリアファイルからコピー用紙を1枚取り出して、真ん中に大きな丸を書く。
「もしかして……あの、なんでしたっけ。えーっと、あれです。連想したものを線でたくさん繋げるんですよね。名前わからないですけど……」
「うん、たぶん合ってる。グループ学習でたまにやるあれね。マインドマップっていうけど、名前は別に覚えなくていいんじゃないかな。やり方わかってれば」
「やり方あるんですか?」
「あるらしいんだよ。発案者が定めた『これらを守らないものはマインドマップと呼べない』12箇条が。かっちり守れなくてもいいとは思うけど」
シャープペンを手にして、丸からいくつか線を伸ばす。その先に丸を繋げてみる。新しく書いた丸から枝分かれして、また線を伸ばす。丸どうしにいくつか矢印を引いて、繋げる。
「近そうだと思うものは配置もできるだけ近づけたり、つながりのあるものには矢印引いて、どう関連するか書いたりするといいかもしれない。あと、特に使えそうなもの、使いたいものは色ペンで囲むとか。俺はそうしてる。とにかく、あとで見てもどんな考え方したかわかればいいよ」
「思いついたものからわーって書きそうなので、整理するときに慌ててしまいそうです……」
鉛筆持ちの形にした右手で、空中をあちこち引っかくようにする。ジェスチャーの大きい人なのかと、新発見があった。
「できたら、でいいよ。とりあえずは連想ゲームして繋げれば。次までに……あ、次どうしようか。夏休み入るまでに1回やれたらいいんだけど」
「そうですね、忘れないうちに。また詳しいことはお話しましょうか」
「うん、よろしく。次までにいくつか書きたいテーマ出して、マインドマップ作ってきてほしい。テーマっていうと重たく聞こえるだろうけど、小さいことでいいから。たまたま目に付いたものとかさ。次回はその中からひとつ、一緒に詩を作れたらベストかな」
「宿題ですね。ちゃんと終わらせてきますから、師匠――あっ……!」
慌てて小さな口を抑える鳥羽さん。めっちゃ頭下げられてる。ここまでされると強く言えないよな……
「師匠は……さすがに、やめてほしい。ほら、他の人もいるし」
始めたときとは違って、この部屋には俺たち以外にも数人いた。たとえば、なにかの資格を勉強していたらしい、横の机のお姉さん。ほほえましいものを見るような、控えめな笑顔を向けてきた。気にしないでと言いたげだ。だが、申し訳ない気持ちになってしまう。鳥羽さんと一緒に軽く礼をした。
「今日はこの辺で終わりかな。なにか聞きたいことある?」
「聞きたいこと、ですかー……」
首を左右にゆっくり傾けながら、真剣に考えてくれている様子だ。顔が動くたびに、セミロングの髪がふわっと揺れている。さらっさらなんだろうな……
「奥永さんは、詩のどんなところが好きですか?」
やがて彼女から出てきた質問は、意外とすぐに答えを返せた。
「やれる幅が広いとこかな。決められた型の中でどう表現するか、って楽しみ方もできるし、完全に自由な表現もできる。なにをテーマにしてもいい。具体的でも、抽象的でもいい。さっきも言ったけど、脈絡がなくたっていい。雰囲気が伝われば、それで」
自分の内心とか、潜在意識だとかをアウトプットできる。物語を作れる。それは、詩じゃなくても可能なことだ。創作ならなんでも。それぞれに、それぞれの良さがある。だが、俺にはきっと、詩が一番向いているんだろう。前にあれこれ試してみて、そう思った。
「あと、ちょうどいい気軽さがあるよねー。完成させるのがしんどくなるほど長くなくて、表現するものの焦点を絞る必要があるほど短くはない……と、俺は思ってる。要するに、思い通りの表現がしやすいってことかな……なんか、ロマンチックじゃなくてごめんよ」
「――ふ、ふふっ。だいじょーぶですよ、そこは。奥永さん、本当に詩がお好きなんですね」
「そんな熱くなってたっけな……」
楽しそうに、ほがらかに笑われて、どんな表情でいればいいか困った。ここが好きだと、現実的な理由を言っただけのはず、なんだが。
――自分の前髪をそっとつまんで梳きながら、くすくす、くすくす。そんな鳥羽さんを見てると、自分の発言の意図なんて気にしなくていいと思えてきた。
こんな素敵な笑顔なら、天使呼びだって納得だ。
「正直に申し上げると、わたしはまだ『詩に興味がある』段階です。奥永さんに教わる中で、やっぱり向いてないな、わたしのやりたいことではなかったな、とか、思うかもしれません。全部これからです。だから、先ほどの質問をしました」
「あれが詩の魅力のすべてではないけど、興味もってくれてありがとう」
誠実な人なんだろうと思う。
まだ入口に立ったばかりで、自分に合うかどうかもわからない。だからこそ、それを深く知ろうとする。判断材料を得る。
「俺も好きになってもらえるようにがんばるよ……詩を。詩を!!」
――あの。俺、今、やらかしたよな?
どうしよどうしよどうしよ。なにがダメかって、発言のやらかし、今日2回目なことだ。考えうる限り最悪な目的語の抜け方だったと思う。許してくれ鳥羽さん……いや、お許しください。
「はっ、はい……詩を。よろしく、お願いいたしますっ……!」
あちこち視線をさまよわせて、俺を見て、また目をそらして。それでも、彼女は絞り出すように答えてくれる。病的の2歩手前くらいに白い肌が、真っ赤だった。
審判するどうこうの状況じゃなさそうだな……完璧に俺が悪い。
「……すみませんでした」
「ほ、ほんとにっ、びっくりしただけなので……気にしないで、くださいね」
と言われても、その様子を見るとな……まだ動揺中の鳥羽さんに対してできるのは、彼女が落ち着くのをじっと待つことだけだった。きっと恐縮されるだろうから、これ以上謝るのもどうかと思うし。
迷惑かけた側が思うことではないかもしれないが……
しばらくして、お互いの目が合うようになって。どちらからともなく始めた荷物整理が終わるころ。
俺の持てる親しみやすいオーラの、全開放を試みた。
「改めて、これからよろしくお願いします。聞きたいことあったら、いつでも連絡してきて大丈夫だから。できる範囲で答えるよ」
「はいっ、よろしくお願いいたします!たくさん教わりたいです。今日は本当にありがとうございました。わたしが興味を持てるように、とっても丁寧に考えてくださったのが伝わってきて……」
少しずつ、少しずつ。言葉の合間にだんだんと、鳥羽さんの口角が上がっていって――がたりと大きな音がした。
全身を大きく使って、椅子ごと距離を詰めてきたのだ。
「それでこそ、ほにゃららです!」
「……ほにゃらら」
師匠呼びを華麗に避けてきた。律儀だ……!
ってか近い。密着ってほどではなくとも、さっきよりは。確実に。そのぶんだけ、五感でとらえやすくなる。
具体的になんの、かはわからないが。花のように甘い、かと言ってむせるほどではない、優しいにおい。そう思うのは、かすかに柑橘系が混じっているような気がするからか。
どこまでが香水類で、どこまでが他の要因――たとえば、彼女自身とか――かはともかくとして。この少女がとても心地よい良い香りを放っていることを、実感せざるを得ない。なんというか、とてもよくない。
これ以上考えるのは失礼だ。支度もしたんだ、お開きにしよう。
「では、またお時間決めましょう――あっ!電車が! すみません、お先に失礼しますね!」
ぱたぱたと小走り……になりかけて、ちゃんと早歩きにとどめて去っていった。
俺は立ち上がってそれを見届け――椅子にへたり込む。
「はぁぁぁぁ…………」
全身から力が抜けていくのを実感する。木目調の長机の、木製でないからこその冷たさが心地いい。肌に染み通っていくみたいだ。
わかったこと。俺は、無理に気を張って1対1で長時間会話すると、疲れる。物理的に。
だいぶ無理をした。距離感をつかみながら、好印象――はなんか違う気もするが、そんな感じ――を与えるように、怖がらせないようにする。俺の顔つきがどう見られやすいかは、充分わかっているつもりだ。
努力はしたが、それがうまく伝わったかは鳥羽さんにしかわからない。意欲的には見えたけど。どうなんだろうな。
今日の教訓は「相手が反応に困る変な発言をするな」と「緊張とかのネガティブな印象を表に出すな」か。あとは……ダメだ、思い出せば思い出すだけ赤ペン入れたいとこが出てくる。つらい。帰ったら脳内反省会開催のお知らせだな……
まあでも、楽しかった。人に自分の好きなものをプレゼンすんの、意外と好きかもしれない。鳥羽さんが真剣に吸収しようとしてくれるからなおさらだ。
もっと詩を知りたいと思ってもらえるように、頑張んないとな。すべては俺の腕にかかっている。