表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

十四代伝説

作者: コオロ

 ビールを初めて呑んだときは「ゲェーッ!なんじゃこりゃ、二度と飲むか!俺はカシスオレンジと添い遂げる!」と固く決意したものだが、カンパイの音には諸行無常の響きあり。最初は固かろうが酒を呑んでいれば緩んでいくのは当たり前で、カシオレじゃ酔えねえビールだ、ビールは水同然だハイボールを、というようにだんだん度数を上げていって間に公共の福祉(ストロング)を挟み今では日本酒で美味いもんはないかと夜を往くようになってしまった。焼酎に手を伸ばす日も近い。


 焼酎はいつかの未来に置いておいて今は日本酒だ。日本酒が欲しいとき、結構な穴場になるのは、祭りの露店。普通に買おうとすると、公共の福祉(ストロング)よりいい値段がして、瓶入りだから持ち運びも億劫でついつい手を引っ込めてしまうが、露店だったら、手にしたコップにちょうどいい一杯分の量を注いでくれる。ふらふら歩きながら喧噪を肴にちびちび飲む、酒飲みにとって理想の飲み方ができるのだ。


 俺はその日も、理想の一杯を求めて縁日にぶらりと顔を出した。そういえば正月だったのでついでに初詣を済ませておいた。1公共の福祉(ストロング)と引き換えにおみくじも引いた。大吉だったので機嫌良く露店を見て回り、酒の匂いを探す。きっといい酒が見つかる予感があった。予感通り、いい酒は見つかった。それは煌びやかな屋台の密集地ではなく、暗がりにポツンと佇む、ビニールシートの露店にあった。


 その露店に近づいたのは、本当に露店なのかと確かめるためでもあった。段ボールの切れ端で作った立て札に「酒 300円」と書かれてはいるが、ビニールシートの上に乗っているのは、男が1人、酒瓶が1本、そして100均で売っている紙コップの束とガラスのコップが1つ。それだけだった。「酒、いるかい」と男に声をかけられたので、ズボンのポケットをまさぐり百円玉を3枚渡す。受け取ると、男はガラスのコップを手にとった。よく見ると、目盛りが刻まれている。それは計量カップだったのだ。


 男は一升瓶から計量カップに酒を注ぐ。何でわざわざそんなことをと思う俺の視線を汲み取ったのか「不正がないようにさ」と笑った。不正って何だよものものしいな。男はきっちり150ml量ると、それを俺に確認させるように見せてから紙コップに移した。かなりアンダーグラウンド感があるんだが、俺が買おうとしているのは本当にただの酒なのだろうか。気になって訊いてみると「ただの酒じゃないさ」と不穏な回答を得たが、既に300円費やしてしまった俺に「やっぱりいいです」と断る選択肢はなかった。酒飲みとはこうして身を持ち崩していくのである。


 口許を紙コップに近づけると、甘い香りが鼻をくすぐった。日本酒についての蘊蓄でよく「フルーティーな香り」と表現されることがあるが、「ああ、きっとこれのことだ」とすぐにピンときた。誰もが言っていることは、やっぱり誰でもそう思うから誰もが言っているのだ。決して、飲んだことがなかったり他人のコメントを引用し(パクッ)たりしているわけではない。そもそも酒を飲んだあとのコメントなんて大雑把になるのが当然なので「フルーティーな香り」に収まるのは当然の結果である。何フルーティーなのか言えるようになれば一人前のような気がする、たぶん。半人前の俺は、なんだろうこれよくわからねえなあと、とりあえずフルーティーな香りを感じて、口に含む。


 俺はすぐに「酒の名は。」と尋ねることになった。


 男は先ほどよりも口角を上げて笑いながら「これは十四代。山形の秘蔵の酒だ」と言った。十四代。硬派なイメージの名前とは裏腹に、甘露な味わい。辛口志向を強めている日本酒界のあれやこれやのしがらみを、それがどうしたとさらりと流す喉越し感。夢中になってコップを空けてしまった俺はすぐさま2杯目を注文したが、男は首を横に振って「この酒を150ml、300円で売るのはほとんど慈善事業だ。1人1杯で勘弁してもらっている。それに、1杯目をするっと飲む奴は、2杯目を手にしたらもう戻れなくなるぜ」と、立ち去るよう俺に促した。それから、俺の十四代をめぐる冒険が始まったのだ。


 来る日も来る日も、俺は十四代を探し続けた。自分の足でも、電子の海を泳いでも。あんなに神がかった酒だというのに、その存在は一握りの者にしか知られていないようだった。その価値にまつわる伝説と共に。曰く、妖怪レベルの酒飲みが跳梁跋扈する医療業界において、都心から最果ての地に転勤が決まっていた男が業界のドンに十四代を献上したところ、その入手ルートを手放すのを惜しいと思ったドンが転勤を取りやめにしたという。曰く、伝統がものを言う旅館業界において、評判を聞きつけた老舗旅館が十四代を仕入れようとしたところ、山形のことはよく知らないので十四代以外いらないと言ったせいで付き合いの長い酒屋の逆鱗に触れてしまい、全国の酒屋から総スカンを食らったという。真偽は不明だが、十四代を知る俺の舌は「さもありなん」と言っている。


 あれは酒ではなかった。何言ってんだお前と言われるのは承知の上だが、酒だけで、食事として完成していた。肴を何か合わせるまでもなく、ただ、ただ、自分を取り巻く環境、感情、時間、そのすべてを喉に流し込んで「甘さ」として全肯定する、自分はまだ未熟なんだから明日も生きていこうと思わせてくれる、そんな生命の水であった。温泉に浸かりながら、雪景色を、舞い散る桜を、萌える新緑を、色づく紅葉を、木枯らしに吹かれる枯れ葉を、眺めながらお猪口で一杯やりたい。頭の中で季節は何度もめぐった。俺は行ったこともない東北の田舎にノスタルジーを感じ、涙した。


 ビニールシートの露店の男に会うことは二度となかった。それでも俺は諦めきれず、時には「十四代はあるか」と口に出して探して回った。向かいのホームに飲みかけの一升瓶がないかとか、路地裏の窓から突然降って来ないかとか、遠出した店にしれっと置いてないかとか、新聞の隅に入荷情報がないかとか。そんな目立つ行動をしていたのが悪かったのだろう。俺は新たなトラブルに見舞われることになった。ある日、いつも通り十四代を探していたら、突然紙袋を被せられたのだ。気を遣ってくれたのか、伊勢丹のやつだった。


 拉致された俺が連れて来られたのは、見たままを言えば、酒蔵だった。透明なビニールのカーテンで仕切られた向こうで、杜氏と思しき人々が作業をしている。しかし、ただの酒蔵でないことも明らかであった。この「場所」自体が、絶えず小刻みに揺れている。トラックの荷台の中であろうと直感した。


 俺が目覚めたことを確認すると、杜氏の1人が俺にコップを持ってきた。気付けの水かと思ったが、どうにもふわりと甘い香りがする。このフルーティーな香りは。はっとした俺が目を向けると、杜氏は何も言わずに頷く。俺は口を近づけ、舐めるように啜り、頭に思い描いていた味と比較して、「何だこれ、何か違う」という感想が無意識のうちに漏れていた。言ってはいけなかったことかもしれない、と思ったのは言ってしまった後だった。恐る恐る杜氏たちの様子を伺うと、彼らは一様にがっくりと肩を落とし、「そうか、やはり十四代にはほど遠いか」と、コップを持ってきた杜氏が代表して言葉にした。


 彼らは、十四代を独自に再現しようとしているゲリラ酒造集団だと名乗った。それは密造酒ではと言うと、すべては山形県が十四代の流通を制限しているせいだ、と論点をずらされた。俺を拉致したのは「再現するにあたって、本物の十四代の味を知っている者が必要」とのことだった。「今や十四代は政治の道具として使われ、権力者しか手にすることができないようになっている。我々はその現状を打開して、望む者が望む通りに十四代を味わえるようになって欲しいのだ」と理念を語るが、馬鹿にしないでほしい、俺は心を見透かすようにして「結局は、自分たちが十四代を飲みたいだけだろう」と言ってやった。杜氏が歪んだ笑みを浮かべたその瞬間、トラックは急ブレーキを踏んだ。


 敵襲だ、とすぐ気づいたのは、目の前にした杜氏が弾かれるようにそう叫んだからだった。トラックの荷台酒造に乗り込んできたのは、花飾りが誂えられた編み笠(「花傘」というらしい)を被った集団だった。「くそっ、ヤマノハ会だ!」と杜氏が叫ぶ。俺が「ヤマノハ会?」とオウム返しすると「正式名称は『山の端を見る会』。表向きは山から昇る朝日や山に沈む夕日を見て楽しむ団体だが、裏では山形の管理者を名乗っている連中だ」と答えがあった。「密造酒が流通してはブランドに傷が付くと、こうして取り締まりに来るのさ!」それは当然ではないかと思ったが、俺もゲリラ酒造の一味だと当然誤解されそうなこの状況は好ましくなかった。


 どう切り抜けたものか、と俺はすっかり困っていたが、そんな事情は与り知らないヤマノハ会は「構え!」の掛け声と共に片膝を立てた姿勢で、祈るようなポーズをとる。それが神頼みなどではないと、次の瞬間にはすぐわかった。連中は、即席のレールガンを作っていたのだ。口からさくらんぼの種を飛ばすための。さくらんぼの種は放物線を描き、酒樽の中に落ちた。「しまった!酒の中に雑菌が!」酒造では、朝食に納豆を食べた者は異端者として吊るし上げられた上に出入り禁止を食らうという。さくらんぼの種とばし攻撃がどれほど効果的なのか、杜氏たちの阿鼻叫喚の様を見れば素人の俺にも理解は難しくなかった。


 攻防の最中、杜氏が俺に後は頼むなどと言い出した。冗談じゃない、密造酒に手を染めるなんて俺は御免だ。「だが、あんたには十四代を知る舌がある」抵抗する俺に、杜氏は言った。「この資料には、俺たちがこれまで積み上げてきた、十四代を造ろうとした試行錯誤のデータがある。その2つがあれば、必ず…!」そう言い残して、奴はさくらんぼの種の集中砲火に晒された。壮絶な最期であった。その姿に心を打たれたのか、あるいは単に怖くなったのか、もしかしたら両方かもしれないが、とにかく俺はその場から逃げた。このゲリラ酒造はもう終わりだ。では、これからどうするか。俺の出した答えは――。


 俺の出した答えは、新たなゲリラ酒造を組織することだった。俺に後を託した杜氏の言う通り、俺には十四代を知る舌がある。だが、俺が造るのは、十四代の模造品などではない。十四代を超える、新たな酒、十五代。より上を行く酒ができれば、山形県が十四代を秘匿している意味はなくなる。量産などできなくてもいい、コスト度外視で、ただひたすら、十四代を超える酒だけを求めるのだ。たとえ、どれほどの季節の移り変わりに取り残されることになったとしても。


 そうして追い求めるうちに、俺は、生涯でたった一度、鼻先をくすぐっただけの十四代の香りが、ありありと思い出せるようになっていった。「これは違う」と思ったものを何度も通り過ぎたせいか、手に入らぬものを恋焦がれる気持ちは強くなっていき、いつしか、「フルーティーな香り」に、具体的な果物の名前をつけられる気がするようになっていた。そうだ、あれはきっと、桃の――「敵襲だ!」またも乱入するヤマノハ会。俺は、かつて夢を託して死んでいった杜氏がそうしたように、酒樽を守るために立ち塞がる。無論、ヤマノハ会はそんなことには怯まない。その身をさくらんぼの種に撃ち抜かれ、俺は一生を終えた。


 終えた、と思ったところで、俺は目を覚ました。目を覚ました、と思ったのは、詳しくは思い出せないが、今まで夢を見ていたような気がするからだ。現実の目の前には、ビニールシートを広げた露店があり、周囲からは「あけまして」だの「おめでとう」だの、新年を祝う言葉が聞き取れる。そうか、そういえば正月か。何だか、それよりもずっと先の未来を生きたような気がする。ボーっとしていると、ビニールシートの男に「酒、いるかい」と声をかけられたので、ズボンのポケットをまさぐる。百円玉が3枚あったと思うのだが、気のせいだっただろうか。俺が「あれ?あれ?」とわざとらしく踊ってみせるのを、男は口の端が裂けるほどの勢いで、嗤って見つめている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ