後編
*
「奈津―っ」
悲鳴のような声に我に返る。
廊下の向うに芳春が見えた。大丈夫かっ、と声を張りあげていた。
眉がゆがむ。力が抜ける。
そうだ。ズルいのは、先輩だけじゃない。わたしもだ。
芳春がどれだけわたしを思ってくれているか。拳を握る。怪我をした人差し指がピリッと痛む。だけど、告白されてもいないのに、断るなんて変でしょう?
顔をあげる。
割れた窓ガラスを避けて芳春が近づいてくる。
告白──いる?
芳春の気持ちはこんなにわかる。でも。目を閉じる。ごめんなさい。芳春の気持ちには応えられない。なら? 告白されていないからって、このままでいるのって、それって芳春にすごく悪くて。
ごん、とヘルメットを叩かれた。
冬海先輩だ。
冬海先輩は駆けよった芳春の肩も強く叩く。
「まだ余震があるからな。気をつけろ。先に教授が指定していたとこに避難してるわ」
そういいつつ背中を向けた。
あ。咄嗟に先輩へ手をのばしかけたとき、立っていられないくらいの余震が起きた。おっと、と芳春がわたしを支える。背中いっぱいにあたる芳春の腕。その力強さに地震の最中なのに圧倒される。
「芳春、わたし」
「ん?」
不安げな芳春の瞳がわたしをのぞき込む。
泥だらけで汗まみれの芳春の顔。地震が起きてからまだ十分たらず。それなのに。どれだけ必死で私を捜してくれていたのか。胸が苦しくなる。思わず芳春に触れたくなる。
天井から落ちた壁土がパラパラとヘルメットに当たる。
──駄目だ。
こんな中途半端なことをしていたら駄目。
いくら芳春が思ってくれても、それに応えられないならこれ以上期待させちゃ芳春に失礼すぎて。
だけど。
芳春が大きくうなだれた。盛大にためいきをついている。
それから──大声で笑い出した。
「お前らって本当にそっくり」
「お前ら?」
「冬海先輩とお前。おひとよしすぎ」
芳春が真顔になる。
「一度しかいわねえ。よく聞けよ」
「──うん」
「あんな女に負けるな。さっさと冬海先輩をモノにしろ。心配でお前をあきらめられねえだろ」
身体が震えた。鼻先が熱くなる。
いけっ、と芳春が強く背中を押す。
前のめりになって転びそうになって、それで。
廊下に倒してあった空ボンベが左右に揺れていた。渡り廊下は割れたガラスが降りそそいでいる。余震は止まない。常に揺れている。足元が揺れているのか、自分の身体が揺れているのか。
芳春の笑顔がちらついた。一緒に頭を抱えた試験勉強。地質学演習でそろって等高線を間違えて引いて。巡検で崖をのぼるとき手を貸してくれて。学会発表ではやたらとイイ声を張りあげて。
いつも、隣にあった顔。学友、芳春の顔。
──わたしは足を踏み出す。
走る。全速力。
振り返らない。食いしばった唇に涙がしみこみ。
その先には。
わたしはヘルメットをむしり取る。
(了)