沈静の魔女スミレと白の道
お久しぶりすぎて……この世界観は閉じてませんよ!
「水晶の魔女」第14弾! ついに登場、最後の「カルテット」メンバー、福本澄麗。
福本澄麗は、カトリックで、魔女だ。
世が世なら火刑台一直線、異端審問もしくは魔女狩り待ったなしだろう。
魔女という語には、語弊がありすぎる、と思う。
自分はちょっとばかり、人並みより感性が鋭くて、そして「声」を聴きとれるだけだ。
この力を、人を助けることに使うことを「悪」と称されたくはない。
なので「魔女」という名乗りに、少しばかり抵抗がある。
ただ、諸事情あって入門するしかなかった「水晶の魔女」一門では、「魔女」という語を誇りをもって使っている。
己が諸先生方に世話になったことは事実なので、先生方への敬意を込めて、一門の集会では「魔女」を名乗る。すなわち「沈静の魔女」である。
長崎は五島列島、江戸期の弾圧を潜り抜けた潜伏キリシタンの血をひくスミレは、催眠術に高い適性を示した。ご先祖様たちはこの能力を発現させることで、役人たちの取り締まりから身を守ってきたらしい。
己が器用ではないと自覚するので、スミレは早いうちから一点特化型になった。
相手の「リズム」を読む。そして「共鳴」し、「共振」し、「共感」して、最後にはこちらの指示を聞くようにコントロールし、落ち着くように誘導する。
使い方によっては、大惨事を引き起こすこともできる能力だ。デマを流し、それを信じ込ませ、集団ヒステリーを誘発すれば、暴動から戦闘まで……
なるほど、そういう能力の使い方をすれば「魔女」だろう。カトリック的にも。
己の信仰と魔道の均衡は、常に理性と良心とによって保たれている。
そして、そのつり合いが揺らがないために、自分は「四人組」とよばれながらも、他の三人とは少し、距離をおいて行動するのだ。
あの三人は「魔女」という語に、何の含みも感じない。無垢だ。
千年単位の歴史の中で、マイナスイメージを醸成してしまっている自分とは、違う。
どっちが良いとか悪いとかは、考えない。そういう発想が、何か違うと思うので。
ただ、言語の含意が強いチカラを持ってしまう一門の、しかも文系魔女に師事した身としては、幼い頃からあまり良い意味でなく聞いてきた「魔女」という語に対して、脊髄反射で身構えてしまう。
他の語があればいいのだけれど、やはり百年ほどとはいえ、誇りをもって深められてきたのが「水晶の魔女」の道なので、そう易々と代替表現も出てこない。
だから、沈黙して、名乗らない。
この水晶のようにもやもやと、黒く尖った内包物を、薄煙の中に紛れ込ませて、時折ぎらりと光るのだ。
スミレの適合水晶は「煙水晶」。
それも、よくある灰色のではない。
銅藍入煙水晶。
内包物が、光の当たる角度によって、ぎらぎらとピンクに輝く。ネオンのようにも一瞬は見えるけれども、そう形容するには、少し儚いように思える。
最近人気らしい名前で言えば、ピンクファイア・クォーツ。
銅藍は、銅の硫化鉱物の一種で、黄鉄鉱(FeS2)や、黄銅鉱(CuFeS2)等の硫化鉱物とともに産出する。命名は、1832年にイタリアのベスビオ火山でこの鉱物を発見した、Niccolo Covelliの名に因む。亜金属光沢で、色は紫色から深赤色、濃青色から黒色。しばしば美しい虹色の反射を示すが、空気中では時間が経つにつれ、銅成分が酸化して黒く変色する。
「見つからないままの方が、あなたは光っていたかもしれないわね」
そんなことを言ったのは、誰が見ても間違いなく「魔女」の危険人物だった。
あの「工芸の魔女」たちの村の外れ、隔離場所のような一軒家の居間。
膝の上にのせた、ふさふさした毛並みの猫を撫でながら。
今ではすっかり巨大になってしまった彼だけれど、あの頃はまだ仔猫だった。
そんなに時間が経ってしまったのだな、と、時々、思う。
随分、遠くに来てしまった。
けれどもっと、遠くに行かなければならないのだろう。
すでに事は始まっていて、そして、何一つ終わってはいないのだから。
水晶に包まれてしまったら、銅藍の閃光は曇らない。
自分は「水晶の魔女」一門に、守られてもいる存在、なのだ。
多分、本当は「四人組」じゃなくて「三人組」になるはずだった。本当のところは、仲間先生は自分には声をかけるつもりではなかった。そのはずだ。
ただ、あの受験の年、自分はあまりにも、周辺の声に敏感になりすぎていた。
多分「野生の魔女」まで、あと一歩というぐらいにまで。
だからアヤ先生は、力の使い方を教えようと、自分にも声をかけてくれたのだ。
今、自分が話しかけようとしているように。
「あなたは『誰』?」
「私はスミレ……『歴史の魔女』マヤの弟子である、『詩歌の魔女』マリの弟子、『修辞の魔女』アヤの弟子の『沈静の魔女』……あなたは?」
「僕はアキラ……『歴史の魔女』マヤの弟子である、『工匠の魔女』タクミの弟子。そのまた弟子である『成形の魔女』ソウタの弟子である、『焼成の魔女』ケイジの弟子」
つまり、第五世代。
たった二人から興された「水晶の魔女」が、ここまで続いた。
きっと必要とする誰かがいる限り、この一門の魔女の道は続くのだろう。
この世には「聞こえてしまう」人間がいる。
自分のように、彼のように、望まない「声」を聞いてしまう人間が。
それは苦しいことだけれども、うまく付き合っていかなければならないものだ。
正しい付き合い方を学ばなければ、やがて精神を蝕まれてしまう。
狂気と正気に片方ずつ足をつけながら、芸術の才を花開かせる人もあるけれども、そんな例は稀だし、それはあまり幸せではないことのように、自分は思う。
だから、悲鳴が聞こえたら、助けを求める声が響いてきたら、応える。
この子はまだ、道の端に立ったばかり。
十本の指の爪に、落ちきらない粘土が詰まって乾いている。
「粘土を触ってたの?」
「……はい」
「焼いてみると、もっと面白いわよ。釉薬とかね」
「……何を、つくってる、とか……聞かないん、ですね」
「だって『私たち』にとっては、まず『つくる』ことより『触れる』ことの方が、大切だもの」
アキラは、はっとしたように目を見開いた。
きっと、ずっと「何を成すか」を、問われてきたのだろう。
それはやがて訪れるべき問いなのだろうけれど、時期尚早に過ぎる問いだ。
まだ何にも触れていない者には、答えるすべがないのだから。
「あなたのお師匠さんたちは、どこかしら?」
「今、は……長老は『集会所』で、おじいちゃんと、ケイジおじさ……ケイジ先生は、工房」
「ああ、ソウタ先生のお孫さんなのね、アキラくんは」
「会ったこと、なかった、です」
「あら、そうなの」
気まずそうに、祖父とのことを語った彼の言葉を、何ということもなく受け流す。
彼はそのことを、気にされたいと思っていない。
没交渉であったはずの祖父のもとに、どうして自分が来ることになったのか。
そういうことを、聞かれたいとは、思っていない。今は。
そう思っていることが、スミレには「聞こえる」ので、だから、踏み込まない。
「粘土は、いうこと、きかないでしょう?」
「……はい」
「私もろくろをやったんだけど、うまく中心を取れないと、すぐ歪んじゃう。こう、スーッと何でもないみたいに成形していくから、簡単だと思ってたのに、やってみると、難しい……」
ろくろを回して、粘土の形を整えていく動きをする。完全な左右対称。
中心点に置いた親指には、思っていた以上に力をかける必要があったし、形を作るのは驚くほど難しかった。薄くなりすぎてはいけないが、分厚いと重すぎて使い物にならない。乾燥させた後に削ることもあるけれど、形状によってはそれもできない。
人間の体は、左右対称を理想にはしているけれど、実際には心臓が左寄りだったり、微妙にずれる。利き手だって偏っている人間の方が多い。だから、左右対称に動くというのは、自分の体の歪みをしっかり認識して、そのずれた分を修正することでもある。
言うは易く行うは難し。
わずかでもずれると、形は崩れ始め、気づいたときにはもう取り返しがつかない。そして、一から空気を抜いて、また粘土を練り直す作業に戻るのだ。
師匠たちは、まるで呼吸でもするように自然体に、粘土を形に仕上げていく。
けれど、今では自分でも当たり前のようにこなせているけれど、そもとも、呼吸をするということだって、結構なすごいことなんじゃないか、と思う。生まれた赤ちゃんが泣くのは、呼吸をするためだ。今までへその緒を通じて届けられてきた酸素が、もう届かなくなって、それでも生きるために、泣く。そして呼吸器を起動させる。
今は何気なくできるようになっているだけで、師匠たちのろくろ成形だって、本来はそういうものではないのだろうか、と、しばらくやってみて、ふと感じたのだ。
エンジンを温めて慣らすように、指先を使う。そうして「作る」ことを自然体にする。
粘土と向き合いながら、自分と向き合って、そして「世界」と向き合う。
それが「工芸の魔女」たちの道だ。
水晶の魔女の一門で師匠になる者は、誰だって、工芸を何部門か修めなければならない。アヤ先生も他の先生たちも、魔術師出身のリョウ先生以外は、全員、親方たちから認められる程度の品を作る腕はある。陶芸だったり彫金だったり、人によって差はあるけれども。
頭の中の理屈なんて、指先一つの動きの前に、結局かなわないことがいっぱいある。どれだけ口で綺麗なことを言ったって、その人の行いが本質を示すように。
「中心点、って、朧気には分かるのよね。でも朧気でしかなくて、はっきり『ここだ』って自信をもって突くのは、なかなかできない……でも、迷いをもてば、必ず形は歪んで崩れる。目で見て、しっかり体を動かして、自分を信じて、一点突破……理屈は分かるけど、うまくいかない」
そうです、と言うかのように、アキラは頷いた。
十本の指の爪、詰まって乾いた粘土が、彼の努力を示している。
ろくろの中心めがけて粘土を据え、中心点を的確に突いて、形を作りはじめる。
言ってしまえばたったそれだけの作業なのに、それがままならない。
まして、望んだとおりの形に、広げたり丸めたりなんて、まだまだ進めない。
「もどかしいわよね。作ってみたい形があるのに、頭の中では完璧に動けているはずなのに、実際には体は全然思う通りに動いてないし、形は理想とまるで違っていく」
そうです、と、アキラはまた頷いた。今度は繰り返して、二回。
本当は「もどかしい」という言葉でも足りないぐらい、歯がゆいのだろう。
羊歯の葉に降るスコールの滴が跳びはねるように、形になりきらない溢れるエネルギーを、スミレは彼から感じ取る。わき上がるインスピレーションに、技術が、表現が、まったく追いつかない。それを形に止めたいのに、己の伝えきれない心を託したいのに、できない。
その感覚は、少し、わかる。
言いたいことが言葉にならない。形にすることもままならない。
詩も下手だし、音楽の才能なんて欠片もなくて、綴るとか歌うとか、そういう表現ができる人が、どんなに羨ましいと思ったか。心のままに歌う前に、歌うことすらできないのだ。
果てのないような修練は、まるで極夜に夜明けを待つようなむなしさだった。昨日と変わり映えのしない今日が、繰り返し繰り返し続き続けて、まったく上達した気がしない。ブレイクスルーなんて、どこにもなかった。
どこかで、ドラマティックな変身を夢見ていたのだろうな、と、今は思う。若気の至りだ。恥ずかしい限りだ。
地道に積み上げられた努力よりも確実な変化は、この世にはない。
いや、天賦の才がある選ばれた者には、何か特別なことがあるのかもしれないけれど。
でも自分のような、ありふれたただ人には、そんなドラマは待ち受けてなんかいなかったし、きっと今後もそんな展開にはならない。絶対に。
ままならない毎日を、ままならないという現実と向き合いながら、過ごした。
高校の最後の一年間で、自分は変わったと思う。でも、それはある日突然変わったのではなくて、毎日、向き合うことを続け続けたからだ。
きっと赤ん坊が疲れ果てて泣き止んだ時、あれほど困難だった呼吸が、まるで自然体にこなせるようになっていたように、気づけば「ままならない」という現実との付き合い方が、身についていた。
いつからできるようになっていたのか、まったく分からない。けれど高校の最初の頃には、とても難しかった人との距離の取り方、空気の掴み方、そういったものが、卒業する頃にはなんとなく、分かるようになった。疲れている時の耳の塞ぎ方。見えすぎる時には、目を閉じてもいいということ。
自分は自分の体の中でしか生きられないから、この感覚が普通だと思う。それがずれていて、結構珍しいことなんだと理解するまでに、十年以上かかった。
自分は聞こえすぎているのだということ。見えすぎているのだということ。
この皮一枚で区切られたような内側と外側に、どうしようもない差異があるということ。
一門の言う「野生の魔女」は、そこから自力で表現を見出した者だ。
自分はその一歩手前の状態だったけれど、放っておかれたならば、その一歩を踏み越えることができただろうか。自問してみても、あまりいい未来は思い浮かばない。
アヤ先生がいなかったなら、自分は「声」に負けていただろう。
「すべては積み重ねよ、って、言うだけなら、簡単なんだけど」
「やるしかないんですよね」
「まぁ、今日は遊んでも良いってことなんでしょ」
「えっ?!」
だって、いくら顔合わせだからと言って、新顔も新顔のアキラを、一人でお使いに来させるのだ。届け物なんて誰にでもできるけれど、それがアキラでなければならない理由なんて、あるとすれば、きっとそれしかない。
だって波長が似ている。昔の自分に。
言いたいことが言えなくて、伝えたいことが伝えられなくて、誤解と誤解が積み重なって、まるで実態と違う「フクモトスミレ」を捏造されて、でも動けないでいた頃の自分に。
アキラは自分の考えていることをうまく言葉にまとめられないし、社交性だって高くない。慎重すぎるくらいに慎重で、いっそ臆病なほどに誠実なのだろう。
まるでそう形容すると、自分も誠実だと言っているようだけれど、外れてはいないだろう。少なくとも、我欲のために催眠を用いることはしないので。
己を特に律しているというわけではなく、できないのだ、なんとなく。やってはいけない、と感じると、本当に、できない。そして、そういうものだ、と認識すると、それが自然体になる。
多分それは、自分の信仰と結びついている部分もあるのだろうな、と思う。
たとえば聖金曜日の断食、今では特に熱心な信者ぐらいしかしないだろうものも、そういうものらしい、と聞いてからは、しないと落ち着かなくなった。多分、自分は生きていくうえで、平均の人より多めにマイルールを設定する派で、そしてそれを守ることにこだわる派なのだろう。
そういう性質だから、同じく「四人組」とくくられてはいても、ルールを守ることにはさして頓着しないアインとは、あまり気の合う方とは言えなかった。アインはそれが最も効率的だと判断したならば、禁じられた危険な手段にも平気で打って出る。
その違いに、かつてはイライラしたりもした。
今は、つまり「そういうものなのだ」と納得している。自力でどうにもならないのは、この世もそうだし、そして他人もそうなのだ。自力でどうにかならないことを、自力でどうにかしようと思いあがるから、イライラしてしまう。
そういうことなのだ、と理解してからは、だいぶ心が落ち着いた。
きっとアキラは、まだそこが、のみ込みきれていない。
頑張り屋さんなのだろうな、と、手を見ながら思う。そして、だから「ぶち当たる」のが早かったのだろうな、とも。
水晶の魔女一門は、原則として高卒からしか入門を認めていない。
アヤ先生のやり口はギリギリアウトだけれど、彼女は「七大魔女」の一角という無敵の理由で見逃されている。けれど「工芸の魔女」は、七大の括りには入らない。
アキラは、現在進行形で通信制高校に通っている、例外だ。例外でも認めざるを得ないほどに、多分、彼の受信感度は上がりすぎていたのだろう。彼が「成形の魔女」ソウタの孫である、ということも、関係なくはないだろうけれど、だからといって身内なら基準が甘くなるかというと、別にそういうわけでもないはずなのだ。
善悪判断の未成熟な子どもは、危険だ、というのが、今は一門の共通理解である。マリの実子アンリが黒の道に走った事件の影響は、いまだ色濃い。
そういう懸念をこえるほど、アキラの状況は切羽詰まっていたのだろう。そして多分、今日「見た」感じでは、自分を不必要なほど追い込む性質だ。生真面目が過ぎる、とでもいうのだろうか。
「村の中の散策、した?」
「……あまり」
「じゃ、今日は私とお散歩しましょ。そういうことよ、きっと」
「そういうこと?」
「ええ、そのうち『わかる』ようになるのよ、何となく、これは『そういうこと』だって」
新調した煙水晶のペンダントを着けて、靴紐をしめ直す。
銅藍入水晶が適合水晶だと、そう簡単に装備の更新ができない。こういう変わり水晶は、絶対数がそう多くない。例外もあるけれど。
元来、宝石としての評価は低く、コレクター向けの流通だったのが、このところパワーストーンというので需要が増えている。だが需要が増えても、供給がそう易々と増えるわけでもない。するとどうなるかと言えば、もちろん、経済学のシンプルな大原則である。
そう、値上がり一択。
正直なことを言うのならば、自分たちの「適合水晶」というものが、いかなる作用で自分たちが「世界」と交渉する能力を支えるのか、実はよく分からない。アヤ先生は、酸素がどうのケイ素がどうの、と難しい説明をしてくれたが、理解できているとは思えない。
だが、そんな自分にも解ることはある。
少なくとも、石そのものに、何かのパワーがあるわけではない。
たとえば紫水晶や黄水晶が適合水晶の「水晶の魔女」は、生体活性などに適性を示すことが多いけれども、そのもとは色因の「鉄」からの連想ゲームにある。水晶がチカラを持つのではなく、水晶を持った魔女の「思考」こそがチカラを生む。
石自体にチカラはない。
まったくもってダジャレのようだけれども、石には「意思」が存在しない。ましてや「意志」などありよううもない。
少なくとも一門の定義する「チカラ」は、いつでも起点に「ココロ」がある。ココロを持つ者が何かを意図して「行動」すること。それが「水晶の魔女」の魔法だ。魔法と呼ぶにはあまりにシンプルで、まったく当然すぎること。ただ、その「行動の結果」が、大きくなるだけだ。
たとえば、雨を願って祈りを歌う。声が導く空気の震えが、新しい反応を引き起こす。めぐりめぐって、それが本当の雨になる。それが「魔法」だ。
もっとも納得した説明が「バタフライ・エフェクト」だった。蝶の羽ばたきが竜巻になる。
原子が織りなす予測不能の無限のパターンの中から、願う結果を手繰り寄せる。理想のパターンにつなげていくために、その瞬間瞬間に、自分の最大限の受信能力を駆使し、最適の行動を心がける。
アヤ先生は、シェフが美味しいオムレツを焼くのと何も変わらない、と言っていた。いつ生まれた卵で、今はどのぐらいの温度になっていて、使うフライパンはどんなもので……という状況を正確に分析することで、シェフは最高に美味しいオムレツを仕上げることができる。
今の自分自身を分析し、自分を取り巻く環境を分析し、生じる可能性を計算し、その結果を希望する方向へと偏らせるためには何が必要か、を導く。そして、行動する。それが「水晶の魔女」だ。
本当に、基本は何も、不思議なことなどない。
ただちょっと、見通す範囲と耳を澄ます範囲が広くて、予測が遠くまでのびるだけ。
悪魔と契約なんかしなくても、真摯に世界に向き合っていれば、本来ならきっと誰にだって、できるようになる程度のこと。
ただ、耳を澄まし続けて生きるには、世界には雑音が多すぎる。
「そういえば、聞いてなかったわね」
「はい?」
「アキラくんの『適合水晶』って、何かしら?」
私は銅藍入水晶だけれど、と付け足せば、アキラは少し困ったように、ぎこちなく微笑んで、まだ見つかっていません、と言った。
ここは「工芸の魔女」の村で、適合水晶探しを手助けするための、大シリカ・グループに特化した鉱物の博物館だってある。紫水晶に煙水晶、紅水晶に黄水晶、緑水晶に黒水晶に、針入水晶に
蛋白石に碧玉、紅玉髄に……まさに、選り取り見取りだ。
それでも見つからないなんて、いったいどんなレアケースなのだろう。
そう思っていると、実は、とアキラは言った。
僕は、まだ「博物館」に行ったことが、ないんです。と。
ああなるほど、とスミレは理解した。つまり、だから自分と一緒なのだ。今日、彼は自分のことを全く知らない「魔女」と一緒に、ほんとうに共鳴する石を探しに行く。
そしてきっと今日、アキラはあの「廃墟」に、魂を入れる。
一門の祖「歴史の魔女」マヤの水晶に。
この村は相変わらずだ。相変わらず、村だけの時間が流れている。「魔導連盟」の厳正中立地帯。ここは逃れる者たちのためのシェルターだ。
さっきすれ違った男は、見覚えがある。そう、曹伯祐だ。道教系呪術結社の大幹部、曹文宣の四男。一応はフリーランスの呪術師だが、父親と揉めては、しょっちゅうここに逃げ込んでくる。
あんまり村に物騒な気配を持ち込んで欲しくはないのだが、伯祐にも事情があるのだろう。このところ、曹の結社はきな臭い動きを増しているらしい。
適合水晶を探す気もない者に、あんまり入られるのもなぁ、と感じる程度には、自分も一門には馴染んでいる。てんでバラバラの分野に励む「工芸の魔女」たちを、一つに繋いでいるのは、二酸化ケイ素という鉱物なのだ。その繋がりぐらいは尊重してもらいたい。
学会なども行われるので、この村には宿もある。知り合いの魔女の家に泊まる者も少なくはないが、年に何度かの集会で使われるのが「万象館」である。テラコッタのタイルで舗装された道を進んでいけば、それなりに重厚感のある洋館が見えた。
あの宿の中央ホール、喫茶室のすぐそばに、マヤの水晶は置かれている。
長辺が1メートル以上もある、巨大な水晶だ。
万象館のほど近く、けれども少し奥まったところに、博物館はある。
ここは表向きは「職人たちの共同体」だ。そんなに堂々と目につくところにあったら、なんだって水晶の博物館なんかが、と思われてしまう。だから、事情を知っている「魔導連盟」に所属する者が、気が向いたらすぐに見に行ける。そういう位置だ。
村の人口密度は低く、しかも今は「集会」まで行われている時間だ。洋館が見えてからは、もうすれ違う人もなかった。わざとうねらせた道を辿ると、二階建ての建物が視界に入る。
博物館という仰々しい通称のわりに、小ぢんまりした印象である。アキラはスミレの予想通りに、少し意外だという顔をしていた。
大英博物館のような、巨大なものだけが博物館ではないのだ。
この二階建ての建物の中には、二酸化ケイ素に関する情報が集まっている。そして、手に入る限りの実物展示もされている。
大シリカ・グループの宝石は、あまり高価にはならない傾向がある。だが、だからといって安いとは限らないし、大きなものを展示できるとも限らない。たとえば紅水晶などは、単結晶で大きなものが、まず出てこない。だから、小さな展示物も少なくない。
入って最初、ホールの右手には、巨大な水晶の結晶がある。その反対側、ホールの左手にある紫水晶の晶洞も、1メートルぐらいの大きさがあって、何も知らない人間は、ここでちょっと期待値を上げてしまうだろう。
だが展示室に入ると、小さな標本に、びっしりと文字の詰まった解説だ。
「……なんか、解説のために、標本がある、みたい、ですね」
「事実、その通りよ。ここは自分が最も共鳴する石を探す場所であり、自分の適性を広げるための知識を手に入れるための場所……『博物館』というよりは『学習館』と言った方が適切なくらいね」
第一展示室は結晶質の鉱物だ。無色透明水晶と、さまざまの色変わり水晶。紫水晶に黄水晶、黒水晶に紅水晶、煙水晶に緑水晶など。
高温石英である鱗珪石や方珪石、スティショバイトなどの、特殊な構造の二酸化ケイ素鉱物も、この部屋だ。
第二展示室には、水入り水晶やオイル入り水晶、黄鉄鉱や蛍石、褐鉄鉱など、内包物タイプの水晶が展示されている。ギラライトにアホーアイト、レピドクロサイト……
「これが、私の『適合水晶』よ……ピンクファイア・クォーツ。もっとも、私は無色透明の水晶じゃなくて、煙水晶の中に、銅藍が入っているもの、なんだけどね」
「珍しいんですか?」
「私は、自分以外には、知らないわね……アキラくん、この部屋にもピンとくるのは、ない?」
「多分ないと、思います」
第三展示室は、隠微晶質の部屋。紅玉髄に緑玉髄、黒玉髄ほか色とりどりの玉髄。碧玉や、さまざまの瑪瑙。石綿に石英質が浸透した、虎目石なども展示されている。宝石ではないが、燧石や角岩なども、二酸化ケイ素が主体である。
いっとう奥にきらきら虹色に輝いているのは、蛋白石だ。一段上がった区画に、産地や色合いの異なるオパールが、細かな解説とともに並べられている。虹の出ないコモン・オパール。ブルーにイエロー。オパール化した化石は、あのエリカの「石」でもある。
だが、アキラには、やはりピンとくるものがないらしい。
次の展示室は、その他のありとあらゆる「二酸化ケイ素」を詰め込んだような部屋だ。近々、新たな展示室を設けて整理し直すという話だが、まだ進んでいないらしい。
落雷によって珪砂が融けて固まってできる閃電石に、隕石の衝突によってできたとされるモルダバイト、リビアン・グラス……
弾かれたように、アキラが一つの展示ケースに向かって走った。引き絞られた弓から、放たれた矢のような勢いだった。
これ、この石が、僕を呼んでいます!
そう言って、彼が示した展示ケースの中には、真っ黒な石がひかっていた。
「黒曜石……」
「火山の石なんですね! そっか……僕は『火』と『土』だったんだ」
だから自分は陶芸の道に導かれたのだと、アキラは言った。
それは危険なほどに短絡的な発想だった。
けれどもきっと、間違いなく真実なのだろう、とスミレは思った。
それが「水晶の魔女」だからだ。
天才的な「水晶の魔女」は、一足飛びに正解に辿り着く。エリカのように。
アキラは特例で、年少での入門を認められた。その受信能力はおそらく、いや、間違いなく、自分などよりもずっと高い。だからこそ、危険も大きい。
黒はいつだって、すぐ隣に口を開けているのだ。
「……『万象館』に行きましょうか。お祝いに、お茶しましょ」
「いいんですか?」
「ええ……」
あの「廃墟水晶」に、彼の「魂」を入れる。
あれには「歴史の魔女」が、最後に残した「祈り」が刻まれている。「黒」の侵攻を、その被害を最小限に抑えるための、命がけの大規模術式。
世界の調和を願い、人々と世界との和平を願う。それが「白の魔女」である。
あの「廃墟水晶」は、悪用も可能な「間」の術だ。
時として、ただの「白」ではいられないということを、アンリは一門に刻み込んだ。
だからこそ、己を律しなければならない。個人の欲を固く戒め、誰よりも調和を強く願う。それこそが「白」の本分だ。スミレはそう理解している。そして、そうあるべきだと、何よりも己の信仰から確信している。
硝子の均衡の上に、自分たち「水晶の魔女」は、「白」を維持している。
自分がこの一門にある限り、きっと、誰一人として「黒」には、堕とさない。