二兎物語
理想は何処に。はてまた、節操という言葉は、すでに死語なのか。
昔々、慈民国と眠心国という二つのウサギの国があったとさ。
ある時、慈民国の政に嫌気がさした若いウサギが、ぴょんと国を飛び出したんだと。
若いウサギは、先にぴょんと飛び出していた姐御ウサギを後ろ盾に、新しい国を造ろうと思ったんだな。
さて、一方の眠心国にも志のあるウサギがおった。これも遅れてはならじと、同じようにぴょんと飛び出したんだと。
それから二兎は、互いの理想のもとに話し合いながら国造りを始めたが、なかなか話がまとまらない。
この様子を見ていた姐御ウサギ。とうとう業を煮やして言うことにゃ、お互いの考えがまとまらないのなら、私がアウフヘーベンして新しい国を造りましょう。
こうして姐御ウサギが新たに造った国が、鬼謀国。
これを伝え聞いた眠心国の王様。これは大変。わが民がみな流浪の身となってしまう。鬼謀国に丸抱えしてもらおうと考えた。
こうしてみんなで脱兎のごとく鬼謀国へ。
すると、他国のウサギたちも黙っちゃいない。我も我もと鬼謀国へ押し寄せた。
そこで女王は、慈民国に対抗できるような強い国にしようと、よく肥え太った強いウサギたちだけを踏み絵で選別した。
なんとまあ、どれもこれもがぴょんぴょん身軽に飛び乗ったことといったら――。
こうして大きな国ができたのはいいが、所詮は兎合の衆。
「アウフヘーベン」と「排除の論理」という二つの相反する概念を、さらにアウフヘーベンするのは、やっぱり難しかったってわけなんだな。
ウサギたちは互いに噛み付き合ってばかりで、因幡の白兎ではあるまいに、みな尻尾の毛まで抜けてしまって赤裸。
最後にはすっかり疲弊消耗してしまい、鬼謀国改め末路国と相成った次第。
慈民国の王様はこれらの一部始終を御覧になり、つくづく嘆かわしいと思召された。それからは基本的兎権を尊重する善政をなさったんだとさ。
めでたし、めでたし。
※ 「二兎物語」……チャールズ・ディケンズに「二都物語」という作品があります。
※ 「兎合の衆」というのは、正しくは「烏合の衆」