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無駄物語

とある独裁者の奇妙な半生 ~ストラッサー閣下の栄光と逃亡~

作者: 猫車るんるん

 唐突ですが、これから、とある独裁者の話をします。今となっては“元”独裁者ですが。

 1992年当時25歳で、アフリカのシエラレオネ軍の大尉だったバレンタイン・ストラッサーは仲間の若い将校達とともにクーデターを起こしました。

 このクーデターは成功し、ストラッサーは若冠27歳にして、シエラレオネの史上最年少の最高権力者の座につきました。

 しかし、そのわずか5年後シエラレオネでは再びクーデターが起こり、ストラッサーは権力の座から追われ、イギリスへと国外逃亡をします。たった5年で大規模なクーデターが起こるということは、そういう政権だったのでしょう。

 ストラッサーは権力の座にあったときも自分の銀行口座さえ持ってなく、彼のお気に入りの財産といえば、ディスコに行くときに着ていく派手な素材のヴェルサーチのシャツくらいでした。

 ストラッサーが財産を蓄えなかった理由は、彼が純朴だったためか、それとも5年間という短い統治期間では私腹を肥やす暇がなかったためか、もしかしたら将来自分が逃亡資金を必要とする立場に陥る可能性について考えがおよばなかったのか、それとも他に理由があるのかは、わかりません。

 そんなわけで、ほぼ無一文でイギリスに着いたストラッサーは、ウォーリック大学で学究生活に入りますが、その学費が国連奨学金によって(まかな)われていたのは皮肉な話ですね。

 ところが、さらに皮肉な話があって、かつてストラッサーが権力の座にあったとき、彼の命令で投獄の憂き目にあった元大臣の娘がイギリスに留学してくると、ストラッサーを見つけて学友会に訴え、かつての暴君を大学から追放させることに成功しました。

 その後、ストラッサーは知人の家を転々としていましたが、ある時外出中に町中(まちなか)で数人のシエラレオネ人達に襲われました。

 彼らはストラッサー政権下で犠牲になった人々の親族だったのです。

 ストラッサーはこの後、襲われた時に負った傷も癒えぬ内にイギリスから逃げ出し、ギニアへと向かいました。

 何故かはわかりませんが、ギニアならば自分を保護してくれるのではないかと考えたようです。しかし、ギニアはストラッサーを拒絶しました。

 八方ふさがりになったストラッサーがその後どうしたかと言うと、結局シエラレオネに帰って母親と暮らし始めたそうです。

 ストラッサーを取材した人によると、外出時には周囲から嫌がらせを受けるとのことでした。

 ちなみに、ストラッサーは取材は受けてもインタビューを本に掲載することは断ったそうです。

 もしかしたら、更なる迫害を恐れたストラッサーが自分の存在が人々の記憶に甦るのを怖がったのかもしれません。

 でも、もしもストラッサーがもう少し長く政権を維持した後で権力の座から転がり落ちていたとしたら、周囲からの反応も、嫌がらせ程度ではすまなかった可能性がありますね。

今回の話を書くにあたって手元の資料とWikipediaに書かれている内容を照会しましたが、内容にいくつかの齟齬がありました。

特に、バレンタイン・ストラッサーがクーデターを起こした当時、Wikipediaでは階級が大佐となっていたのに対して、手元の資料では大尉となっていました。

25歳の若さにして大佐に昇進するのは不自然だと思い、本文中では大尉としました。

この考察が間違っていた場合には謝罪し、訂正します。

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