悠子さんの場合 6
殆ど初めての「学校」にいささかはしゃいでいたのだろう、悠子は水泳部に入部しようとしたことがある。
一年生のほんの最初の頃だ。
公立の学校なんて悠子さん、通わなくていいわ、と不登校を貫いても文句一つ言わない母だったが、娘の容姿には並々ならぬ拘りがあったのだろう、中学に上がる頃に半ば会員制のフィットネスに通うことを約束させられた。
そこで悠子が好んだのは泳ぐことだった。
最初の数ヶ月トレーナーに付いた後は、毎日2時間をひたすら泳いで帰る。
それが苦痛ではなかったので、私は泳ぐことが好きなのだろう、と悠子は思っていた。
馨ヶ岡高等部の運動部は、全員が同じ施設を使うもののスポーツ特待生と一般の部活生の練習メニューが明確に分けられている。
和気藹々とした一般生部活なら、友人も出来るだろう、と軽い気持ちで部活見学に行ったのだ。
クラスで最初に話しかけてくれた外部入学の娘が、誘ってくれたせいは多分にある。「同級生のお友達」に免疫が無い悠子は、幾分おどおどと彼女の後を付いてプールに向かった気がする。
特待生の練習をきゃあきゃあ言いながら見学する一年生に、一般性の部長は「私達はあんなに凄くないけど」と照れくさそうに言った後、練習メニューや夏休みの合宿、クリスマス会等、の予定表を見せてくれ、施設を案内してくれた。
凄いね、さすが馨ヶ岡だね、楽しそうだね、と上気した顔で笑うクラスメイトに、悠子もうん、といささか興奮気味に頷いたはずだ。
一通り施設の説明が終わり、更衣室の隣の部室でお菓子を摘みながらお喋りをしていた時だった。
「悠子さん、いらっしゃる?」
そう言って部室のドアが開けられた。
もちろん、ノックはしたのだろうが、歓迎会ではしゃいでいる女子のお喋りに紛れて聞こえなかったのだろう。
部員の失敗談を面白おかしく新入生に語っていた部長がはーい、と振り返り、凍りついた。
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サロンから校門までの道すがら、顕子はいつになくお喋りだった。
敷地内の寮から徒歩で通う悠子だが、家の車が校門まで迎えに来る顕子を校門まで送るのがなんとはなしに習慣となっている。
わざとらしい程に話題を変え、ねぇ、悠もそう思うでしょう?と時折悠子の顔を覗き込むような仕草を見せる顕子が少し痛々しくも大層可愛らしい。
恨んだり、ましてや根に持ったりなんて本当にしていないのに、と悠子は、足を止める。
悠?と不安そうに見上げる顕子の瞳を見返すと、一つ年上の先輩は怯んだように視線を逸らした。
「ねえ、顕子様。私、本当に部活なんてどうでもよかったんですよ?
顕子様が一生懸命私をサロンに引き止めようとしてくださるのが嬉しくて、少し意地悪な気持ちになってただけですから。
そんなに気に病まれると、逆にこちらが申し訳なくなってしまいます。」
笑いながらそう告げると、
「わ、私、今そんなお話はしてなくてよ?」
顕子は涙目のまま、頬を薔薇色に染めてそう、呟いた。
「それは失礼いたしました。
私が気になっていたもので、いつかきちんと申し上げなくては、と思っていたものですから。」
吹き出しそうになるのを堪え、真面目な顔を作ったつもりだったが、どうにも緩んだ顔をしていたようだ。
もう、と悠子の腕を打とうとした手は、そのまま腕にするりと絡み、顕子は輝くような笑顔で言った。
「先輩のお話をきちんと聞かないなんて。注意力散漫だわ。
やっぱり悠は私と一緒に居なくてはだめなんだから。」
忍び笑いのような密やかな笑い声をたてながら、二人は寄り添うように歩いていく。
校門への道をなるべくゆっくりと。少しでも長く。