雨上がりと木漏れ日
ニュー速VIPワナビスレ
統一お題選手権投稿作
「いやー、土砂降りだねえ」と少女が言うと、
「お、おう……そうだな」と緊張したように少年が返す。
小高い山の中腹にある、少し寂れた小さな神社。下校中、突然降り出した雨に二人はそこで雨宿りをしていた。
さああ、という雨の音が境内に響いている。ムシムシしていて、湿度で半袖のカッターシャツが透けそうだと少年は思った。
賽銭箱の隣に座り込む二人。周りには他に人の気配はない。
「……そういえばこの神社ってお参りするとなんのご利益があるんだっけ?」
「なんだっけな……おう、この立札に書いてあるぞ……」
「んーどれどれ」
少年の向こうにある立札をよく見ようと、少女が身を乗り出す。結果的に二人の体は急接近してしまう。
「お、おう……」
目の前で少女の黒く長い髪がさらりと流れる。
女の子ってこんな良い香りがするのか、と少年は思った。生まれて十四年、物心ついた頃から親の影響でサッカーに打ち込んでいてそういった色恋とは無縁の半生、だった。
「へー、良縁祈願・恋愛成就かー……」
と、少年と同い年で幼馴染の少女が呟く。そして突然思いついたようにポケットを探ると十円玉を賽銭箱に放り、
「ん! 良い事ありますように!」
パンパンパン! と三回拍手をする。
少年は思った。それはどちらのご利益を望んでのことなのかと。
良縁祈願なら新しい出会いを求めていることになる。
恋愛成就の方だったなら、そして成就を願う少女の思い人が――
「みっくんはお願いしないの?」
「っ!」
気付けば願い事を終えた少女が少年の顔を覗き込んでいた。至近距離でそのパッチリとした目とあってしまう。
「お、オレは……そうだな、オレもお参りしておくか」
「おっ? 女っ気のないみっくんから恋の気配が?」
面白いものを見つけたというふうににやける少女。
「うっせーな」
「へへっ」と悪戯小僧みたいに笑う。
その笑顔を見るたび、少年の動悸が激しくなる。余裕がなく言葉もぶっきらぼうになってしまうが、少女はいつもどおりに、にこやかに返してくれる。
「ねえ、お相手は誰? 一年生のマネージャーの子?」
根掘り葉掘り聞こうとする幼馴染に、
「いや、ぜってー言わねえ」と返す。
「えーなんで教えてよう」
「だめだ」
「えーっ……ていうか、やっぱり恋してるんだね!」
「あっ」
恋をしていることを、知らない内に肯定していたことに気付く少年。
「いいねーみっくんもついに……」よよよと娘の結婚式で泣く父親のごとく泣き真似をする少女。
「娘の結婚式で泣く父親かよ……」
「私はみっくんの保護者ですから」
いつからそんなことになったと言おうとしたが、思い返すまでもなく今まで散々お世話になっているので文句は言えなかった。遠足に弁当を忘れた時は何故か二つ弁当を持っていたこの少女から貰ったっけ。と少年は不意に懐かしんでしまう。
「みっくんが好きになるってどんな子なんだろー。かわいい? その子」
「……ま、まあ、可愛いかな……」
少し顔を赤くして答える。
それを目を細めて微笑みながら見る少女。
「そっかぁ、なんか……」
言葉を切り、うつむき、
ゆっくりと、溜息をつく。
「なんか……悔しいな」
「え?」
「……」
それっきり黙ってしまう。
なんと声をかけていいかわからない。
あまりの沈黙に、雨の音が煩い、と少年は思った。
しばらくして、
「……あえ? う、うう」
「お、おい……」
「あ、ダメ! こっち見ないで……」
少女は目からぽろぽろと大粒の雫をこぼしていた。
どうすればいいかわからず、うろたえる少年。
と、その時。
(いまじゃ!)
(ウッス)
少年は賽銭箱の向こう、社殿の中に何か小さな声を聞いた気がした。ただ、それは直後に頭を貫いたなんとも言いがたい衝撃によって忘れてしまうのだけれども。
少女は少年に見られないよう顔を伏せて泣いていたし、少年は鏡でもなければそれを見ることはできなかっただろう。
自分の頭に刺さる矢のようなものを。
それは肌を傷つけることなく貫き、すうっと消えていった。
まるで少年の頭のなかに溶けこむように。
その時、少年はなぜか少し前のことを思い出していた。
いつも通っている教室。幼馴染がクラスの女子に好きな男子のタイプを訊かれて、優しくて頼りがいのある人と答えていた。少年はそれを聴いて自分とは程遠いタイプの人間だと――本人としては――思い、落ち込んだこと。その一部始終を。
そして意識は現在に引き戻される。涙を流す幼馴染の前へと。
「しょーこ、お前……」
「うっ……ぐす……ごめん、何でも……」
「……そうか、やっぱり……」
続けて、自然と口からこぼれていた。
「やっぱり可愛いな、お前は」
その涙の意味を、少年はもう理解していた。
少女はその言葉を聞き、少年の顔を見てポケっと固まっている。
「へ?」
「しょーこ、好きだ」
「へ? へ?」
みるみるうちに顔が赤くなってゆく少女。少年は真っ直ぐ見つめる。
「好きだ、付き合ってくれ」
そう、決然と言う。
少女は驚きのあまり口をパクパクさせつつ、それでもなんとか、
「へ? ……あ、あたしも……その……好き……です……」
残っていた動揺もだんだん恥じらいへと変わり、それとともに消え入りそうな声でそう言う。
そして、ぽすっと頭を少年の胸に預ける。
少年は少女の赤く染まった耳を見ながら、
「あー、なんだ、やっぱり御利益あったな、この神社」と言うと、
「うん……えへへ、そうだね」と、少女がはにかみ見ながら返す。
気がつけば小雨になっていて、雲がかかっているもののあたりがだんだん明るくなっていく。
照らされてできた二人の影は、一つになっていた。
「こうしてまた一組のバカップルが爆誕したのじゃった……」
「そんな苦々しい顔するならやめたらどうですかこんなこと」
カビ臭いが生活できるよう整えられた社殿の中。夏服を着た眼鏡の少年と、巫女服のようなものを着た……『狐娘』が、扉に開いた隙間から外の二人を見ながら小声で話していた。
「いや、じゃって儂これでも縁結びの神じゃし? それはあいでんててーに反するとゆーか」
「じゃあ今の顔なんなんですかね……」
「今回の件は流石の儂でも口から砂糖吐くレベルじゃった……ヤツら帰りがけにコンビニでゼクシィとか買っていきそうな勢いじゃぞ」
今しがた縁結びの神と名乗った、小学校高学年くらいの身長の少女に、狐の耳と尻尾を足したような……二足で直立する不思議な生命体は、ひとことで言うと白い、と眼鏡の少年は思う。おかっぱの髪も、みずみずしい肌も、よく動く耳も、ふかふかしてそうな大きな尾も。ただ、虹彩だけが綺麗なブラウンで彩られている。
「僕はいつでも辞めたいと思ってるんですけどね、こんなくだらないこと」
少年は手に持った弓を見ながらそう言う。それにつがえる矢はついさっき使ったところだった。
「まあまあそんなこと言うでない。ユウキ。お前様も少しは達成感有るじゃろ?」
「……いえ、これっぽっちも」
ユウキと呼ばれた中肉中背の眼鏡の少年は、自分のもじゃっとした髪をいじりながら何でもない風にいう。表情に乏しく、眠たそうな目をしている。平常運転だった。
「お、あの二人帰るようじゃぞ……かーっ! 相合傘! かーっ!」
かゆいような声音でそう言う、モフモフの白いしっぽをぶんぶん振る狐娘。
「……本当に縁結びの神様なんでしょうか」
「ん? 本当じゃよ? クシナダより任されておるのじゃ!」と狐耳娘がユウキと呼ばれた少年の方を向いてスラっとした胸を張る。
「そうですか。……いやまあそれは知ってましたが」
という彼は、必要以上に身を寄せあって帰って行く二人を見つめている。今、鳥居をくぐり、階段を降りていった。それでもなお、傘の先が見えなくなるまで見つめ続ける。
「そうじゃよ……ん?」
縁結びの神は、その幼いながらもどこか大人びた顔を少年に近づける。遠くを見る彼の表情に目を留め、「なるほどなるほど?」と興味深そうに、ついでにニマニマしつつ腕を組み一人で何かに納得している。しっぽはしなりながらメトロノームのように左右に揺れ、耳は時折ピピッと動く。上機嫌の証のようなものだった。
「なんすか」至近距離にある神様の顔をやっと気づいたかのように見て、そう言う。
「いや、なんでもないんじゃよ?」
その日ずっと自称縁結びの神はニコニコしていたという。
次の日。
「ふう」
キュッとブレーキの音を鳴らし、自転車を止める。ユウキは空を見上げて「今日も曇りかあ」とつぶやくと、高校指定のカバンをカゴから降ろし、えっちらおっちら神社に至る長い階段を登り始めた。
中学生活最後の夏、ひょんなことから自称縁結びの神にスカウトされ、こうやって神社に通うようになってから大分体力がついたような気がする。手伝わされることになった例のキューピッド業も、少しのお給金が出るので長続きしてしまっていた。
そんなことを思い出していると、気づけば鳥居まで到着してしまっていた。振り返ると、曇天の下に彼の住む街がある。様々な色の屋根が敷き詰められているが、どれもこれもあと数時間経てば雨に濡れているだろう。少年はもう一度空を見上げて「これは明日も無理かもな」と呟いた。
「お、来たなユウキよ。今リストアップが終わったところじゃ」
そう言って、自称縁結びの神が狐耳をぴょこぴょこさせながらプリントアウトした紙の束を差し出す。何百年も生きる彼女は存外現代文明の利器を使いこなしているのだった。通販でしょうもない物をよく買うので少年が何度かクーリングオフしたほどだ。
そして今渡されたリストは、今日この神社に来るカップルのうち、対処すべき(これどういう基準なんだろう、とユウキは思った)まだ付き合ってない男女の組(上にアベックとルビが振ってある)を抜き出したものだ。
縁結びの神の特別な能力、それはこの街の恋愛事情を事前にリサーチする情報ネットワーク。主に餌をやる代わりに野良猫から情報を収集しているそうだが、それはなんというか能力とはいえないのではとユウキは思っていた。いや、猫と意思疎通が取れるだけでも十分特殊な能力だが。
それぞれの人物の性格や家族構成などのデータと、二人の関係や過去の出来事が事細かに記されている。野良猫ネットだけでここまで集まるのかとユウキは思った。これを参考にし、ある時は物理的に、ある時は影でこっそりと、またある時は古くからこの神社に伝わる特殊な弓と矢で『ヒント』を与えて後押ししてやったりする。あまりにも不甲斐ないと神様直々に出て行って説教……なんてこともあった。
今日の『アベック』は二組。一緒に渡されたスケジュールを見ると割と時間に余裕がありそうだった。
この夏目前から初夏といった感じの時期と、クリスマス、バレンタインの頃は大忙しだ。しかしここ数日はよく雨がふるからか割と少ない。
と、ユウキはスケジュール表の謎の空白時間に気付く。
「あの、神様これは」
「ん? ああ、これは『カップルの成立』案件ではないが、その時間になんというかアフターサービス的なのが必要になる予感がしてな。あくまで予感じゃが」
ふむふむと頷くユウキ。
「すごい……全くわからないです」
「うむ……今のは儂が悪かったのじゃ……ここで成立したカップルの一組がどうも別れそうなんじゃ。で、その女子のほうが悩んでここに来る、ようじゃ」
たまに神様はこのようにその日起きることを予知し、事前に準備をするということをやってのける。むしろそっちの方が特別な能力なのではとユウキは思うが、彼女に言わせれば経験則というやつらしい。
「はあなるほど。面倒ですねそれは」
それを聞いた神様は、元気なくしゅるん、と一度尻尾を動かし、耳を少し垂れたせて、
「面倒とか、あまりそういうでない……まあ、ここで成立したカップルがこのようなことになるのは悲しい。そういうことは色恋沙汰の常じゃてわかってはおるが、無ければそれに越したことはないのじゃ」
「まあ、そうですね」
神様は、どうしたもんかの、とつぶやく。
「結局、普通の恋愛相談でしょう。神様対処おねがいしますね。耳と尻尾かくして少女モードで」
「前々から思うておったんじゃが、お前様儂以上に儂の神獣バレに敏感じゃないかの?」
「気にしすぎですね。別に狐っ娘は俺のものだとか思ってません」
腕を組み頑として応えるユウキ。だが内容がおかしい。
「それはもう白状してるようなものなのでは……」
「え? すみません聞こえませんでした」
本日最後のおじいちゃんおばあちゃん後期高年齢カップルを成立させた後(告白することそのものを忘れていたようなので、矢を使って思いださせるだけの簡単な仕事だった)そのカップルお悩み相談の時間がやってきた。
「お、来たようじゃぞ」
ユウキと同じ高校の制服を纏った一人の少女が、階段を登って来るのを社殿の中から二人で見ていた。
「あれは……」ユウキがつぶやく。
神様が対応している間、社殿の中でユウキは待機しつつ、その様子を眺めていた。
ユウキには見慣れた少女が、膝立ちで縁結びの神に泣きついている。取り乱した様子の背の高い少女に、白い髪をわしゃわしゃされてなんとも言えない顔をした神様。
数分経っても事態は進展していない様子で、困った様子の狐娘がついに横目でこちらに助けを求めてきたのを確認すると、ユウキはため息を付きながら歩いて出て行った。
「なにやってんだミユカ」
「え? ユウキがなんでここに?」
泣きながらもキョトンとした背の高い少女はユウキの幼馴染だった。
雨が降ってきたので社殿の中に場所を移し、少女が落ち着くまで待つ。
「そっか、ユウキはここでバイトしてたのか」
「あの……そろそろおろしてくれんかの……」
ずっと膝の上に神様を乗せており、ミユカはその肩越しに顔を出し会話をしていた。時折神様のほっぺをほっぺでスリスリしつつ。
「なんか、ごめん。ユウキが取り持ってくれたのに」
少々男前な口調で幼馴染が言う。
数年前、年上で幼馴染であるミユカの恋愛相談に乗ってやったのがユウキだった。その結果めでたくミユカは高校の先輩と付き合うことになったのだが……
「知らない女の人と歩いてた、とな」
「そう、なんだ……」
部活からの帰りがけ、今日は用事があると言っていたはずの彼が、年上の綺麗な女の人と歩いていたのを見たという。
それを話したのち、またカタカタと震えだすミユカ。
「それは……黒じゃな」
「黒……ううっ……」
「こらこら」
髪をボサボサにされたことを若干根に持ってる風のただの少女モード縁結びの神がそういう。
「そういう冗談、弱っている人間だと真に受けちゃうのでやめましょうよ……それで、その女の人って姉とかそういうのじゃないのか?」
「いや、センパイに姉はいないな。弟がいるだけ」
ウェーブのかかった黒髪をいじりつつそう言う。
「……じゃあ若いお母さんという筋は」
「流石に若すぎると思う。それに、センパイのお母さんには一度会っているし」
腕を組み考えるユウキ。
「あとはクラスの男子が女装してたくらいか、お決まりのパターンは」
「それは漫画の読み過ぎじゃないかえ……まあ、なんにせよずっとラブラブでそんな兆候はなかったというし、なにかの間違いかもしれんの。いや、無駄に不安を煽ってスマンの」
「ユウキ、この娘なんでこんな年寄りみたいな口調なの? おばあちゃんっ子?」
「いや、この神社の神主だし年相応……痛い!」
余計なこと言うなと言わんばかりに膝の上の神様にすねを蹴られるユウキ。
「神主さんなの!? こんなに若いのに! 巫女さんだと思ってた!」
多少無理があるが対外的にはそういうことにしてある。心底驚いた様子で髪を撫でる手をさらに速くするミユカ。うんざりした様子の神様。
「そんなことより、確かに突然浮気したと考えるのは不自然だし、何かの間違いでは?」ユウキがそう言うと、
「そうだと良いんだけど……」ミユカがうつむいてつぶやくように言う。
それっきり沈黙が訪れる。これ以上相談したところで元気づけはできるだろうが、根本的な解決には成り得ないと判断したのか、
「実際に確かめてみんとなんとも言えんのう」
と、神様が言った。
「ここでいいか」
雨上がってなお曇天の空の下、ユウキは人通りの多い駅前にやってきていた。じゃまにならないよう三時間無料の駐輪スペースに自転車を止め、待ち合わせ場所に向かう。
結局あのあと、実際にその現場を見てようということになり、全員着替えて、ミユカの彼氏が年上女性に今日も逢っているらしいというファミレスに行くことになった。ちなみに情報源はミユカのクラスの女子ネットワークだそうで、昨日も長時間そのファミレスで話していたという。神様の野良猫ネットワーク並だなとユウキは思う。
「おーい」
「こっちじゃよーっ」
駅前の噴水には見慣れた幼馴染と……どこの小学生読者モデルかという格好の白い少女が。
「……なにやってんすか」
「いえーい似おうとるかの?」
そう言ってくるりと回る神様。赤と黒のチェック柄のスカートに黒のオーバーニーソックス、上はグレーのノースリーブパーカーのようなものを着ている。
「私のお古貸してあげたんだ」
きゃぴ☆ という擬音が聞こえてきそうな横ピースキメポーズを取る縁結びの神様。
ユウキはもうこう言うしかない。
「なにやってんですか」
「二回目!?」
「ふむふむ、あの女じゃなぁ~?」
「やめましょうよお行儀悪いですよ」
例のファミレスに入店したあと、ミユカの彼氏と件の雌狐(とミユカが呼んでいる)のテーブルが見える席に移動した。三人はドリンクバーだけ注文してその様子を伺う。
空テーブルを挟んだ反対側を見る神様。膝立ちでソファの背もたれに向かい合うような体勢。本当に行儀の悪い、外見相応の行動に苦笑するユウキとミユカ。
「何話しておるんじゃろうか」
「ここからは聴こえないな」とミユカは言う。
彼氏の浮気現場かもしれないのによく冷静でいられるなとユウキは思った。さっきの「浮気だとすると不自然」という言葉でいくらか余裕が生まれているのかもしれない。
だが、残念ながらそれも長くは続かなかった。
「ふむ、ちょっと反則じゃが聴いてみるかの」
というと、むむむと力みだす神様。何をするのかとユウキが見ていると、隠しているはずの狐耳が頭から生えようとしていた。
「神様!?」
ユウキは慌ててその耳が見えないようフードを被せる。これで位置的にはミユカから見えないはずだ。
「神様? なに行ってるの? ユウキ」
「い、いや、何でも……」
幸いそれ以上は訊かれなかったが、全身に冷や汗をかいてしまったユウキがヒソヒソ声で抗議をする。
(ちょっとはしゃぎ過ぎじゃないですかね)
(すまんすまん、忘れておった)
片手で手刀を作りすまんと謝る神様。
「あれ、神主ちゃんそんな頭長かったっけ」フードを後ろから見てそう言うミユカ。
「お、そんなことより会話の内容が断片的にじゃが聞こえるようになったぞ……なになに」
その言葉にテーブルの向こうから身を乗り出してくる現彼女。
「……こいにおちる……あなたはわたしのもの……」
ガタッと音がして、ユウキがそちらの方を見ると、席に備え付けのナイフを握りしめたミユカが静かに涙を流していた。
「ちょ、ちょっとまて! まだ聞き間違いかもしれないし……」
焦ったユウキの説得もむなしく、神様は聞き取った会話の断片を無造作に中継していく。
「……どくせんよく……りゃくだつあい……ひとばんだけでいいから……」
「ちょっと!?」
「センパイ……私の……私の大切な人が……!!」
血の涙を流さんばかりの気迫のミユカ。必死に止めるユウキを振り払い、ミユカはゆっくりと二人のいる席に歩き出してしまった。なんとかナイフだけはもぎ取っておいたが。
「やばい! 修羅場ですよ神様!」
と言いつつ、ユウキはなにかおかしいと感づいていた。
何故か会話盗聴マシンと化してしまった縁結びの神はまだ中継を続けている。
「……あさちゅん……せいごうせい……ぷろっと……」
そんなことをしている間に、ミユカが彼と女性のいるテーブルについてしまう。
遠目から見て明らかに動揺しているミユカの彼氏。スーツに身を包んだキャリアウーマンっぽい女性も何事かと驚いている。
だがこの件は結局勘違いであることに、もうユウキも神様も確信してしまっていたのだった。
「いや、本当にご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」
ファミレスの外でミユカに後ろから痛いくらいに抱きつかれてしまっている彼氏さんが言った。
ミユカは抱きつきながらも耳までを真っ赤にしてその低い肩に顔を埋めている。
「私からも、本当にごめんなさいね?」
と思ったより優しい声音でいう件の女性。
「また、先生の作品が出版された暁にはお詫びにサイン本を一部をお渡ししますので……」
「いややめてよ三島さん!」
そう言って差し出された名刺にはこう書かれていた。
「ハートジュエル文庫編集部、三島優子……」
なんてことはない、ミユカの彼氏さんは女性向け恋愛小説を小説投稿サイトで連載していて、目に止まった編集者にスカウトされたらしい。なんてことはないこともなかった。
その打ち合わせやプロットのすり合わせに会っていた、というのが今回の事の真相。
「くっ、その展開も割と定番のはずなのに思いつかなかったか……!」
「どこでくやしがっとるんじゃお前様」
ユウキの言葉に「わかる」と言わんばかりに頷く彼氏さんと編集さんだった。
帰っていく三人の背中を眺めながら二人は話していた。
「しかし、良かったの。勘違いでの」ポツリと神様が言う。
「そうですね。あんまり別れられるのも仕事が増える可能性があるので面倒ですしね」
ふたりともどこかホッとしたような声音だった。
「そういう話じゃないんじゃが……ほっほ」
また、ユウキの顔を覗き込む縁結びの神様。
「やっぱり一仕事を終えたあとはいい顔しておるの」
というと、ニカッと笑う白い少女。
「恋は、ええのう。なあお前様よ」
この時、ユウキはなんとも言えない感情に襲われていた。
「……神様」
「なんじゃ」
帰っていく幼馴染を見ながら、なんでもないことのように言う。
「この仕事、やめさせてもらえませんか」
「う、うん……? 儂の聞き間違いかの……?」
突然のことに冷や汗をかき動揺する神様。しかし、
「やめます」
ユウキは、今度はまっすぐ神様を見据えて、決然と言う。
この上なく理不尽な展開に、頭の上に沢山の?を噴出させる神様。
「んな、な、な……」
なんでじゃー! という絶叫が晴れた夕焼け空に響いたのち、蝉の声に溶けて消えた。
翌日。土曜日昼前。この日もしとしとと雨が降っていた。
「すみませんって神様。元気出してくださいよ」
「やーじゃ」
社殿の中、縁結びの神は敷布団の上で作務衣の上にタオルケットを巻いて、ユウキにそっぽを向いて寝ていた。
しかもこうコミュニケーションが取れるようになるのにすら時間がかかった。最初は寝たふりをしていて反応もなかったのだ。狐なのに狸寝入りか、とユウキがぼそっと言うと飛び起きてすごい勢いで頭をはたかれた。
その後また寝込んでしまった神様は、後ろから見ても耳が垂れしっぽが力なくぐでんとなっているところから元気が無いのが容易にわかる。
「気持ちは変わらんのじゃろ?」
「はい、今も辞めたいですね」
まるで当たり前の事のように言う。
「なんでじゃ……なんでなんじゃ……」
「それがわからなくで困ってまして……」
ポリポリと頭をかくユウキ。本当に困っているといった表情。
起き上がり、それをなにか信じられないようなものを見る目で見る神様。
確認作業が始まる。
「単純に飽きたのかや?」
「いえ……そういうのではないです」
「仕事がキツイというわけでも?」
「ないですね」
「儂のことが嫌いになったわけではないのじゃろ?」
「はい、そうですね。むしろ好きです」
ピクンと耳と尻尾を揺らし、少し頬を朱に染める神様。
「ご、ゴホン! ……では、結ばれるカップルが妬ましいとかでは」
「……むしろ、嬉しいような」
「う、ううう~なんでなん……」
「……? 神様どうしたんですか」
急に言葉を切ってポカンとユウキの顔を見る神様。
「な、なんじゃその顔……」
「へ? その顔とは?」
どうやらユウキ自身は全く自覚してないらしい。
「ちょっとお前様、『カップルが成立して嬉しいです』って言うてみ?」
「な、なんですかそれ」
「ええから!」
気迫に押され、しぶしぶといった感じで少し顔を赤らめてユウキが言う。
「か、カップルが成立して嬉しいです……?」
神様は、見た。ユウキの顔がはじめのうちは照れたようなものだったのだが、すぐに切なそうなものに、ついで「心底嫌悪している」と言わんばかりの表情に一瞬なって、元の怪訝な表情に戻る。
「……なんじゃー……」放心状態である。
「それはむしろこっちの台詞なんですが。なんか変な顔してましたか? 僕」
「……」
「神様?」
黙ってしまう神様。視線が、沈黙が気まずいというふうにユウキは体をよじらせる。
と、
「!?」
縁結びの神は急にバッと立ち上がると立てかけてあった弓を取る。
「ど、どうしたんですか」
迷いなくわしわしと自分の尻尾をなでだす神様。知らない人から見たらなにをしているのかという行動だが、ユウキには見慣れた光景だった。
少しの抜けた毛などをかき集め。こねこねと団子を作るようにこねる。そうしてできるものをモフモフしているので『モフ玉』と呼んでいる。この方法でなくともモフ玉は作れるのだが、緊急の場合はこのように集めた毛から作ることもあるのだ。
「ん、んむむむ~」
次に、神様は正座しその膝に弓を乗せると、両の手のひらに出来立て新鮮なモフ玉を乗せ、昨日ファミレスで耳を出した時のように力みだす。そうすることで、モフ玉が光を帯び、徐々に不思議な力のこもった矢に変化していくのだ。
刺さることでヒントになる、記憶を思い出させる特殊な矢に。
「お前様!」完成した矢を握ってユウキに詰め寄る神様。
「は、はい!?」
「ミユカちゃんのことが好きだった頃が有るというておったな」
「ま、まあ。と言ってもかなり小さい頃の話なんですが」
「ミユカちゃんの彼氏殿に嫉妬しているわけではないんじゃな? 本当に!?」
「え、ええそうですね。全くと言っていいほど。自分でも不思議なくらい……」
といったところでハッとするユウキ。
「これは儂の感なんじゃが、どうも儂とお前様が出おうた頃に原因が有る気がしての」
「出会った頃というと……」
神様はさらにユウキに詰め寄る。もうすぐオデコがひっつきそうだ。
「そうじゃ、ミユカちゃんが告白した時じゃ。懐かしいの」
といっても数年前でしかないが、たしかに懐かしいとユウキは思った。
「今から、この矢を使って見にゆくぞ」
「……それはもしかしなくとも」
「そうじゃ、一緒にな」
神様はそう言うと、自分の後頭部からプスっと矢を差し込み、ユウキの頭もろとも串刺しにした。
一瞬のことだろうが、ユウキのヒントになるという記憶は神様と共有され一緒に「視る」事になる。
一瞬だが、少し長い眠りに二人は落ちていった。
ある晴れた夏の日のこと。シャワシャワと蝉が鳴いていた。
神社の境内の林に僕はいる。僕の隣には最近出会った自称縁結びの神だという狐っぽい耳と尻尾を生やした不思議な女の子も一緒だ。
二人で木の影に隠れて境内の中心の方を伺っている。
そこには僕の幼馴染で背が大きいのがコンプレックスなミユカと、その先輩らしい優しそうで背の低い男の子が向い合っていた。二人並ぶと身長差が凄いな。
僕はこれまで度々ミユカの恋愛相談に乗ってきた。お相手はあの先輩。その過程でこの狐娘と出会ったわけだけど、まあ今はおいておこう。
なんとなれば、今まさにその恋が実るかどうかという瞬間なのだから。
震えた声でミユカがいう。
「あ、あの、センパイ……!」
「は、はいっ!」
二人共顔が真っ赤だ。つまり、あの先輩は何を言われるかを気づいている可能性が高いのだが、果たしてどうなるか。
「あ、あのですね……」
「うん」
がんばるのじゃー、とか、おちつけーなどと届かないにもかかわらず小さな声援を送る僕達。うだるような暑さに汗をかきつつハラハラしてみている。
「私、センパイのことが……ことが……」
「う、うん」
「せ、せん、せみゅっ、せみゅぱひ! ひっ!」
突然、口元を抑えて黙ってしまうミユカ。
あ、これ舌噛んだなと僕が言うと、な、なんじゃとー! と自称縁結びの神が不安そうに言う。
まあ、なるようになるんじゃないかな、と、この時僕はなんとなくうまくいくだろうという変な確信があった。
「だ、だいじょうぶかい?」どうしてもミユカを下から覗き込む形になってしまう先輩。
「だひひょうふれふ! ひゅみまへんひひゃかんひゃいまひは」
その酔っ払ったような言い方に思わずどちらともなく二人が笑い出してしまう。
緊張した空気が一気に霧散する。
「瀬野さん普段しっかりしてる感じだけどたまに大ポカするよね」
「うう、ひどいですよセンパイ」
涙目で抗議するミユカ。
しばらくして、ふう、と笑いが一段落し、
「好きです。センパイ」
リラックスした状態で、彼女はなんの緊張もなく言ってのけた。
「生徒会で毎日お手伝いしていて、だんだん好きになってしまいました」
しかしちょっとずつ顔が赤くなっていく。
「も、もしセンパイが良ければ、こんな私ですが、付き合っていただけませんか?」
言い終わる頃には、もう真っ赤だった。
二人共の顔が。
そして、
「こ、こちらこそ、好きです! こんな僕でいいのなら、よろしくお願いします!」
勢いで言い切る。見つめ合う二人。
僕たちは林の中でハイタッチしていた。
「ん~なるほどのう」
「わあ!」
ふっ、と現実に戻り、ユウキが最初に見たのはどアップになった神様の顔だった。
「懐かしいのう」
「……大はしゃぎでしたね僕ら」
「まあ、向こうも好いておることがなんとなくわかっておったからの。はよ告白せいと思うておったし、やっとかという感じだったのう」
「そうでしたね」
「そういえば、あの後すぐスカウトしたんじゃったか」
「ええ、そこから始まったんですね」
感慨深げに二人がつぶやく。
ユウキは神様が手に持った弓を見つめながら。
「僕、やっとわかりましたよ」
穏やかな笑みをたたえてそう、神様を見つめながら言う。
「そうか、儂もなんとなくわかった気がするのじゃ」
神様もまた、同じ表情をしていた。
「言ってみてくださいよ」
「ふむ……ええじゃろ」
神様は一呼吸置くと、語りかけるように優しく、確かめるように言う。
「まず、ユウキは他人の恋愛が成就するのを見るのがとても、とても好きなんじゃな?」
「ええ、とても好きですね」
薄く微笑み、ユウキが肯定する。
「それをくだらないと自分に嘘をついておった。それも間違いないのう?」
「ええ。本当は大好きなくせに」
どこかはにかむように、「バレたか」というかのように頷く。
神様はそれを見ながら、言葉を続ける。
「そして、その他人の恋を応援したり、成就するのに喜びを覚える自分が」
一度切って、
「自分が嫌いであったと」
「……ええ」
ユウキは深く、頷く。
「こっから先は儂にもわからん。なぜじゃ。他人の恋を好きでも良いではないか?」
そう、神様が言うと、ユウキは目をそらして、
「僕は……僕は恋をしたことがないんです。神様」
そう言い、切なそうな表情を作る。
「ミユカにしても、端から見れば好きだった幼馴染を取られたからくやしがるのが普通じゃないですか」
「そうとは限らんがの。まあ、お前様のことじゃ。また漫画に影響されておるんじゃろ」
「ひどいですよ神様」
力なくはは、と笑うユウキ。
しかし、次の瞬間には眉根を寄せて、
「つまり、何も知らないんです僕は。何も持ってないんです」
苦痛から耐えるように、絞り出していった。
「恋の何も体験したことないのに、なんの良さもこの身では知らないのに、他人の恋に夢中になって、喜んで、なんか、なんか馬鹿みたいで」
一人の少年は、ポロポロと、大粒の涙を流していた。
眼鏡に落ちていく水滴。めちゃくちゃに屈折する世界。
そして締め付けられるような胸の痛み。しかし、それを抱えているのは今やユウキ一人だけではなかった。
「それはな、ユウキ。持ってないからこそなんじゃよ」
慈しむような、目で、声で、縁結びの神はそう諭すように言う。
ユウキはもう涙をこれ以上流さないよう、ぐっとこらえてまっすぐ神様を見る。
「自分になくても、他人が手に入れ、それを成就させているのを見ることが嬉しい。そういうのも有るんじゃ」
「それって変じゃないんですか?」
「変じゃないぞ。変じゃないんじゃ。儂だってそうなんじゃ」
気がつけば、神様の目尻にも光るものがあった。
「理屈じゃないんじゃ、ユウキ。好きなら好きでよい。恋の何たるかなんて、これから学んでゆけばよいのじゃ」
それは、ユウキだけに向けた言葉ではなかったのだろう。
神様は、どこか無理をするようにニカッと笑って、
「いくらでも機会はあるじゃろ。お前様は結構いい男じゃぞ。何万組と成就させて来た儂が言うんじゃから」
「本当ですかね」
ユウキも、涙を我慢しつつ、照れくさそうにヘヘと笑う。
「本当じゃとも」
「神様も、魅力あふれるお人だと思いますよ」
「ほんとかのう、お世辞でゆうておらんかの」
「本当ですよ」
へへ、へへ、とお互いに泣きながら笑い合い、おでことおでこをくっつけあった。
触れているところから、お互いの体温を感じ合う二人。
そのまましばらく心地よくまどろんでいた。
すると、
「そうだ、神様」思い出したように言うユウキ。
「なんじゃ」
「今日はアフターサービス必要なんじゃないですかね」
「……なんじゃ?」
キョトンとする神様。
「何月何日でしょうか、今日は」
ユウキと神様は雨降る境内に出ていた。弓と矢をもって。今は神様がそれを持っている。
神様が小さい体で矢をつがえ、それをユウキが手を添えて助け、分厚い雲に覆われた天に向かって放つ。
放たれた矢はそこまでの勢いもないのに、不思議とまっすぐ、高く高く上がっていき、ついに雲を貫いていってしまう。
貫かれた箇所から、波紋が広がるように雲が晴れ、青い空が円形に広がっていった。
あたりがどんどん明るくなっていく。だが、小降りの雨は降り続いていた。
濡れた土の匂い。シャアシャアと喧しい蝉の声。
木漏れ日の下の長い長い坂道を、一台の自転車が走り下ってゆく。
むわっとした湿気を切り裂いて、シャーと音を立てて。
自転車をこぐのは眼鏡の少年。後ろに乗るのは白い髪の少女。二人共見た目の年齢より少し幼いような笑顔で、時折わーっと叫んだりしてケラケラ笑っている。
二人はこれからデートに向かうのだった。行き先も何も決めていないが、なんとかなるだろう、と二人は思った。
道の端の木々の葉の隙間から漏れた棒状の光が、濡れたアスファルトに不規則なまだら模様を作っていて、それを横切って行くのが楽しい。
葉にはたくさんの水滴がついており、陽の光を屈折させキラキラと光る。
チラチラと見える青く高い空。架かっていた虹はとうに消えてしまったが、この良い天気だと夜になればさぞかし見事な天の川が見えるのだろう。
そして実際、この天気は夜まで続いたのだった。
二人のいつもとは違う鼓動を乗せて、自転車は下る。いや、落ちてゆく。
今日は、七月七日。
ある楽曲を聴いた印象とお題とを絡めて書きました。
お題は「雨」「幻獣」「群像劇」。
主人公が色々な恋愛話が好きというところで「群像劇」は回収したつもりでしたが、無理がある上規定の文字数をオーバーしてしまいました。
お狐さま好きです。