中二脳婦警
北海道函館市の追町駐在所には、少し変わった警察官がいる。人呼んで『中二脳婦警』。彼女の本名は烏丸凛だが、闇林檎を自称している。その言動はまるで少年が黒魔術か何かにはまったようで、孫のようだと地域住民から愛されている。
「烏丸、また服装規定違反じゃないか」
彼は闇林檎が務める追町駐在所の責任者、俺哲矢だ。『俺』という珍しい苗字をしている。
「私が何を着ようが勝手」
「警察官を何だと思ってやがる。そんな短いスカートじゃ走れないだろ。だいたい最近はズボンもあるんだし、変えたらどうだ?」
「スカートは私のこだわり。無理に変えさせるのは女性差別」
「うるさい。その髪飾りも取れ。何だそれ」
「林檎の髪留め。私の個体識別の目印」
「いらん。あと、先輩には敬語使え。これお前が配属されてからずっと言ってるからな」
彼は2人しかいないこの駐在所のトップであると同時に闇林檎の教育係だ。北海道新幹線の開業に合わせて北海道警が地域課の補充を行い、元々俺1人だった追町駐在所に大学を卒業したばかりの闇林檎を配属させたのだ。もうゴールデンウィークも終わったが、未だに闇林檎は服装規定をガン無視して膝上のスカートと林檎の髪留めという格好を貫いている。しかもサイドテール。しかもサイドテール。特に大事なことではないが2度言った。
毎朝の日課のような言い合いを終え、闇林檎はパトロールに出かける。本来なら警察官は必ず2人以上で行動しなければならないのだが、日々のパトロール程度で駐在所を空にはできない。
「あ、交番のねーちゃんだ」
声をかけてきたのは小学生。当然ながら本当は姉弟ではないし、勤めている場所も交番ではない。
「今日は白」
闇林檎はそう言って、スカートを若干上げる。
「なっ……別に聞いてねえし! 興味ねえし!」
少年は顔を紅潮させて抗議した。
「君の靴下の色だけど、何だと思った?」
闇林檎はほぼ毎回こうやって男子小学生をからかう。少年は顔を赤らめて逃走した。俺はこのことを知る由もない。知ったら闇林檎にパトロールを任せるなどという暴挙には出ないはずだ。
「ヤミちゃん、ヤミちゃん」
生垣の向こうから呼ぶのは、今年で70になる老婆だ。
「柿がとれたのよ。ちょっと食べていかない?」
闇林檎はこういう言葉にはとことん甘える。最終的に柿どころか煎餅と茶までご馳走になった。配置されてすぐ、帰りが遅いことを不審に思った俺に見つかったことがあるが、当人曰く「地域住民の笑顔を守るのは警察官の務め」だそうだ。
徒歩で町を一周している最中、俺から無線が入った。
「烏丸、すぐ東公園に来い。刃物を持った男が立て籠もってる」
「ラジャー」
誰もいないのに敬礼する。ラジャーというのもかなりふざけた返答に聞こえるが、緊急事態なので俺もあまり強く訂正を求めない。
全力で走って東公園に着いた。
「もう息あがってんのかよ」
「それより、犯人は?」
「犯人って言うな。2階にいる」
そう言うと、公園に面したある一戸建ての家の窓から男が顔を出した。
「おい! 勝手に応援呼ぶんじゃねえよ!」
「私は偶然通りかかっただけ。気にしないで」
「気にしないわけねえだろ!」
男は包丁を持ち、その家に住む子どもを人質に取って立て籠もった。他の家族は家の外に逃げたが、少年だけ捕まった。要求はテレビカメラを呼ぶこと。救急隊員を懲戒免職にされ、自暴自棄になって犯行に及んだと本人が俺に話した。それを全て闇林檎にも説明したところ、自称通りすがりの警察官は「なるほど」と言ったきり黙った。
中から少年の泣き声が聞こえる。先ほど闇林檎がからかった少年だ。
「人質は無事?」
闇林檎がやっとまともに男と会話する。
「安心しな。妙なことしなければ命は保証する」
いかにも映画の台詞から引用したような言い方だ。
しばらく膠着し、男が部屋の奥へ入っていった。すかさず闇林檎が玄関をそっと開ける。俺が制止しようとする。
「おい!」
「静かに」
確認するが俺のほうが闇林檎よりも先輩であり、彼らは職務中の警察官である。こんなことが許されて良いのだろうか。
音を立てないで家へ進入することに成功した闇林檎は、階段を這って2階へ上がる。
「黙れ!」
男の叫びが響き、一瞬動きを止める。それが泣き続ける少年に対して発せられたものだとわかると、また前進を再開する。俺が気をきかせて時間稼ぎをしているらしい。
小学1年生にして『林檎』を書けたほど記憶力が良い彼女は、男が立て籠もっている部屋の方角へ進む。すると1枚のドアに突き当たった。ここだ。右耳をドアに当て、サイドテールが邪魔ということに気づいてすぐ左耳に変えた。男の声が聞こえる。外の俺と応酬を続けているようだ。その声はわざわざ耳を当てなくても聞こえるが、闇林檎はとことん見栄えを重視する。
無音でドアを開ける。闇林檎の予想通り奥の壁に窓があり、そこに男の背中が見える。隣にはナイフを突きつけられて硬直する少年の姿があった。立ち上がって1歩ずつ男に忍び寄る。充分近づいたところで男から少年を引き剥がした。
「うわっ!」
男は闇林檎を見て驚き、拍子に窓から身を乗り出した。
「まずい!」
俺からも男が転落しかける様子が見えたが、公園内にいた俺はどうにもできなかった。だが、闇林檎が腕を伸ばして男の足首を掴んだ。掴んだが、引き上げはしない。
「重い。自分で上がって」
まさかそう言われると思っていなかった男は狐につままれたような顔をして、腹筋を利用して窓の中に戻った。ナイフは玄関の前に落ちてしまった。少年は黒林檎に引き剥がされたときに転倒していた。怪我はないが、黒林檎からの気遣いもない。
「ところで犯行の理由は?」
部屋から引き上げようとしない闇林檎が男に問いかける。
「もう知ってんだろ。救急隊員を首になって、ムシャクシャしてやったんだ。俺を首にした奴らに一泡ふかせたかった。でも、結局このザマだ」
俺は自嘲するように笑った。
「どうせ刑務所行きだろ。なんで助けたんだよ。死んだほうがましだろ、こんな人生」
「私は……」
闇林檎が俯いて呟く。男と少年が少し近寄らなければ聞こえないほどの声だ。すると急に顔を上げてこう言った。
「私は、あなたの人生を終わらせるためにここまで来たんじゃない。警察官は法律に背いて逃げ隠れしなくちゃいけなくなった人を救うためにある」
男を指差す。
「救急隊員と同じ」
いかにも芝居がかった言い回しな上に結局何が言いたいのか不明だが、なぜか男には響くものがあったようだ。
「あ、ありがとうございます刑事さん。俺、出所してがんばります」
窓の外を見た。
「私は刑事じゃない。警視庁暗黒捜査課捜査官、闇林檎」
「そんなものはない」
ドアを開けて俺が入ってきた。
「確保したらすぐ出て来い、まったく。ほら、立て。北海道警地域課の俺だ。住居侵入と逮捕監禁の現行犯で逮捕する」
北海道警地域課の、という部分を強調して言う。
「俺じゃなくてちゃんと名乗ってくださいよ」
「俺って苗字だ。いきなり敬語使うな、気持ち悪い」
俺が容疑者を連行していったということは、人質の保護が闇林檎の職務だ。
「大丈夫?」
「うん。ありがとう、ねーちゃん」
「私は警視庁鮟鱇捜査課」
「そういうのいいから。間違えてるし」
「そう」
「あと、本当は水色だったんだね。窓から乗り出したときに見えたけど」
「……え?」
「だから、やっぱりもう少しスカート長くしたほうが良くないか?」
「拒否する。これは私のこだわり」
「見られたのがそんなに恥ずかしいんならやめればいいのに」
「ほっといて」
駐在所に戻っても愚痴は続いた。このあと闇林檎がスカートを長くしたか否かは定かでない。




